幕間 百年の恋も
(まずい)
口づけしているところを見られるなんて、迂闊だった。
彼女のことだから、私たちがこれくらいしていることなんてお見通しだったかもしれない。
けれど、そう思っているだけなのと、実際に現場を見たのでは事情が大きく変わってくる。
しかも、彼女の隣にはあの灸花の君もいた。
やけに彼女を気にかけているサイス・ラヴクラフト。
……いよいよもってまずいかもしれない。
いくらマイク様が侯爵家の生まれでも、皇国に存在する侯爵家においては下位のハミルトン家だ。
同じ侯爵家でも上位に存在するラヴクラフト家や、皇帝陛下のおぼえめでたきソレール家が動くようなことがあれば、弱小男爵家の末娘である私なんて簡単に消し飛んでしまうだろう。
今は本当に愛しているけれど、元々マイク様に近づいたのが打算ありきの感情だっただけに、今更ながら恐ろしくなった。
いくら私たちが愛し合っているからと言って、マイク様にとろけるような熱烈な愛の言葉を囁かれて浮かれてしまったからと言って、本来の婚約者に注意を受けたあとで同じことを繰り返すべきではなかったかもしれない。
顔色を悪くした私に、急にどうしたのかとマイク様が問うてくる。
どうして貴方はこうもケロッとしていられるのだろう? 私はたまらなく不安で仕方ないのに。
思わず胸の裡側に燻る不安を吐露すると、私の愛しい人は──愛しいはずの人は、信じられない言葉を口にした。
「イザベラが不安を感じることはないよ。どうせアイツ、俺以外に嫁の貰い手なんてないんだから、俺の言うことに逆らえるはずがない」
「……え」
「少しくらい顔が良くても、頭が良くても、ケイトは所詮そこまでだ。ソレール家と直接血のつながりがあるわけでもない、庶民以下のどうしようもない生まれなんだから。ただでさえそんななのに、その上、ろくに笑うこともできないようなできそこないに生まれてるんだ。父上が了承しなければあんなやつ、あっという間に行き遅れて恥さらしさ」
(……マイク様は何を言っているの?)
ケイト様に嫁の貰い手がないなんて、そんなはずない。
ミッドナイトブルーの艶やかな髪に縁取られた白皙の美貌も、アイスブルーの冷ややかで理知的な光を宿した瞳も、この世のものとは思えない唯一無二の美しさだ。
彼女ほど青の似合う人を私は知らないし、彼女と同じ色彩を持つ人も聞いたことがない。
また、頭の良さは教養の良さと等しく繋がり、皇国貴族の娘としては十分なステータスになる。
しかもその上、ケイト様は年々出生率が低くなっている魔力持ちの中でも、特に優れた能力を持っていると聞く。
たとえソレール家と血の繋がりがなくても、ずば抜けた魔法士を血族に迎え入れることができるのなら、そしてその際を子孫に受け継がせることができるのなら、それだけで十分お釣りが来るのに。
(なのにどうして、そんなにケイト様を見下せるの?)
「表情が動かないのもそうだけど、あの目と髪も意味がわからないよな。なんだよあの色、気持ち悪い」
「ぁ……」
サァッと全身から血の気が引いた。
冬場の冷水を浴びせられたように熱が引き、指先から凍りついていくように冷たくなるのを感じる。
……嘘、嘘だ。
マイク様がそんなことを言うなんて信じられない。信じたくない。
(お願い、誰か夢だと言って)
老婆のように真っ白な髪と、鮮やかすぎる赤い瞳。
私が生まれながらに持っているもの。
一族にも、領地にも、私と同じ色を持って生まれた人は誰もいない、異端の色。
男爵家の妾に迎えられた農民の生まれの母は不貞を疑われ、虐げられ、果てに精神を病んで屋敷の離れに押し込まれたし、私自身もおとぎ話の魔女だ悪魔の化身だと、奥様を筆頭に屋敷中の人たちから蔑ろにされてここまで育った。
男爵家の血が流れているから、どうにかこうして学院にも通わせてもらえたけれど、いずれ卒業すれば待っているのは特殊趣味な貴族の妾にされる未来だけ。
それだけは絶対に嫌だったし、日に日にやつれていく母をあの離れからどうにか連れ出したくて、入学してからは自分を見初めてくれる同年代の男の子を探し続けた。
そうして出会ったのがマイク様だった。
夜会でひとりぼっちだった私に、お情けで声をかけ、ダンスを踊ってくださったのがきっかけだ。
マイク様はとても優しかった。
誰にも大切にされたことのない私を大切にしてくれた。
真っ白な髪は雪のようで綺麗だと言ってくれたし、真っ赤な瞳は大粒の紅玉のようだと褒めてくださった。
そうな風に言ってくれる人は初めてで──憧れてしまったのも、仕方ないことだと思う。
(……だからこそ)
目の前の人がケイト様を気持ちが悪いと、憎々しげに吐き捨てたことが信じられなかった。聞き間違いだと思いたかった。
けれど、私が黙っている間もあれこれと婚約者の悪口を言い続ける彼の姿が、これが現実なのだと私に突きつけてくる。
ああ、どうして、自分のことを言われたわけじゃないのに、こんなにも胸が痛い。
体調が悪くなったと断って、私は急ぎその場から逃げ出した。
(お願い、誰か嘘だと言って)
あんなにも胸を焦がしていた恋心が、今はちっとも感じられない。
愛おしかった初恋の人は、あっという間に嫌悪の対象へと反転してしまった。
だから……。
「ケイト様っ!」
「──な、あ、イザベラ……?」
「ああ、やはりそうだったのですね。貴女が私を心配してくださった時から、実はずっと気がかりだったのです。貴女ももしかしたら、私と同じ目に遭っているんじゃないかって……!」
だから私は、ケイト様に協力することにした。
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