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第一話 ヘンリー誕生

 王都『セントラルシティ』の夕べ、寒く厳しかった季節も移りゆくのか、春の黄昏(たそがれ)にそこはかとなく匂いがする。

 雨上がりの街路樹や花壇から香る、芽吹いたばかりの新緑の匂いが漂う中、年老いた紳士がしっかりとした足取りで邸宅街を歩いてゆく。馬車の停車場から目的とする場所は近いようだ。

 貴族の大きな屋敷が並ぶ中、石畳を鳴らし小規模な門構えに行き着く。ハロード子爵家である。門番に(おと)ないを申し入れ、しばらく待つと扉が開いた。老紳士は花壇を抜けた先にある離れに案内される。導いてくれた使用人がドアを開けた。

 室内の程よい温かさがスプリングコートを脱いだ老紳士を包み込む。視線の先には目当ての人がいたのだろう、目を細めて笑顔を浮かべながら口を開く。

「お久しぶりです」

「ほんに、お待ちしておりました。伯爵様はお元気そうで何よりです」

 招き入れたのは老婦人。綺麗にとかされた水色の髪には白いラインがお洒落に引き立つ。

「いやもう隠居した、ただの老人だよ」

 伯爵と呼ばれた老紳士はスプリングコートを手に持ち、帽子を脱ぐと銀髪がまだふさふさとしている。カバンは手に持ったままだった。

 老婦人は脱いだものを預かり、スタンドに掛ける。

 二人はソファーに座り向かい合った。老婦人が自らお茶を淹れる。

「ここへ来る前に、アルフィの墓所にお参りさせていただいた」

 老紳士の言葉に、老婦人は、「まあ」というふうに口に手をあて頭を下げる。

「ありがとうございます。亡き夫も喜んでいると思います」

 老紳士が頷き、カバンから高価そうな小箱を取り出した。

「これをもらっていただきたい」

 老婦人の前に差し出す。老婦人は手に取り開ける。

「これは銀の真珠」

 目を見開き、老紳士を見る。

「それだけのものを私は君たち夫妻にしていただいた。あの戦いでアルフィが私を助けてくれ、君の回復魔法がなければなかった命だ」

「滅相もありません、これほど高価なものはいただけません。王都にはまず出回らないもの。市中に出れば一億モン(通貨単位=モン)以上の値が付きます」

 この国の通貨単位はモン、現治世の賃金相場は大人一人が一日働けば約一万モン稼げる。

「私の命は一億程度なのかな」

「そんな意味ではございません。貴方(あなた)様の価値は計りようがございません」

「なら貰ってくれ」

 押し問答が続く。

「あの時の回復魔法は(あるじ)から貸し出された金の真珠のおかげ。私の力ではありません」

「金の真珠のことは以前聞いた。しかし、金の真珠を持ち、回復魔法の詠唱と呪文を唱えても誰もが治癒の魔術を使えるわけではない。医療の知識を学び、治したいという強い気持ちがないとできないはず。貴女(あなた)の努力がなしえた(わざ)。助けてくれたのは紛れもなく貴女です」

 老婦人が細く息を吐くと、とうとう折れた。真実を隠そうという気持ちが働いたのかもしれない。老婦人は、金の魔法が使えたのだ。水色の髪なのに金の魔法が使える特異体質であった。そのことを知る人は二人、教えてくれた方でもあり、魔法の手ほどきしてくれ、かつ子供のころに助けてくれた恩人と(もと)(あるじ)しかいない。持っていた金の真珠は白の真珠に色を付けただけの偽装用のもの。もういい年なので隠さなくてもよさそうなのだが、二人と交わした秘密にしようとの約束を頑なに老婦人は守っている。


 老紳士が屈託のないすっきりとした表情で邸宅を辞した。帰りは子爵家の馬車が用意され、老紳士が以前仕えたサンダー侯爵家のタウンハウスへと向かって行った。


 老婦人の手元にはサンダー領から外に出ないといわれる雷を司る銀の真珠がある。これを身に着け魔力があり訓練次第だが、攻撃力が最も高い銀の魔法が使えるようになり得る。(いな)、赤ん坊に五歳まで身に着けさせれば、ひょっとすると希少と呼ばれる銀の魔法適性が授かる可能性すらある。その価値は億といわれても不思議ではない。復元の紫、回復の金の真珠ほどではないが、錬成の銅(赤茶色)や、基本四魔法の火の赤、水の水色、風の緑、土の茶色の真珠よりも価値は高い。

