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365個の物語  作者: ひなた
弥生 このまま別れは悲しいだろう
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弥生九日

  涙目で 「ありがと」なんて 微笑わらうから

   その儚さが 怖くなったの


 僕は意気地なしだ。臆病で、何においても、勇気を出した行動なんてできやしない。

 いつだって人に合わせてばかりで、自分の特徴を押し隠してびくびくして、周りに染まることが一番なのだと信じてきた。そうしないと生きていけないくらい、弱虫だった。

 そんな僕でも恋はする。

 去年に初めて同じクラスになって、彼女のことが、気になって堪らなくなったんだ。

 彼女の方はきっと、僕のことなんて、気が付いてもいないだろう。友達どころか、クラスメイトくらいにしか思っていないだろう。

 それでも、ふられてしまうことがわかっていても、僕は告白をしようと思った。

 別れ。最後。それらの言葉が、臆病な僕に、たった一度の勇気を与えたのかもしれない。

『話があります。今日、学校が終わったら、みどり公園の噴水の前まで、来てはもらえませんか?』

 最初は、ラブレターでも送ろうかと思った。

 手紙に全てを書いてしまえば、言葉にして伝えるよりも、楽だろうと考えたからだ。手紙ならば、緊張で言葉が出なくなったり、噛んでしまったりすることがない。そちらの方が安心できるし、伝えるには安全だ。

 しかしそういったことは、会って直接言わなければ、失礼になるのではないかと僕は思ったのだ。

 だから誘いの言葉だけは、手紙として彼女の下駄箱に入れたけれど、本題については何も触れないで、簡単な文章だけで済ませた。

 もしかしたら、彼女は来ないかもしれない。

 日付も場所も指定してしまった、自分勝手さに嫌気が差す。けれども、そうでもしなければ、いつになっても先延ばしにしてしまうから。

 それに、偶然今日は予定が入っていたのだと、自分に言い訳をすることができるじゃないか。

 弱気になって、不安になって、もういっそ約束を放ってしまおうかと思う。

 どうせ待っていても、彼女は来てくれないのだからと、自分から一方的に誘っておいて、そんな気分になる。

 最悪だ。最低だ。僕は、最後に授けてもらった、この勇気さえも無駄と化してしまうつもりなのか。

 どうしても不安を拭うことなどできなかったが、一旦家に帰って荷物を片付けると、勇気をもう一度確認し、自分が指定したその場所へと向かう。

 みどり公園は、僕の家の近くにある、小さな公園だ。

 その中心には、これまた小さな噴水があるのだけれど、他に遊具もないので、遊んでいる子供たちはほとんど見かけない。

 しかし彼女もこの辺りに住んでいるはずだから、場所を知らないということはないはずである。

「手紙を下さったのは、あなただったのですか?」

 僕がみどり公園へ行くと、もう既に、彼女が待っていてくれているのが見えた。

 驚きながらも僕が駆け寄ると、彼女は花のような、美しく可憐な笑顔を僕に向けてくれた。

 呼び出しておいて、彼女のことを待たせていた僕を、怒ってはいないらしい。自分の名前も書かずに、下駄箱に入れられていた手紙を、不気味がるようなこともないらしい。

 純粋に、話があるというから、その話を聞きに来たのだというように見える。

「はい。突然、あのような手紙、……ごめんなさい」

 勇気を出そうとするけれど、それができなくて、俯いた僕はそのまま頭を下げて謝ってしまう。

「あの、僕、君のことが、…………好きでした。良かったら、付き合って、頂けないでしょうか」

「ふふっ。好きでしたって、どうして過去形なの、今はもう好きでないのですか?」

「違う、そういうことじゃ、なくて、今も好きです。君のことが好きです」

「そっかぁ、嬉しいな。だってわたしも、あなたのことが好きなのですもの。けれどもう卒業してしまいますから、学校では会えなくなりますし、今から交際を始めるというのもいかがなものでしょうか」

 最初は話をしていても、彼女は僕のことを、揶揄っているだけなのではないかと思った。

 好きだと言ってもらえたことはもちろん嬉しいけれど、それを信じることができなかったのだ。

 ふられるつもりだったからって、告白しておいて、肯定を疑うだなんて意味がわからないよね。

 それに彼女は、好きと言ってくれるくせに、交際という点については否定的な言葉を返してきた。好きだけれど、付き合おうというのは断るだなんて、好きという言葉も嘘だと思っても仕方がないだろう。

 僕は彼女が優しいのを知っている。

 だから、無理だと斬り捨ててしまうことを、躊躇い”好き”という言葉を付けてくれたんじゃないかと思った。

 好きだと言ってくれた後に、断るだなんてことは、嫌いだと言われるよりも苦しいと彼女は知らないのだ。一旦、期待させることがどれほどまでに苦しいか、彼女は認識していないのだ。

 ただそれだけのことかと思った。

 しかし俯いていた顔を上げて、彼女を見てみれば、その瞳いっぱいに涙を浮かべているじゃないか。

 とても嘘だとは思えないような、本当に悲しそうで、どこか悔しそうな表情をしているじゃないか。

「ごめんなさい。きっと卒業後に交際を始めたところで、お互いに出会いだってたくさんあるでしょうし、恋人らしいことなんて、できないと思うんです。あなたはわたしにとって初恋の人だから、一度恋人となった後に、その関係を自然消滅させてしまうのは、あまりにも辛いんです。だから、だからっ、ごめんなさい」

 絶対にそんなことはない。僕は君のことだけを想っているし、君も僕のことだけを想ってくれるように、君のために尽くすことを誓うから。

 それくらいのことを言えたら良かったのだけれど、僕にはとても無理であった。

 どうしたら良いんだろう。

 初恋は甘酸っぱい思い出として、記憶の中に封印してしまうのが、正しい選択なのだろうか。

「ありがと」

 何を言ったら良いものかと、臆病で優柔不断な僕に、彼女は短くお礼の言葉を言ってきた。

 それはたった一言だけれど、彼女の気持ちも、僕の気持ちも、今までの僕たちの思い出も、全てが詰まった重い言葉であるように感じられた。その言葉を受け取ることが、気持ちを通じ合うことに、繋がるのだろうと僕は思った。

 けれど涙目のままで、そんなことを言って微笑まれたら、簡単には何も言えないじゃないか。

 その儚い姿に、持って来たはずの勇気も、どこかへ行ってしまったようだった。

「自然消滅なんて、させませんから。僕はっ、だれにでも愛を語れるような、そんな器用な男ではありません。君だけなんです。だから、もし僕に好意を抱いて下さっているのなら、お願い、ごめんなさいなんて言わないで、ありがとうなんて……言わないで下さい」

 もっと恰好良くしたかったというのに、僕はなんて情けないんだろう。

 彼女は壊れてしまいそうな、儚さを感じさせるその微笑みに、涙を一筋滴らせた。

「はい」

 彼女はそう答えた。

 僕の告白に対する答えなのか、僕のお願いに対する答えなのか。それはわからないけれど、彼女はそう答えてくれた。

「わたしも、あなただけなのかもしれませんね」

 溜まっていた涙をぽろぽろと落として、彼女はそれでもまだ、微笑みを崩すことがなかった。

 哀しそうな微笑みで、僕に一言「馬鹿」とそう言った。

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