05.必然の再会
「う、浮気だなんて誤解だ」
「誤解だって? はは、冗談だろ。婚約者でもない女性とそれだけ密着して腕を組んでいるのに、誤解だなんて言い訳通用するわけないじゃないか。それともなんだい? 侯爵家の嫡男ともあろうマイク・ハミルトン殿はそんな言い分が認められるとでもお思いで? いやぁ、その神経の図太さには恐れ入るよ。流石は皇国の侯爵家の中でも特に力が劣るハミルトン家の跡継ぎだ。よくもまあ、常人にできないことを軽々しくやってのけるものだね」
「なんだと!?」
サイスは一の反論に対し十返す勢いで喋り、極めつけに婚約者殿をせせら笑った。
それはもう、相手を見下し馬鹿にしているのを隠そうともせずに。
なんとも反応が遅いことだが、ようやっと婚約者殿はサイスへの怒りを顕にする。
自分の言い分を認められなかったことに対してか、ハミルトン家への侮辱に対してか、怒りの起点がどこなのかはわからないけれど。
良く言えば穏やかな、悪く言えば頼りのない表情を歪め、サイスを睨みつけている。
「偉そうなことばかり言うけど、そういう君はどこの家の人間だ? 無礼な態度から察するに、どうせ低俗な身分の生まれなんだろうが」
「ああ、そうだね。君が言う通り、確かに僕の生まれは無名の家さ。けど」
「マイク様。こちらは騎士学科のサイス・ラヴクラフト様。ラヴクラフト侯爵家の方です」
「な──」
「嘘っ……」
サイスの言葉に重ねるようにして、彼の素性を婚約者殿に紹介する。
自分よりも爵位が上の相手の言葉を遮ることが無礼なのは承知の上だ。
それでも私は、サイスが自虐的な台詞を吐くのを聞いていたくなかった。
ひたすらに無礼な発言ばかりのサイスがラヴクラフト家の人間だと知ると、二人は目を見開いて言葉を失った。
まあ、それも当然かもしれない。
なんたってラヴクラフト家といえば、皇国の侯爵家の中でもトップクラスの財と権力を持ち、歴代当主は必ずと言っていいほど皇国の要職に就いている。
同じ侯爵家でも、ハミルトン家なんてラヴクラフト家の足元にも及ばないのである。
「……そ、そういう貴方はどうなのよっ」
「?」
「貴方だって、こんな人気のない廊下でサイス様と二人きりだったじゃない! 私たちのことを浮気だって言うんなら、貴方たちも同罪だわ!」
イザベラが私を睨み、この場で初めて吠えた。
ラヴクラフト家のサイスに歯向かっても噛みついても無駄だと考えて、標的を私に変えることにしたのかもしれないが、正直言って言いがかりも甚だしいものだ。
そこまでして自分たちを正当化したいのかと少し感心する。
もちろん皮肉だが。
「……疑われるのも仕方ありませんが、私たちは偶然出会って話をしていただけです。ここにいるのは、お互いこの学院に入学したばかりで、院内の構造や施設を見て回っていたから。決してお二人のように一緒に行動していたわけではありませんし、距離感を間違ってもいないかと」
淡々と返せば、イザベラはすぐに言葉に詰まった。
どうせ揚げ足を取るつもりだったんだろうけど、私の答えに否定できる部分も揚げ足取りができる部分も見つからなかったらしい。
……いやあの、私が言うのもどうかと思うが、突っかかるならそれ相応の準備をしておかなくちゃ駄目だろう。
サイスのように、とまでは流石に言わない。
でも、せめて、ここで食い下がれる程度のストックを作ってから噛みつかないと。
あまりにもぬるすぎて拍子抜けしたというか、イザベラも考えなしのように思えてしまうというか……。
「ケ、ケイト!」
「なんでしょうか?」
「自分の婚約者が馬鹿にされているのに、どうして俺を庇わないんだ? それこそ、君がサイス・ラヴクラフトと浮気している証左じゃないか!」
「──はあ?」
ちょっとこの婚約者殿が何を言っているかわからない。
あまりにも無理矢理すぎるこじつけに、胃のあたりで燻っていた不快感が爆発的に増加し、思わず声に出てしまった。
低いトーンの私の声音に婚約者殿がびくりと震える。
……馬鹿な人だな。少し凄まれたくらいで怖がるくらいなら、最初から何も言わなければいいのに。
吐き捨てるように胸の中でひとりごち、ゆっくりと口を開く。
