皐月十二日
かの魚 寿司は左に……? いや右に!
回る皿には ツキもなしかな
今回は何もパクっていない。そう思われるかもしれない。
しかし実際には、これまでほどあからさまでないだけで、少し深めに仕組んでいるだけで、元がないはずがない。とか言っちゃうと、真面目に書く(予定)の明日が辛くなるだろうから、これ以上は言わないようにするけれど。
とにかく、手の込んだ感じにしてみたのだ。
『菜の花や月は東に日は西に』
この歌は、きっとみんな、知っていることだろう。
もう一度リピートしてご覧なさいよ。
口に出してみたなら、お気付きになったことと思う。
回転寿司で、お目当てのネタを待っているだけの人ではあるけれど、しっかりと同じ音を守っているのだよ。ふははははははは。
この”寿司”という言葉に辿り着くまでに、どれだけの時間を掛けたと思っているんだ!
それに続くところは、何をパクっていない。正真正銘、これは自分で考えたものである。
どうしてそこまで無駄に付けたかというと、明日はパクリ要素をなくす(予定)ので、そこへ繋げるための準備と努力である。前日のうちに、そういうことをしておくのは、とても大切だからね。
音を揃えるなどと言うことはしていないが、後半部分では、漢字変換に着目して頂きたい。
皿なんて漢字変換をしてしまったなら、本気で、ただ単に回転寿司での話になってしまう。
運は関係ない。狙いの皿は、もう流れて行ってしまったのか、それともまだこれからやってくるのか。それを見極め、目を光らせ続けているべきなのだ。
それはそれで、立派な教訓かもしれないけれど、下らない話にも限度というものがあろう。
もう少しばかし、きちんと考えているのだよ。
『回る更には 月もなしかな』ということである。
この場合は、回るとは回転寿司での話でなくて、地球というものを抱いた上での話なのだ。
何度も何度も回り続ける。一年を掛けて大きく回りながらも、一日一日で自分自身が回り続ける。そんな地球のことを示す、回るなのだ。
そんなに幾度となく、角度を変えて回っているようでは、月さえも毎日流れて行ってしまう。
回転寿司のように。待っていたものが、訪れなくなってしまう、いつの間にか……いなくなっていて……。
回り続けて更には、月さえも見えなくなってしまう、新月のその日まで。
月が東にあって日が西にある。ってことはたぶん、満月のときの話だもんね。うん、そういうことだったんだよ、これで説明は終わりっ!
自分で自分の歌の説明をするのは、思いのほか恥ずかしいものだからね。




