129.師匠
「もぉ~~っ、本当にこんなところに人なんて住んでいるの!?」
意気揚々と丘に入ったものの、行けども行けども草むらばかりの変わらない風景でうんざりしていたところだった。
最初にあった獣道も次第に細くなり、今では道と呼べるようなものすら見えていない。
ここに来るまで人影どころか畑すらも見当たらなかったし、手入れされているような感じも無かった。
もしかして、薬草仙人のおじいちゃんって既に亡くなってるんじゃないのかなぁ?
「ふむ、前に来た時はここまでじゃなかったのにな」
「じゃあ、やっぱり・・・」
「いや、少し前にサイラスと手紙の受け渡しをしてるから、それは無いと思うぞ」
「そっかぁ。じゃあ、どこかですれ違っちゃってるだけなのかな」
どうやら、薬草仙人のおじいちゃんはサイラスって名前らしい。
70歳にもなってこんな場所を歩き回れるなんて、相当健康なんだろう。
元アルケミスト長みたいだし、秘密の薬で・・・って、いやいや、変な想像は止めておこう。
「ふぅ・・ちょっと休憩しませんか?」
「そうだな、少し小腹も空いたし休憩にするか」
「あ、じゃあ町で買ったパンでも食べませんか?」
「ふむ、それもいいがあれはどうかな?」
「え・・・あ、ベルベリー!」
ギルさんが指を指した先には、赤い実を鈴なりにつける低木があった。
庶民のおやつ、ベルベリーだ。
このベルベリーという植物、日当たりのいい場所なら大体生えている。
おまけに結構強いから、ほったらかしにしても勝手に成長してくれるので、よく家の庭先に植えられている。
子供たちのおやつの定番品だけど、煮詰めてジャムに、酒に付けて果実酒にしたりと用途も広い。
大抵の人なら、誰もが一度は食べたことのあるものだ。
「いい感じに赤くなってますねー」
「うーむ、俺は黒いのが好きなんだがな」
「あはは、うちのお父さんと同じですね。確かに黒いのは甘いんですけど、種が多くて柔らかいから私はちょっと苦手だなぁ」
「いやいや、あの完熟した甘さがいいんじゃないか。・・・お、こっちに丁度いい感じのがあるじゃないか!」
自分好みの色を見つけたのか、ギルさんが黒い実に手を伸ばす。
と同時に、木の裏側から誰かの声が聞こえてくる。
「それはやめておけ、ギル」
「だ、だれっ?!」
木の影から、もえぎ色のローブを纏った白髪の老人が現れた。
「それはベルベリーではなく、フェイクベリーだ。まあ、苦しみたいなら止はしないがな」
「おう相変わらずだな、サイラス」
サイラス・・・?
ってことは、この人が薬草仙人のおじいちゃん!?
70歳って聞いてたけど、背中はピンとしてるし年齢より若く見える。
「で、横の小娘は誰だ?」
「こ、小娘って・・・」
「ああ、この嬢ちゃんが手紙に書いた例の奴だ」
「ふむ、随分と小便臭い子供じゃのう」
「えっ、臭い!?」
臭いと言われて顔が熱くなり、思わず股の間に手を当てる。
だ、大丈夫だと思ってたのに、そんなに臭ってた?!