「お言葉ですが、マイク様」
「……な、なんだ?」
「私が貴方を庇い立てしないのは、サイス様のおっしゃる通りだからです。彼の言い方では些か棘がありますが、状況証拠を見る限り、私にはマイク様とイザベラ様が浮気をしているとしか思えません。良いですか? マイク様がご自分でおっしゃったように、私は貴方の婚約者です。であれば婚約者の浮気を、ましてその浮気相手を叱責する理由こそあれど、庇う理由などありません。私が言っていることは違いますか?」
婚約者殿に反論なんてさせないし、そもそもできるはずがない。
だって、見当違いのこととは言えども、婚約者殿は私とサイスの仲を疑って糾弾しようとした。
それと同じことを私もしたと言ったのだ。
ここで反論しようものなら婚約者殿の言動に整合性が取れなくなってしまう。
いくら頭の足りないらしい婚約者殿でも、さっきの今でそれがわからないはずはない。
「マイク様」
「っ」
「のちほど、二人でゆっくりお話する時間を頂きたいのですが」
私の申し出を受け、不承不承といった体で婚約者殿が頷く。
その様子を見届けたあとで、未だに婚約者殿に侍ったままのイザベラを一瞥した。
真っ赤な瞳と視線が交わったのを確認して、おもむろに瞬きをひとつ。
もちろん貴方の時間も貰うからそのつもりで、という視線を送ったわけだが、……ふむ。
きちんと伝わったようで何よりである。
(それにしても──)
婚約者というだけで相手の言動を束縛する必要があるだなんて、やっぱり面倒なシステムだな。
☩
「……君、あんなに頭の悪いヤツが婚約者で本当に良いわけ?」
婚約者殿たちを寮へと追い返したあと。
再び静けさを取り戻した廊下にて、ひと仕事終えたあとのように脱力する私へ、サイスは哀れみの視線を向けてきた。
会話の最後の方、あの二人はラヴクラフト家を警戒してか、サイスにあれこれと言わなくなった。
そのためサイスは手持ち無沙汰となり、暇潰し代わりに穴だらけの理屈を私にぶつけようとする婚約者殿たちの言動を聞いていたわけだが、……あまりにも雑な理屈しか用意できない彼らにひどく呆れたらしい。
その気持ちは非常に良くわかる。
わかる、けれど。
「あの人と婚約することがソレール家の利益に繋がるのなら、そんなの些末なことだよ」
「ッ──」
「……サイス?」
「ああくそ、ほんっと君ってヤツは自己犠牲が好きだよな!」
不愉快だと言うように、サイスは苦々しく表情を歪めた。
眉間に皺を寄せて、気持ち悪いものを見るかの如くこちらを睨む。
しかしてその表情は、私の目にはどこか苦しげにも映って見える。
……なんとなくだから、私の気の所為かもしれないけれど。
「そんな風に言われるのは心外だな」
「そうかい?」
「そうだよ。だって、私は自分がやりたいことをしてるだけ。それのどこが自己犠牲なの?」
自己犠牲などというサイスの言い分は不可解だった。
だって私には自分を犠牲にしている感覚なんかない。あの人との婚約は私がやりたくてやったこと。
だからこそ、サイスに自己犠牲だなんて言われるのは甚だ心外だった。
「……ったく。無自覚ほど厄介なものはないよね。君と話してるとつくづくそう思うよ」
「えー」
「この際だから言わせてもらうけど、君はずっとそうだ。今もそうだし、昔だって──あの掃き溜めみたいな場所にいた頃だってそうだった。僕はそれが気に入らない。いつもいつも勝手なことばかりして、身を削って、それで僕らが喜ぶとでも思ってるのか? ふざけるのも大概にしろよ」
サイスは怒りを顕に吐き捨て、強かに舌打ちを鳴らす。
「まあ、ケイトにいくら言ったって無駄なんだろうけどさ」
「サイス、」
「僕は寮に戻る。君も門限までには戻れよ」
じゃあね、と足早に去っていく背中を私はじっと見送った。
彼が何をもって自己犠牲と言うのか、私にはてんでわからない。
あの頃だって、私は私のやるべきことを……やりたいことをやっていただけ。
それを苦痛に思ったことはないし、ソレール家に引き取られた今でもそうだ。
「……そういうサイスこそ、自分を犠牲にしていた癖に」
恨みがましい響きを持った呟きが、一人きりの廊下にぽつりと響いた。