04.必然の再会
「……ははは……」
「……うふふ……」
「……?」
「……誰か来たみたいだな」
サイスに引き止められてから、私たちはずっと廊下で話し込んでいた。
放課後という時間によるのか、人の気配が皆無な場所だったため、人目をはばかることなく幼馴染として気楽に話をしていられたのである。
もしこの場に私たち以外の誰かが居たなら、その時はもっとずっと堅苦しい話し方──身分相応の話し方になっていただろう。
学院では基本的に家名を名乗らないのがルールだが、そうは言っても何処からか情報は漏れ出るもの。
どの学科の誰がどの家の子で、既に婚約をしているのかいないのか、しているのなら相手は誰かといった情報は遅かれ早かれ出回っていく。
だからこそ、人目のある時には家名に恥じない言動を心がける必要があるのだ。
口を閉じ、サイスと無言で視線を交わす。
お互い養子ではあるけれど、侯爵家と辺境伯家それぞれの名に泥を塗るつもりはない。
おしゃべりも振る舞いも、外向けにスイッチを切り替える。
いわゆる暗黙の了解というものだ。
「あら?」
「っ!」
「……へえ?」
声の主たちは楽しげに談笑しながら、すぐ近くの階段を上ってきた。
ここは騎士学科と魔法学科の棟の四階。
これより上に階はないので、必然的に声の主たちは私たちの前に姿を現すことになる。
視線を向けると一組の男女が視界に入り、互いを認識した彼らとサイスは三者三様の反応を見せた。
「……ごきげんよう、マイク様。こうしてお会いするのは一年ぶりでしょうか」
「ケイト……」
そんな中、私は淡々と婚約者殿に再会の挨拶を述べる。
そう、今しがた現れた男女の片割れ──男の方の名前はマイク・ハミルトン。
あたたかみのある茶色の髪と瞳を持ち、純朴で優しげな風貌が特徴的な我が婚約者殿である。
震える声で私の名を呼ぶ彼は青ざめ、その顔色はもはや白に近い。
うん、まあ、自分が悪いことをしているという自覚はきちんとあるようで何よりだ。
……その割には、隣の彼女との距離がずいぶん近いままだけれど。
いくら可もなく不可もなくな関係だからといって、婚約者がいるにもかかわらず、他の女性に手を出すのはいかがなものかと思いますがそのあたりどのようなお考えでしょうか。
もし醜聞に繋がった場合、貴方よりもお隣の女性が苦しい立場になるのだと、そういったこともきちんとご理解できていらっしゃるのですか。
マイク様、どうぞ私めに教えてください。
(……なんてね)
流石に思ったままを口に出すわけにはいくまい。
ただでさえ私に苦手意識があるらしい婚約者殿は今、浮気現場を見つかったことにより怯えきっているのだから。
婚約者殿から視線を外し、隣に寄り添う女性へと移す。
真っ白なロングヘアに赤い大きな瞳を持つ、愛嬌のある顔立ちの女の子だった。
背は私よりも低く、華奢な肢体は少し力を入れただけでも折れてしまいそうな脆い印象を受ける。
首元のリボンの色が私と違うので、どうやら彼女は婚約者殿と同じ学年らしい。
白魚のような指にペンだこや染料などの固着は見られないことから、おそらく所属は淑女学科だろう。
(……、ふむ)
色白の透き通った肌といい、色素の抜けた透明感のある髪といい、総じていかにも儚げな少女という雰囲気だ。
なるほど確かに、婚約者殿が目をかけたくなるのも頷ける。
それを世間の目が受け入れてくれるかといえば、まったく別の話になるが。
「マイク様、そちらの方は?」
「あ、えっと、その……」
「私にもご紹介いただけますか?」
世間一般の場合、婚約者の浮気現場を見かけたらどう対応するのが正解なのだろう。
そんなことを考えつつ、恋人さながらに腕を組み、仲睦まじくくっついている二人へと手探りで質問を投げかける。