「あー、多分勘違いしてると思うが、”小便臭い”っていうのは、未熟って意味だぞ?」
「え?あ、そうなんだ。私はてっきり・・・」
「てっきり?何だ、漏らしてたのか?」
「も、漏らしてなんか無いよ!」
「そうか?まぁ戦場にいた時は、汗臭いのも小便臭いのもの大して変わらなかったからな」
「大した変わらないって・・・」
確かにどっちも臭いものには違いないけど、一緒にされるのはちょっと嫌だなぁ。
「ギル、それは違うぞ。汗の成分と尿の成分には明確な違いがあってな・・・」
どうやらギルさんのざっくりとした認識が、サイラスさんの研究者魂に火を付けてしまったようだ。こういうところを見ると、サイラスさんがアルケミストだった理由が分かるような気がする。
ちなみにサイラスさんの話の内容は難し過ぎて、頭の中に入ってこない。
ギルさんは何とか対応しているように見えるけど、ちょっと押され気味な様子なのは見て取れる。
「あのー、その話は置いといて、弟子入りの話をしたいんですけど」
「む、弟子入りの話だと?」
「はい。王様がサイラスさんに弟子入りしろって」
「ふむ、確かに王から手紙は受け取っているが」
「じゃあ、それなら・・・」
「話は最後まで聞け。手紙は受け取っているが、弟子入りをさせろとは書いておらん」
「ええっ?!」
「手紙には『面白そうな娘を送る。興味が沸いたら傍においてやれ』と書いてあっただけだ」
「そ、それって・・・」
それって興味が沸かなかったら、帰れって言ってるようなものだよね?
冗談じゃない!
せっかくここまで来たのに、また振出しに戻れってこと?!
「知的探求心の無い者を傍においても、儂が得るものは何も無い。早々に立ち去るが良い」
「ま、待って!せめて話だけでも!」
サイラスさんがローブを翻して立ち去ろうとするのを見て、慌てて呼び止める。
「ならば、今のお前に儂の探求心を掻き立てるようなものがあるというのか?」
「そ、それは・・・」
私は言葉に詰まってしまった。
知識も技術も未熟な私が、その頂点にいるような人の目に留まるようなことがあるはず無い。
今の私が知っていることなんて、今更というものばかりだろう。
また諦めるしかないの・・・?
「まあまあサイラス、お前が人嫌いな理由は知ってるが、そう嬢ちゃんを虐めなさんな」
「虐めるだと?儂はもう引退した身、今更王のわがままで興味の無いことに時間を割く理由など無いはずだ」
「・・・興味ならあるはずだぞ?」
「ほほう?それがもし嘘だったら、暫く雑用でこき使ってやるが構わんな?」
「ああ、俺は構わんぜ?」
「ふふ、そろそろ便所の掃除をしなくてはと思ってたとこだ。丁度いい、お前にやってもらうとするか」
な・・何だか話が変な方に進んでない?
ギルさんが庇ってくれるのは嬉しいんだけど、それに見合うようなものなんて持ってないと思うんだけど。
「ほれ、これだ」
「ふむ・・・なんだ、ただの軟膏じゃないか」
「あ、それって・・・」
ギルさんが道具袋から出してきたのは、あの時にあげた軟膏だった。
バイゼンさんはこれを”霊薬かそれに近いもの”って言っていたけど、サイラスさんになら出来そうなものだ。
正直、これが決め手でサイラスさんが興味を持ってくれるとは思えない。
「昔、城にいた時に言ってただろう?『魔女の秘薬を研究したい』ってな」
「確かにそう言ったが、まさかこれがメリルの秘薬だと言い張るつもりか?」
「いや、これはメリルの秘薬じゃない。だが、それに近しいものだと確信してる。証拠を見せてやろう」
ギルさんはナイフを手に取ると、ブレンダさんと同じことをする。
もちろん結果はいつも通りで、傷跡も残らず綺麗に治っていた。
「ふむ、確かにメリルの秘薬と効果は遜色ないようだな」
「実際俺が見た時は、もっと凄かったぞ?なんせ、瀕死に近い奴が次の日にはピンピンしてるくらいだったからな」
「ほほう、それは興味深い!」
「そうだろそうだろ?!」
さっきとは違って、目を輝かせるように前のめりになって話を聞くサイラスさん。
私が気になっているのはそんなことよりも、さっきから出てる”メリルの秘薬”という名前だ。
この旅で何度も聞いた、英雄白き魔女の名前とその薬の話。
なのに、その英雄がどこに行ったかは誰も知らない。
あのお話のように、本当に空に帰ってしまって、誰も知らないだけなのだろうか?
