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My Dear Villain  作者: 遠野


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36.星月夜に誓う


 自分の表情が凍りついたのは、鏡を見ずとも理解できる。


 身体に余計な力が入り、油を注し忘れた歯車のようなぎこちない動きになった。

 心臓を鷲掴みされたようだと、思わず錯覚してしまう苦しさにも襲われる。


 無意識に拳を握る私へサイスは言った。



「嫌なら別に、無理しなくていいから」



 普段よりも硬質な声音からは、サイスも気を張っていることがありありと伝わってくる。


 前の夜会の日から今日に至るまで、私たちがこの話題を出すことは一度もなかった。

 お互いに触れてはいけない、触れたくない話題だと考えていたのかもしれない。


 その思いの表れとでも言うのか、私たちを取り巻く空気はピンときつく張り詰めている。

 サイスの言葉にどう返したものかと、ほんの少し、唇がぎざぎざな線を描いた。



「……珍しく弱気だね」

「茶化してるのか?」

「まさか。本当にそう思ったから言っただけ」



 でも、そう思われても仕方ない、という自覚はある。

 肯定でも否定でもない返答をすれば、誰だってサイスのように考えるだろうと。



「サイスと婚約するのは嫌じゃないよ。だけど私は、シンクに同じように求婚(プロポーズ)されても、嫌じゃないって答えると思う」

「だろうね」



 サイスはさらりと同意を示した。


 息をするように頷かれたことにより、私の中で、均衡がぐらつく。

 ならば何故、という思いが途端に吹き出して。



「……わかっているなら、どうして」



 気が付けば口からこぼれ落ちていた。


 先ほど凍りついた表情も、今はきっと情けなく崩れているのだろう。


 水面の波紋はさざ波へ、果ては荒れ狂う大きな波へと移り変わる。

 処理しきれない感情が胸に栓をして塞ぎ、呼吸がひどく苦しい。



「それでも僕はケイトが欲しいから」



 かすかに震えた声が降ってくる。


 弾かれるようにサイスを見上れば、視線がかち合った。



「それじゃ駄目かい?」



 いつになく不安げな表情は強ばり、それでも、深緑の瞳は真っ直ぐな光を宿して私を見つめている。


 まるで視線で全身を絡めとられたように身じろぎひとつできない。

 胸の奥がざわざわと揺れる感覚は、もどかしいような、いたたまれないような感情を湧き起こす。



「駄目とは、言わないけど」



 喘ぐような呼吸の合間に、どうにか言葉を絞り出す。



求婚(あんなこと)しなくたって、私の一番はサイスたちだ。今までも、これからも。ずっと変わらない」

「君はそう思っていても、世間はそう思わないさ。結婚した相手が誰にとっても一番の相手だと思われる。それが世間の普通なんだ。僕らがどう思っていようとね」

「……」

「僕はそんなの絶対嫌だ。名実ともに君の一番は僕らじゃなきゃ……僕じゃなきゃ許せない。許さない」

「サイス、」

「僕は」



 語気を強くして、サイスは私の言葉を遮った。



「僕はたぶん、君が好きだ。家族として。姉として。もちろんそれもあるけど、それ以上に……ひとりの異性として、君が好きなんだと思う」



 サイスの手が壊れ物を扱うように私の手を取る。


 びく、と震えてしまったけれど、彼が気に留めた様子はない。



「君だから──ケイトだから僕は触れたいし、触れられたい。手を繋いだり、抱っこしたり……そういうのはティオ相手にだってできるよ。アイツは僕らの妹だからさ。だけどそれ以上は嫌だ。キスしたり、身体を重ねたりするのは君以外に考えられない。有象無象の女なんてもってのほかだ。……想像しただけで反吐が出る」



