02.必然の再会
学院への入学にあたり何か特別な催しかあるかというと、案外そうでもない。
新学期が始まるまでに寮への引越しを済ませ、初日から早速授業が始まるのだ。
学院では王侯貴族も例外なく、使用人を連れ込まないのが規則となっている。
ほかにも家名は名乗らないとか、地位をひけらかす真似をしてはいけないとか、学生が皆、つつがなく学びに集中できるよう配慮した規則が決まっていた。
とにかくそういった事情から、遅れないように自分で起きて身支度を整え、食堂で朝食を摂り、教室へ向かう必要がある。
始業の鐘が鳴るまでに席に着いていなければ遅刻扱いとなるため、生家では使用人にかしずかれ、何もかも任せっきりな坊ちゃん嬢ちゃんにはさぞ大変だろうと思う。
まあ、他人様のことなんて、私が知ったことではないのだけど。
学院入学にあたり、私は魔法学科へと割り振られた。
魔法学科とは読んで字のごとく、魔法について学び、研鑽を重ねる学科である。
魔法士の素養さえあれば、男も女も富める者も貧しい者もすべからく受け入れられる。裏を返せば、それだけ魔法士の素養を持つ者は希少ということなのだが。
生まれた頃から私は魔法が使えたので、魔法学科生になるのは至極当然の成り行きだった。
ちなみに、魔法学科のほかには、皇国騎士団への入団を見据えたカリキュラムを組まれる騎士学科や、医師・薬師になるべく知識と経験を積む医薬学科、淑女のたしなみに重きを置いた淑女学科などがある。
全学科共通の科目に加え、それぞれの学科に応じた特別科目を二年間の学院生活で身につけることになる。
卒業後の進路は当然、出身の学科に応じたものになることが多い。
そうでない場合は大抵、生家の指示があったか、そもそも生家が没落したかのどちらからしい。
ごくごく稀に本人たっての希望ということもあるようだが、十数年に一人くらいの頻度なんだとか。
なお、私の婚約者殿は騎士学科の二年生である。
幼馴染も同じく、騎士学科に通っているはずだ。
魔法学科と騎士学科は教室が同じ棟にあり、位置も近い。
だから、ともすれば、さっそく幼馴染を見つけられるかもしれないと淡い期待を抱いていたのだけど──
(こんなにあっさり見つかるとは思わなかったな)
授業に伴う教室移動のさなか、騎士学科の教室のそばを通りかかった時、目についた突飛な緑髪。
青髪の私が言えた話じゃないけど、恐らく皇国──否、世界中のどこを探しても、彼以外にあの髪色をした人間はいないだろうと思う。
(大きくなったなぁ)
移動中で一瞥しかできなかったけど、記憶の中の彼よりずっと身長が伸びていた。
わかったのはそれだけでも、しみじみとして、姉貴分としてはなんだか感慨深い心持ちである。
(……また、時間がある時に様子見に来よう)
心の中で独りごちる。
気付かぬうちに、教室移動の足取りは軽くなっていた。
☩
カーン、カーンと終業の鐘が鳴った。
これにて本日の授業は全て終了し、放課後を迎える。
入学初日ということもあって、今日受けた授業はどれもこれもオリエンテーションがメインだった。
おかげで大して疲れるようなことは何もなかったのだが、……どうやらクラスメイトはそうでもないらしい。
多かれ少なかれ顔に疲労感を滲ませて、手早く荷物を片付けると教室を後にしていく。
(まあ、新しい環境だし)
慣れないうちはそれも仕方ないか、と納得する。
とはいえ、既に言った通り、私はさほど疲れていない。
それに、今日の授業では課題も出ていないし、荷解きもとうに終わっているので、まっすぐ寮に戻っても暇を持て余すだけだ。
(少し院内を見て歩こうかな)
皇国中から少年少女の集まる学院は、皇都と隣接する広大な土地に位置する。
敷地内には座学やサロンで使われる教室棟のほか、第一から第四までの訓練場があり、大中小の講堂もありと、一日二日じゃ到底見て周りきれない施設が揃っている。
流石皇国が運営するだけあって、どこもかしこもお金がかけられているのは明白だった。
皇国の歴史と共にある、と謳われるほど古い歴史を持つ学院ながら、施設の細部に至るまで新設のように綺麗。
