20.暴走マリオネット
意識がゆらゆら、とろとろと夢現の境界を行ったり来たり漂っている。
思考にぼんやりと霞みがかり、身体は重く、怠く、指先をほんの少し動かすだけでもひどく億劫だった。
空腹感はない。眠気と息苦しさでいっぱいいっぱいだ。
寮母が朝に差し入れてくれた粥も手つかずで残っている。
無理に胃に入れれば吐くのは必至という予感があった。
ろくに身動きが取れず、頭も回らず、食事もできないような現状で、できることといえばせいぜい眠ることくらいのもの。
けれど、それで良いと思った。
あの頃の辛さに比べれば雲泥の差で、大したことはないものの、方向性の違うこちらはそれはそれで厄介である。
……そんなものが現実からの逃避を手助けしてくれるなんて、思ってもみなかった。
昨夜のことは、私たちが引き起こした騒動のこと以外、ほとんど記憶が飛んでいる。
ただぼんやりと、ララに手を引かれて部屋まで戻ってきたような気がするのみだ。
ふわふわした心地のまま夜が明けたら、どういうわけか、私は熱によりベッドから出られなくなっていた。
風邪をひく予兆なんてなかったはずなのだが、事実、こうして出てしまったものは仕方ない。中々部屋を出てこない私を心配して訪ねてきたララに言伝を頼み、今日一日、自室で大人しくしていたというわけ。
本当なら、熱で倒れている暇なんてない。昨夜の騒動について養父に報告しなくちゃいけないし、考えないといけないことだって山ほどある。
なのに、熱で浮かされた頭はまともに働くことができず、思考するなんてもってのほか。
……そうして問題を先延ばしにしてしまっていることに、どこかほっとしている自分がいて、言いようのない気持ち悪さで吐きそうになる。
『僕と婚約して欲しい』
『君の隣に並ぶ未来を……君の伴侶になる権利を、僕にくれないか?』
目をつぶるれば、色鮮やかにあの瞬間が蘇る。
派手な装いを好まない彼らしい落ち着いた品のある装い。
洗練された所作の中に見え隠れする不安と緊張。
手袋越しに感じた熱と力強さ。
私を射抜く眼差しも、嫌味を紡ぐばかりの唇からこぼれた言葉も、どこまでも真っ直ぐで……まるで、私が知っているサイスとは別人のように見えた。
(……怖い)
どうしてサイスはあんなことを言ったんだろう。
婚約しなくたって、伴侶にならなくたって、私はサイスと──サイスたちと一緒にいる。
いくら人の社会に馴染もうとも、人のふりが上手くなろうとも、どうせ私たちが人もどきをやめられるわけではない。
同じ施設で生まれた私たちはお互いしか本当の理解者たりえず、完全に心を許せやしないのだ。
常人の枠を外れた、決して切れない繋がりが私たちには既にあるというのに……なのに何故、サイスは求婚なんてしてきたのだろう?
(今のままで十分じゃないか)
……今のままで、何がいけないんだろう。
☩
コンコンコン、とノックの音が耳に届いた。
霞に溶けていた意識が集まり、起きなければ、と身体に司令を下す。
のろのろと緩慢な動作で身を起こし、扉に向けてどうぞ、とかすれた声を投げかける。
「ケイト様、お加減はいかがですか?」
「……ララ」
「見たところ、お熱はまだ下がっていないようですね。食欲はありますか?」
緩く首を振ると、ララが困ったように眉を下げた。
「早く出た方がいい。うつる」
「うつりませんよ」
キッパリ自信満々に言い切られ、ぱちぱちと目を瞬かせる。
呆ける私にララはふ、と表情をゆるめ、こうつけ足した。
「ケイト様の熱は風邪ではなくて、知恵熱でしょうから」
「……ちえねつ?」
「ええ。近頃はマイク様の浅薄な言動に頭を悩ませ、イザベラ様の相手をし、ご実家に相談してと、ただでさえケイト様は考えることが多かったのに、極めつけに昨日の出来事でしょう? 思考できる元の容量に対し考えなくてはならないことが多すぎて、限界を迎えて知恵熱が出てしまったのだと思いますよ」
「なる、ほど?」
納得できるような、できないような……。
「だからうつる心配もなくて──っと、そうでした。忘れないうちにこちら、渡しておきますね」
そう言って、ララがほがらかな笑顔で渡してきたのは一輪の花。
ぱっと見では赤い百合のようだが、花弁の内側──黄色い部分には筋状の斑点があり、なんだか華やかな印象を受ける。
「……これは?」
「アルストロメリア、という花だそうです」
「うん」
「サイス様からのお見舞いですよ」
「──サイス、の」
反復する声が、花を持つ手が、かすかに震えた。