 ぐ、と私の手を握る力が強くなるが、痛くはなかった。

 言葉も表情も必死さが滲んでいるのに、私に触れる手には力が加減されていて。


 その事実がかえって私を苦しくさせるなんて、きっとサイスは夢にも思わないのだろう。



「私──私、は」

「……」

「同じだけのものを、サイスに返せない……」



 やっとの思いでそれだけを言葉にして、唇を噛む。


 私からサイスへの感情は、彼が私に抱くものよりずっと単純で幼稚なものだ。


 大切にしたい。

 幸せにしたい。

 叶うことならずっと一緒にいたい。


 私の気持ちはそれだけだった。


 そしてそれは、決してサイスだけに向けられる感情じゃない。


 シンクにも、ナインやティオにも同じように抱いている気持ち。

 ……絶対にサイスが私に向ける感情とは違うものだ。



「だから──」

「っなら!」

「!?」

「僕のために、僕の求婚を受けてくれ」



 だから私は求婚を受けられない。

 そう逃げよう(続けよう)とした私に、サイスが邪魔をした。


 痛いくらいの力で握られた手から、あるいはぎらぎら光る強い眼差しから、絶対に逃がさないという意思が痛烈に伝わってくる。


 おかげで手だけではなく、尻込みしそうな心さえもが雁字搦めに捕えられた。



「……サイスのために?」



 か細く、頼りのない声が問いかける。


 サイスから返ってきたのは、力強い頷きだった。



「ああ、そうだ。なあ、ケイト。君は僕と同じ気持ちを返してくれなくてもいい。その代わり、僕を幸せにするために一言、わかったと頷いてくれ。……それが嫌だと思うんなら、仕方ないから諦めてやる。けど、もしそうじゃないなら、『僕と同じ気持ちがないから』なんてどうでもいい理由で断ろうとするくらいなら、ケイトが欲しいと思う僕の望みを叶えろよ」



 懇願はいつの間にか命令へと変わっていた。


 呆然と聞き入る私に、サイスはなおも畳みかける。



「大体なぁ、君ってかなりの馬鹿じゃないか? 僕と同じ気持ちを返せないだって? そんなの重々承知してるっていうか、むしろそれが当然だろうが。僕の感情は僕だけのものだ。あのクソみたいな掃き溜めで育って、侯爵家に引き取られて、勝手に婚約した君に──君に婚約をさせた辺境伯に煮え湯を飲まされた僕だから持ちえたんだぞ。それを君が? 同じものを返せない? 笑わせるなよ。ガキの頃から焦がれてきた君にあっさりと同じだけの感情を返されてみろ、そんなことがあったら僕は死ぬぞ」

「えっ」



 そんな大袈裟な、と言いたかったが、サイスの目は剣呑な色をしている。

 どうやら本気──というか、彼の中では本当のことらしい。そんな死因でいいのかサイス……。



「ふ、普通は同じだけの気持ちを返されたいものなんじゃ……」

「普通のくくりに僕を混ぜるな」

「はい」

「まったく。いいか? 一回しか言わないから、ちゃんと聞けよ」

「うん」

「……僕が好きになったのは、僕らのことが平等に大切な君なんだ。無駄にお姉ちゃんぶって、意固地に僕らを守って、僕らのためなら世界だってぶち壊してしまいそうな、そんなケイトだから好きになったんだよ」



 無理して僕に情愛や性愛を向けなくていい。


 いずれそうなってくれたらとは思うけど、そうなれなくても一向に構わない。



「愛だの恋だの、そんなのは所詮あとづけの理由だよ。これから先、何があってもケイトには僕の隣にずっといて欲しいし、ケイトの隣にいるのは僕でありたい。突き詰めてしまえばそれだけの話なのさ」



 サイスの言葉はそう締めくくられた。


 口をつぐんで耳を傾け、言葉の意味を咀嚼(そしゃく)してゆっくりと飲みこむ。


 前回の夜会で求婚を受けたあとは、消化不良を起こして知恵熱を出してしまったけれど。

 今回はそうはならないだろう、という不可思議な自信があった。


 変なの、と自分でも思う。

 でも、なんだろう? すっと胸が軽くなって、くすぐったいような、照れくさいようなむず痒さが全身に駆け抜ける。


 ほんの少し、サイスの手を握り返す手に力を込めた。


 たったそれだけで、幼馴染は嬉しそうに破顔する。


 珍しい無邪気な笑顔に、私もまた、はにかんだ笑みがほころんで。


 ……何も言っていないのに気持ちが伝わるのは、ちょっとだけ気恥しい気もするけど。


 サイスが相手なら、それも悪くない。



「ねぇ、本当にいいの? 私、元婚約者曰く愛も恋もわからない欠陥品らしいけど」

「……ケイトが馬鹿にされるのは不愉快だけど、言いたいヤツらには言わせておけよ。君が情の深いヤツだってことは僕たちだけが知っていればいい」



 じゃれるように言葉を交わしながら、ほんの一瞬、繋いだ手がほどけて。


 お互いの指を絡め、もう一度、今度はしっかり繋ぎ直した。



「それで? 結局、返事はどうなんだよ?」

「うん。私、サイスを幸せにしたい。サイスの隣にいさせて」



 返事が遅くなってごめん、と言えば、本当だよと憎まれ口が返ってくる。


 しかして表情には隠しきれない喜びがあふれており、その顔を見ていると、私も胸がぽかぽかして、嬉しくて。


 この選択は間違っていないのだと、確信した。


今回の更新はここまでになります。

次の更新までそう時間は空かないと思います、たぶん。


*


残すところ、あと四話ほど。

最後までお付き合いいただければ嬉しいです。


ブクマすると更新通知が届くので、この機会にぜひ。

下にある☆を★にしていただけますと、明日も仕事な作者が飛んで喜びます。

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