覚醒
さらば地球よ……。
旅立った宇宙船内で、僕は独り目覚めた。
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※ 他サイトイベント投稿用作品ですが、こちらでも公開します。
青い……半透明のプールのような空間に、僕は浮かんでいる。
時折、青が揺らいで、ラムネのビンのような淡い水色になり、かと思えばインクを溶かしたような深い藍色に染まる。青の濃淡は、碧や紫を交えながらゆっくりと色相を変え、ただここに揺蕩う小さな存在を包み込んでいる。
温度も音も匂いも、重力さえ感じない。
色を感じるということは、光が存在するのだろうか。しかし、僕の瞼は閉じられたままだ。寒色系のスペクトルは、直接脳の中に電気信号として送られているみたいだ。
――そうか、覚醒が近いんだ。
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――ピピッ……ピピッ……
鼓膜が震える感触に、こそばゆさを覚える。
暫く、聴覚を使っていなかったからなのか。日常的に音が溢れていた時には、こんな感触は知らなかった。生体学の講義でも、習わなかったはずだ――。
『乗船員・二等航海士、宗方・リン・海渡中尉、正常ニ覚醒シマシタ』
中性的な機械音が、僕の名を呼ぶ。同時に微かな空気の流れが睡眠カプセル――通称「コクーン」――の中に生まれる。覚醒後、活動開始に必要な濃度まで酸素を満たしているのだ。ゆっくり慎重に深呼吸を繰り返す度に、全身を巡る血流の速度が上がってゆく気がする。指先が温かく感じられるのを待って、漸く瞼を持ち上げた。
「――ぁあ……」
吐き出した呼気に混じって、掠れた声が出た。よく知るはずの自分の声音がよそよそしくて、びっくりした。
見開いた視界に、コクーンの天井――上蓋が視えてくる。薄明に近い静かな闇は、網膜へ与える負荷を最小限にするためだが、色や形を身体の器官で認識すると、途端に心細くなってしまう。
大丈夫、大丈夫。落ち着け、リン。何度も訓練したはずだ。たかが、コクーンの中じゃないか――。
そう、僕らは訓練を執拗に繰り返し、そして選ばれて、この宇宙船「ノア」に乗船したのだ。
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「ノア計画?」
まるでSFみたいなプロジェクトの中身を聞かされたのは、今から15年前のことだ。
「世界規模の極秘プロジェクトだ。ここに呼ばれた諸君は、乗船最終候補者という訳だ」
真白な巨大スクリーンを背にした長官が、サラリと告げる。殊更、重々しく伝えられても困りものだが、淡いグレーの長髪が印象的な若き宇宙庁長官は、美術品の来歴でも解説するかのように淡々と言葉を紡いだ。
実際、既に決定済みの事柄を通達しているのだ。人類の希望を込めたミッションではあるが、その価値と同等の重さを押し付けたところで、余計なプレッシャーを生むだけだろう。
「最終候補者ということは、当確ではないのね? 幸運な旅人は何人になるのかしら」
斜め前に座るブロンド美人が問いかける。皮肉めいた物言いを受けるも、むしろ長官は口角を上げた。
「6人だ」
長テーブルの左右にパイプ椅子が1脚ずつ。テーブルが2列5段に配置され、最前列は空席だから――集められたのは、16人。
半分以上をふるいにかけるつもりか。
「へぇ。なかなかの狭き門ですね」
栗毛色の頭髪をツンと立てた少年が、ライバル達をぐるり、見回す。まだ幼さの残るソバカス顔に、自信家を思わせる鳶色の瞳。
「それじゃ、概要に移らせて貰おう」
一通り我々を眺めると、長官は机上のタッチパネルを操作した。男性らしからぬ細長い白い指が律を乱さず滑ると、室内が暗転し、スクリーンに映像が投影された。
暗闇の空間にポカリと浮かぶ青い球体。我々人類のゆりかごにして母船、地球だ。
想像上の原始地球の荒々しい姿から始まり、早送りで歴史を重ねてゆく。映像に連動して、地球年齢を示すカウンターがスクリーン右上で目まぐるしく動いている。やがて地表が緑豊かになったのも束の間、煙突が林立し――そこから一気に空が濁り、大気汚染が始まった。