 この世界では基本四魔法はその色の真珠を生まれてから五歳まで身に着けていれば適性を授かる。希少魔法の紫、金、銀、銅はその限りではなく、髪の毛の色と誕生の際の記憶を五歳の誕生日の夜に見るという胎内夢により適性が授かるのではないかと言われているが、身に着けても発現する確率が低く、まだはっきりとは分かっていない。髪の毛の色は基本的に最も適性のある魔法の色があらわれる。一般的には希少魔法が使えれば髪も同じ色になるのだが、老婦人のような特異ケースもある。生まれた時に黒髪でも真珠を着ければ魔力に応じて染まっていく。大人で黒い髪は魔力がない。

 色付きと言われない白と黒の真珠は装飾用として区別されている。魔力とは関係ないとされているが色付き真珠と一緒に五歳まで身に着ける習慣が一部地域ではある。



 未明のハロード子爵家の庭に南東からの風が青々と茂った樹木の葉を揺らす。

 窓の外は四月のすがすがしさに溢れている。

 室内には湯気が立った(たらい)が準備され、今か今かと待たれていた。

 オギャー、オギャー。

「立派な男の子ですよ」

 白衣の助産婦の言葉に子爵夫人は嬉しそうな表情を一瞬浮かべた後、目はすぐに閉じられた。

「赤色の髪の毛ですよ」

 助産婦の言葉にも反応はない。初めての出産、疲れ果てているのだろう。

 子爵夫人の出産に付き添っていた侍女頭が、部屋をそっと出た。

 トントントン。隣の部屋の扉が開く。

 二人の男性が待っていた。椅子に座る当主は三十をとうに過ぎたのに少年らしさが顔立ちに残り、年嵩なもう一人は執事長、立ち姿が様になっている。

「男児でした」

「……そうか、三番目も男か」

 明らかに気落ちした声の調子に、侍女頭の表情も曇る。

「髪の色は赤、火の魔法に最も適性があるようです」

「レンタル真珠の手配は不要である」

「……そんな。旦那様それはいけません」

 隣の執事長が思わずといった風に反応した。

「ご三男様だけがないなんてお可哀そうです、お願いします。ご三男様にも真珠を、五歳まで着けないと魔法が使えなくなります」

 侍女頭の目には不憫に思う気持ちがこもっている。

「かまわん、三男では使いようがない、女児ならまだしも……。色付き真珠はレンタルでも基本四魔法分が一年四千万、五年で二億、高すぎる。それだけでも、鉱山経営の借金の足しになる。手放さなくて済む可能性が出てくるのだ」

 長男のトーマスは八月の誕生日になって五歳、次男のローガンは九月で三歳、二人ともまだ真珠を身に着けている。

「色付き真珠はもう当家にはない。ローガン(次男)でさえ、水色と茶色だけだ」

 先代から仕える執事長と侍女頭が頼んでも現当主の意向は変わりそうになかった。これ以上の口出しは二人にはできない。

「鉱山都市『ラリウム』の代官に将来はする」

 子爵家当主の言葉に二人は頭を下げた。

「大奥様へ知らせてまいります」

「頼む。いやちょっと待て」

 部屋を出て行こうとした侍女頭が振り返る。

「何でしょうか?」

「うーん、妻が……真珠が……、いや何でもない。行ってきてくれたまえ」

 妻に真珠のレンタル中止の意向を確かめようとしたのをやめたようだ。

「私も同行いたします」

「分かった」

 執事長を待った侍女頭が慇懃に辞儀し、二人が部屋を出て行くと、離れへ向かった。


「大奥様、三番目も男児でした」

 執事長がソファーに座りお茶を飲む大奥様に報告する。

「そう、これで我が家も大安泰ですね」

「しかし、折角の赤い髪が宝の持ち腐れとなるようです」

 侍女頭が項垂れる。

「どういうことなの?」

「真珠の手配を諦めざるを得ないようです」

 執事長が、婉曲に当主の決定を申しわけなさそうに伝える。

「色付き真珠の相場が高騰し、基本四魔法セットが五年で二億の高値となっています。当家でその額を支払うと鉱山を失う可能性が高まります。先代様が苦労して開発したヤマ(鉱山)を手放す事態が……」