「ふむ・・・ということは、この娘がメリルのいる場所を知っているということか?」
「いや、そういうことじゃない。この薬は、嬢ちゃんが作ったものだ」
「この娘が・・・?それは本当なのか?」
「はい、本当ですけど」
「そうか。なら、他の薬は作れないか?」
「えっと、その・・・ポーションの作り方はセイブスさんから教えて貰ったんですけど、一度も成功はしませんでした」
「成功しなかっただと?」
「その・・効果が強すぎて毒薬と同じだって言われちゃいまして」
「そうか、あのバカ息子がか」
「え、息子って?」
「ん、知らなかったのか嬢ちゃん?セイブスはサイラスの息子だよ」
「それ、初耳です!」
うーん、そう言われてもあんまり面影が似て無い気がする。
もしかすると、セイブスさんはお母さん似なのかも。
あ、でも、研究熱心な所はそっくり!
「分かった、その娘を預かろう」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
「良かったな、嬢ちゃん!」
「勘違いするな。使えるかどうか見るのに、暫く置いてやるだけだ。使えないと判断したら、すぐにでも丘から出て行ってもらうからな」
「はい!私、頑張ります!」
「なら覚悟しておけ。明日から畑を手伝ってもらうから、そのつもりでな」
私はこれから、この人から色んなことを教えてもらうことになるだろう。
だから他人行儀にさん付けで呼ぶのは失礼だと思う。
薬草仙人だから仙人様?
それとも、教えを乞う人だから先生?
ううん違う、ブロウさんたちを見ていたとき、これだと思っていた言葉がある。
「よろしくお願いします、師匠!」
「師匠?」
「あ、やっぱり他の呼び方が良かったですか?」
「構わん、好きにしろ」
「くくっ、師匠は新しいねぇ」
私の呼び方がギルさんのツボにはまったのか、急に笑い出した。
それを子供の喧嘩のように、師匠はジト目で言い返す。
「何だ、用が済んだのにまだ帰ってなかったのか、ギル」
「おいおい、折角コイツを土産に持ってきたのに追い返す気かよ!?」
「ほう、ステップランナーか。血抜きもしっかりされてるようだな」
「ほら、卵もあるぜ」
「ふむ、畑にコイツに合う薬草があったな。帰りに摘んでいくとするか」
「まてまて、お前が作ると薬草臭過ぎて肉の味が分からなくなる!」
「何だと?お前が作ると獣臭くて食えたもんじゃないわ!」
「何を言う!肉ってのは、獣臭いから食った気になるんじゃないか!」
「臭くて食えないと言っておるのだ!そもそも肉に薬草を使うのはな、味付けの為だけでなく肉の臭みを取ったり・・・」
あ、これは長くなりそう。
ここまで歩きっぱなしでヘトヘトだし、このままずっと立たされるのはちょっとしんどいなぁ。
着いた先でちょっと頑張らなきゃだけど仕方が無い。
覚悟を決めて二人の話に割って入る。
「あのっ、私が作りますから喧嘩しないで下さい!」
『そうか、作ってくれるか!』
「えっ、あれっ?喧嘩してない?」
「いやぁ、これで飯が出来るまでゆっくり休めそうだな」
「ふむ、人の手作りなんて何年振りだろうか」
今夜の食事を作らなくて安心しているのか、二人とも満面の笑顔を浮かべている。
もしかして私、嵌められた・・・?
「そうだギル、小屋の近くのベルベリーがちょうど黒くなってて食べ頃だったぞ」
「お、いいねいいねぇ!食後の甘い物に摘んでおくかな!」
二人をやり取りを見ていると、やっぱり仲がいいだなって思う。
私もみんなとこんな風な関係になれるかな?
「さて、そろそろ戻らんと日が暮れるぞ」
「なら急がないとな。ほら、ぼさっとしてると置いてくぞ、嬢ちゃん!」
「あ、待ってー!」
こうして私はサイラス師匠の下に弟子入りをすることになった。
きっとここから、私の人生は大きく変わっていくのだろう。
変わることへの不安はあるけど、それ以上に期待で胸が満ち溢れている。
さあ、新しい未来への一歩を踏み出そう!