人口増加に伴う乱開発と化学物質汚染。温室効果ガスの大量排出による気候変動、大型化した自然災害の多発――。
人類の諸活動により、地球が長くは持たないという予測は、今から800年以上前からなされていた。
いや――それよりもっと以前から、人類は「持続可能な世界」を目指して対策を講じてきたはずなのだ。
しかし、環境対策も人口抑制政策も、排他的な民族主義という高い壁が立ちはだかり、思うような成果は上がらなかった。
自国の利益追求に走った大国と、幾つかの野心的な小国。国際協調の輪を乱した数ヵ国の動向を止めることに失敗すると、世界は徐々に未来に対する責任を放棄していった。
『改めよ! この星を諦める終末が近づいている』――。
500年前、時の法王が異例の警告を発した。
それでも人類は、何も変えられなかった。
国際協力、和平、多様性の尊重――空々しいスローガンを掲げた国際会議が数え切れぬ程繰り返されても、世界各地で頻発する紛争を止めることが出来ず、異文化や他宗教を認め合うことが叶わなかった。
良識ある枢軸国のトップが極秘裡に会談を持ち、人類の叡智と生命の遺産を、地球外に運び出す計画を立てたのが、およそ400年前。
荒唐無稽な絵空事に思えたが、火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。そこから人類は、驚異的な科学の進歩を果たした。
約300年前、理論的には確立していた超光速航法が実用化されると、人類はこぞって太陽系内外の探索に精を出した。木星の衛星上にコロニーを建設し、実験的な地球外生活が営まれた。人類が宇宙空間に適応可能だと結論づけられると、次々とコロニーが誕生し、コロニー間を結ぶ定期便が就航した。
一方、別のチームは、人体の限界を模索した。具体的には、冷凍睡眠の技術開発だ。大規模な実験施設を要さずとも、安全に目覚めさせる技術と装置の完成に、2世紀超を費やした。
「皆も知っての通り、今や我々はプロキシマbまで、1年あれば辿り着けるようになった」
映像が切り替わる。宇宙開拓黎明期に活躍したレトロな船が、地球を遠く離れて恒星を目指している。今日日、こんな船は歴史資料館でしかお目にかかれない。
ケンタウルス座のアルファ星――アルファ・ケンタウリは、古から地球に最も近い恒星として知られていた。この星を含む三連星の1つ、プロキシマ・ケンタウリを「太陽」とする地球型惑星が、プロキシマbだ。宇宙開拓史におけるマイルストーンとして、初等教育の教科書にも載っている。
その理由は、人類が太陽系外に初めて建設したコロニー「ケイロン」があり、現在では1億人近い居住者を抱えるからである。
「諸君が携わるプロジェクトの目的地は、プロキシマbのおよそ10倍――48光年先にある」
「片道12年の旅ですか」
誰かが呟いた。
「8年前、太陽系に酷似した恒星系が発見されたことは、覚えているかね」
「ルシファーですね」
「そうだ。君は――宇宙鉱物学の」
「ラッセルです。ジョシュア・ラッセル少尉です」
赤毛の青年が会釈した。
「うむ。我々人類は、1世紀後には『ルシファー』に完全移住を果たす」
数人が小さな驚声を上げた。これもまた決定事項なのだろうが、内容のスケールがまるで違う。
『完全移住』――まだ人類が誰も到達していない未知の惑星へ、この母星を捨てて大移動するというのだ。
沈黙が訪れ、室内を支配した。
再び我々を一通り眺めた長官は、零れた幾本の前髪を掻き上げると、スクリーンに次の映像を映し出した。
それは膨大な観測データを元に創られた恒星系の姿だった。
地球から、およそ48光年。肉眼では捉えられない恒星が、宇宙空間に設置された巨大望遠鏡により発見された。
その恒星が注目を集めたのは、7個の地球型惑星を従えており、この内の第3から第5惑星がハビタブルゾーン内にあると予想されたからだ。すなわち、生物生存可能条件を満たしていると考えられ、第2の太陽系とまで呼ばれるようになった。
『光をもたらす者』の意味を込めて、その恒星は『ルシファー』と名付けられた。
「諸君のミッションは、移住前の最終調査と報告だ」
もう驚く者はいなかった。ただ、選ばれし者に与えられる仕事の意味を、各々が噛み締めていた。