長月一日
惨劇を 百近く過ぐ この日でも
残さねばとぞ 未来の日へと
関東大震災を経験した。だなんて人が、今どれほどいることだろうか。
東日本大震災ならば、まだ記憶に新しいことだろうが、多くの人が経験したはずの2011年でさえも、薄れつつあるのだ。
なのに何十年も経ったものを、覚えているものなのかと。
惨いことであったはずなのに。
覚えていなければいけないことだというのに。
「避難訓練とかめんどくせー」
「地震なんか起こんねーよー」
幼いこの子らは、6年前さえも覚えていないのだろうか。
避難訓練というものが、非難する訓練という認識ではなく、やっておけばいいというような、作業的なものになってしまっているように思える。
記憶が薄れてしまうのは、仕方がないことなのかもしれないが。
自然災害はともかくとして、戦争という大きな過ちを何度も繰り返してきている人というものなのだから、悲劇は忘れずにいられたらいいものを。
後悔したのを、次こそはと思ったものを。
未来の日へと残していこう。終わってしまうとしても。
辛いことも喜ばしいことも、過去を未来へと残していかなければいけない。
遺して、逝かなければいけない。
それが経験するということなのだと思う。




