140.私の学び舎エバーグリーン
「師匠、短い間でしたがお世話になりました」
私たちは小屋を出た後、他愛のない会話をしながら丘の麓まで下りてきていた。
空には少し雲があるけれどほんのりと温かくて、歩くにはとても良い天気だ。
時折草原を駆け抜ける風が、緑の香りと冷たさを運んでくる。
師匠にはいいと言ったのだけど、畑を見るついでだからと、わざわざここまで付いてきてくれたのだ。
「ああ、短い間だったがよく頑張ったな、リア」
「ありがとうございます。私も師匠が師匠で良かったです」
「そうか、それは良かった。リア、お前がここで学んだことは全てでは無い。しかしここで得た経験は、いつかきっとお前の助けになるだろう。旅先で多くを見て学び、更なる高みを目指して精進せい」
「師匠・・・」
「そうだ、旅立つお前にこれを託そう」
師匠は小屋からずっと大事そうに抱えていた布を開き、私の前に差し出した。
それは小さなランタンのようなものと、何かが入った布の袋だった。
「あ・・これって!」
「これは、昔儂が使っていた香炉だ」
「へぇ~、私香炉って初めてみたよ~。しかもこれ、穴が花の形になっててかわいいね~」
「ほほぅ、これは良い品物じゃないか。もしかしてサイラスの秘蔵品か?」
「し、師匠!こんな高そうな物受け取れませんよ!?」
家にも香炉はあったけど、これは明らかに骨董品の類だ。
そもそも香炉なんて、普通の家庭に普通に置いてあるものでは無い。
うちでは偶々お母さんが使っていたけども、製薬の時以外に使っているのは見たことが無い。
「いや、これは今のお前には必要なものだ」
「今の私に必要なもの?」
「これは魔獣除けの香炉だ」
「魔獣除け?へぇー、そんなのもあるんだ」
「正確には中に入っている香木が、だがな。ほれ、丘の回りに生えているだろう?」
師匠は、丘の周りを取り囲むように生えている低木を指さした。
何で丘に魔獣が入って来なかったか疑問だったけど、こういうことだったんだ、なるほどなるほど。
これだけ効果があるんだったら安全に旅が出来そうだし、素直に受け取った方が良さそうかな。
「ほれ、こっちの袋にその香木が入っている。一緒に持っていくといい」
「はい、ありがとうございます!」
「お~、これで安全に旅が出来るね~」
「うん!・・あ、でも足りなくなったらどうしよう?」
「そう言えば、他の町では見かけなかったね~?」
「時間が無くてしっかり見てなかったけど、城下町の道具屋に売ってるのかも。ねぇギルさん・・」
盛り上がる私とミラを横目に、ギルさんは少し渋い顔をしている。
「どうしたんですか、ギルさん?」
「あ、いや、城下町の道具屋にそんなもの売ってたかなって思ってな」
「え、無いんですか?」
「うーむ、必要なもの以外はあまり気に掛けていないからな。ただ単に見逃してるだけかもしれん」
「そっかぁ。ねぇ師匠・・」
質問しようと振り返ると、師匠は少し呆れたような顔をしていた。
「ふぅ・・・リア、観察、照合、考察だ」
「あ・・」
師匠がこの言葉を使う時は、ちゃんと考えれば答え必ず見つけられるということだ。
つまり答えに繋がるものは、目の前に揃っている。
師匠が私に見せたのは、香炉と香木と香木の素になる木・・・あ、そうか!分かった!
「ミラ、城下町の・・ううん、多分どこの道具屋にも置いてないと思う。そうですよね、師匠?」
「うむ、そうだ。これはどこの道具屋にも置かれていない物だ」
「やっぱり」
「そっか~、じゃあこれは大事に使わないとね~」
「そうだね。でも、これと同じ木を見つければ補充できるってことですよね?」
「ああそうだ。で、他に気付いたことはあるか?」
「他に?・・うーんうーん」
師匠が『他に』って言うことは、他にも何か重要なことが抜けているという意味だ。
調達のこと以外だとすると、使い方とかかなぁ?
「あ~、もしかして~・・」
「待て待て、これはリア自身に答えを出させるための試験だ」
「は~い。じゃあ私はお口ばってんにしま~す」
「さてどうだ、分かったか?」
「うーん・・焚き過ぎちゃダメとか、熱いから気を付けろってことじゃないですよね?」
「そんな初歩的なことではない。もっと別のことだ」
「うぅ~~~ん・・・ダメだぁ、思いつかないよ!師匠、ヒント下さいヒント!」
「ふぅ、日が暮れて出発が遅れても仕方ないし、少しだけだ。ヒントは道具屋に置かれてないということだ」
道具屋に置いてない?
それって、流通させられない理由があるってことかな?
現地調達出来るみたいだから材料の調達が難しいってことは無いだろうし、高すぎて売れないから置いてないっていうのはあるかもしれないけど、需要自体はありそうだよねぇ。
もしかして、香炉が必要だから?
いや、香炉が無くても焚火の中にでも放り込んでおけば安全に休憩出来るから、もっと需要があってもいいはず。
それなのに売れない理由って、もしかして・・・
「えーっと師匠、このお香って効果の無い魔獣がいたりしませんか?」
「うむ、ようやく正解に辿り着いたな」
「まぁ、ヒント貰ってなんとかですけどね」
「わ~い、私はヒント無しで正解したよ~!」
「この香は、虫系と一部の獣系にしか効果が無い。だから使いどころを間違えないようにな」
「はい・・あ、でもそれって、旅先で他の魔獣に効果のある香木が見つかるかもしれないってことですよね?」
「うむ。旅のついでの研究としては面白そうだろう?」
「はい!よーし、旅先で気になった物はどんどん試すぞー!」
「ふふっ、その意気で頑張るんだな。さあ、行って世界を見てこいリア!」
「はい!師匠もお元気で!」
師匠に別れを告げ、私たちは丘を後にした。
ここはエバーグリーンの丘、私の学び舎で私の師匠が住んでいる場所。
またいつか帰るその日まで、さようなら!