それでいて、ところどころに歴史相応の旧さを感じさせるアンティークな造りも残っている。
(維持だけでも、相当力を入れてるのがわかるな)
それだけこの学院に価値があるということなのだろう。
残念ながら、私にはわからない価値観だけど。
「やあ、そこにいるのはケイトじゃないか」
「──え」
「相変わらず辛気臭い顔してるよねぇ、君。そんな愛想のない顔じゃ、そのうち愛しの婚約者に捨てられるんじゃないの?」
唐突に、背後から声がかかった。
誰だか知らないけどやけに馴れ馴れしいし、いきなりものすごく嫌味ったらしいな。
そう思いながらの振り向きざま、佇んでいた人影の正体に息を飲む。
声だけではわからなかった。
だって、私たちが最後に話したのは五年近く前のことだ。
声変わりする前と後じゃ、声がまったく違うことは婚約者殿の時でよく知っている。
それは彼とて例外でなく、記憶とまったく違う響きをした声に、すぐに気づくなんて不可能だった。
だけど、姿は──容姿はきちんと過去の面影を残していた。
針葉樹の葉のように深い緑の髪も、同じ色をした瞳も、性格の悪さに比例するかの如き目つきの悪さも、どこか人を小馬鹿にしたように浮かぶ口元の薄い笑みも全部全部全部……あの頃と何一つ変わらない。
「サイス?」
ほんとうに?
……ほんとうに、サイスなの?
幼馴染の名前を呼ぶ声が、ひどく震える。
どうしてこんなに震えているのか、自分でも理由はわからなかった。
ひたすらの困惑。困惑。困惑。
──でも、その困惑は、決して不快なものではなくて。
「へえ?」
しかして現実とは、総じて上手くいかないものだ。
こちらの想いは歪曲した形で伝わってしまったらしく、サイスの柳眉がギリギリと山なりに吊り上がる。
これは確か、サイスが気分を損ねた時に見せる不機嫌顔だ。
となると今からサイズお得意の嫌味攻撃が始まるわけだが、……うーん。
人生って、コミュニケーションって、中々どうして難しい。
「何? 君、五年も会わなかったら簡単に僕の顔を忘れられるんだ? へええ? そうかい。まさか君がそんなに薄情なヤツだとは思わなかったよ。散々僕の姉ぶったって、結局君にとっての僕はその程度の存在ってことか。ふうん?」
(あ、拗ねた)
これは完全に拗ねているヤツだ。私にはわかる。
なんたって私とサイスは生まれた時からおよそ十年間、それぞれ侯爵家と辺境伯家に引き取られるまでの間、ずっと同じ施設で育ったのだ。
それだけ長い時間を共に過ごしていれば、嫌味攻撃の裏に隠れた思いを読み取る術だって身につこうというもの。
ただしサイス相手に限る、という注意書きはつくのだけれど。
「サイスはちょっと、誤解してる」
「誤解だって? なら、今すぐ弁明してみなよ」
「……だって、五年だよ? 君と疎遠になってから、もう五年も経ってる。なのにまさか、君の方から声をかけてくれるなんて思わなくて、すごくびっくりした」
「うっ」
私の弁明にサイスは気まずげな声を上げた。
まあ、それも当然かもしれない。
私たちが疎遠になるにあたり、火蓋を切ったのは他ならぬサイスなのだから。
「確かに私に婚約者はできてしまったけど、シンクを含めた三人で会うなら問題なかったはずだよ。気になったから、それは養父様にもきちんと確認を取ったし。……なのに君は、パッタリと姿を見せなくなった。シンクには会ってるのに、私とは会ってくれなくなった。手紙だってちっとも返してくれないし」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ度に、サイスの眉間に皺が寄っていく。
薄い唇もへの字に曲げていて、……不機嫌というよりは居心地悪そうな様子だ。
「……悪かったよ」
小さな声でボソッとサイスが呟く。
視線を逸らしているのは、自分にも非があることを認めてのことだろうから、わざわざ指摘するのはやめておくとして。
「話しかけてくれたから、いいよ」
だってずっと、君にまた会いたかったから。
喜色の滲む声と共に、口元には小さな笑みがほころんだ。