「そういうことですか。分かったわ」

 大奥様が立ち上がり、後ろの棚から小ぶりな箱を二つ持ってきた。一つはとても高価そうである。

「ここに色付き真珠があります。これをその子に着けさせなさい」

 大奥様が高価そうな小箱を開けると、銀色の真珠が現れた。

「これは、サンダー領の至宝と言われる銀の魔法が授かるかもしれない真珠」

 執事長の言葉に大奥様が頷く。さらに別の箱から白と黒の真珠を取り出した。これに対しては驚きの声があがらない。白と黒の真珠は装飾用として広く出回っている。

 執事長が内ポケットから小さな箱を取り出す。

「では、私からはこれを」

 箱の中から茶色の真珠を取り出した。

 大奥様と侍女頭が息をのむ。

「たぶん、男児なら、こうなると思っていました。この真珠は我が家に伝わるものです。子のない私には無用のものです。先代様のご恩返しに是非これをご三男様に着けさせてください」

 茶色の真珠は土の魔法を司る。

「ありがとう」

「では私も」

 そう言って侍女頭が首からネックレスを外した。赤色の真珠が付いている。赤は火の魔法を司る。

「娘が生んだ赤ん坊に着ける予定でしたが、生憎の結果で、これが要らなくなりました」

 侍女頭の娘が一週間前に子を産んだが、死産だったらしい。

 三人が持ち寄った銀、白、黒、茶、赤の真珠が五珠、金のチェーンに着けられた。


 赤ん坊はヘンリーと名付けられた。母は残念ながら産後の肥立ちが悪く亡くなった。父の子爵は大奥様の実子ではない、亡き大旦那様の連れ子。赤ん坊の母は大奥様の連れ子。そもそも連れ子の二人が一緒になる予定ではなかった。現子爵には妻がいたが二人の子供を産んだ後、流行り病を患い急逝した。その後、連れ子の二人が結婚したのだが、子爵家三番目の男児を生んだ大奥様の娘でもあるヘンリーの母は帰らぬ人となっていた。


 三週間後、離れに侍女頭の娘シエナの姿が見られた。腕には赤ん坊が抱かれている。侍女、いや乳母なのか、今授乳中のようだ。

「娘が亡くなり、当主が育児放棄とは情けない」

「大奥様、上の二人に手がかかるので仕方がないのでは?」

「ならまだいいのだけれど」

「それに……大奥様が手放さないだけでは……」

 シエナの声がいくぶん小さくなる。

「あら、そんなことはないわよ。いつだって……」

 と続きを言おうとしていると、ドアの開く音がした。

「おばあ様、ヘンリーは起きているの?」

 幼い声とともに長男トーマスが駆けてきた。次男ローガンはよちよち歩きで兄の後をついてくる。

「今お食事中よ」

「どうしてヘンリーだけ、おばあ様と一緒に住んでいるの。どうして僕たちと一緒じゃないの、どうして、教えて」

「あなたたちがいい子にしていたらみんな一緒に住めるわ」

「僕たちいい子にしているよ」

「もっといい子にならないとダメよ」

 トーマスが口を尖らす。

「坊ちゃま方、もう赤ちゃんの準備が整いましたよ」

 シエナ(乳母)が赤ん坊をゆりかごにそっと置いた。

 トーマスとローガンがのぞき込む。トーマスの手が伸び、赤ん坊に触れる。

 キャッキャ、キャッキャ。

 赤ん坊の声に、トーマスは目を一杯に開き、口をあんぐりと開け満面の笑みを見せる。

 ローガンも同じように赤ん坊に触れ、「ウー、ウゥ」の声に喜び溢れる顔をする。

「大きくなって、母が違っても三人が協力しあってほしい」

 大奥様が小さくつぶやいた。


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