婚約者殿は言葉に迷い、視線をせわしなく動かすばかりだった。
私に答えを返そうとする気配は一向になく、むしろ、どうやって誤魔化そうかと思案をめぐらせているように見える。
(まったく……)
こういう時、養母のように笑顔で圧をかけられるといいのになと思う。
慈母の如き穏やかな笑みが放つ圧力は、大の男にさえ有無を言わさぬものがある。
ソレール家で誰より強いのは怒った時の養母だと、使用人たち含め共通の認識があるほどだ。
もし私にもあの笑みが使えたら、さっさと婚約者殿を吐かせてそれなりの対応をするというのに。
先ほどからピクリとも動かぬ自分の頬に手を当てて、そっとため息をついた。
「おいおい、ケイト嬢。こんなのわざわざ訊くまでもないじゃないか」
膠着状態に陥る私たちに、突然サイスが切り込んだ。
さっきからずっと黙りこくっていたので、てっきり静観をするつもりなのかとばかり思っていたが、この様子を見る限りそうではなかったらしい。
芝居がかった口調でサイスは婚約者殿たちを一瞥すると、幼い頃から変わらぬ嫌な笑みを浮かべる。
(うわ)
これはやるぞ。絶対にやる顔だ。
そう確信し、内心、婚約者殿たちへと手を合わせる。
「アンタ、ケイト嬢の婚約者のマイク・ハミルトンだろ? ハミルトン侯爵家の嫡男の」
「あ、ああ。そうだけど……」
「──、ハッ。まさか馬鹿正直に頷くなんて思わなかったよ。ずいぶんお粗末な頭のつくりをしてるんだな、アンタ。まあいいけどさ。僕の知ったことじゃないし。というか、婚約者のいる男が婦女子を人気のないところに連れ込もうだなんて、一体どういう神経してたらできるんだろうねぇ? 僕には到底理解できない思考だよ。しかも、……ねぇ、そっちの人。名前は?」
「え、あ、……イザベラ・フロレンスです」
「フロレンス! へぇ、フロレンスっていったら確か、どこぞのド田舎男爵家じゃなかったっけ? ……ふうん? つまりこれは、侯爵家の嫡男と男爵家の令嬢の浮気現場ってことか。それとも男爵令嬢の横恋慕? なるほどなるほど、どちらにせよ、話題に飢えた学院の生徒たちにとっては格好の醜聞だね。よくもまあ誰も愚行を止めないものだ」
口を開いたサイスは生き生きと、それでいてじわじわと二人を追い立てていく。
……どうやら私と婚約者殿が話している間に静かだったのは、どんな風に彼らを貶めようかと思案をめぐらせていたかららしい。
まったく、実にサイスらしいというかなんというか。
悪意を持って嫌味たっぷりにまくしたてるサイスに対して、初めてその餌食となった二人は呆気に取られているようだ。
その証拠に、学院では伏せるのが基本の家名を露出させられたにもかかわらず、反論せず言いたい放題言われっぱなしである。
(まあ、それも仕方ないんだろうけど)
だって普通、初対面の相手からいきなり貶されるなんて思わない。
初めて顔合わせした人間にある程度の距離を取って接するのは、貴賎問わず共通の認識だから。
常識、と言い換えてもいいかもしれない。
けれど、サイスはその常識を敢えて捨てている部分がある。
いつからかはもうおぼえていない。
けど、少なくとも、私たちがまだ同じ施設にいた頃には、今のように他人をこき下ろすことがあった。
特に施設の職員相手にやることが多く、意図的に誰よりもヘイトを集める真似をしていて、それで──
(っ、……やめよう)
ほんの少し思い出しただけなのに、ぞわ、と悪寒が走った。
嫌な出来事ほど忘れられないとはよく言うけれど、まさにそれだ。
僅かに意識を向けただけでも蓋が外れ、引きずり込もうと手をこまねく過去に眉をひそめる。
……と言っても、自分でもようやく知覚できる程度のごくごく小さな動きで、他者からすればわからない変化だろうけど。