卯月二十日
花と散る あの日の記憶 風に飛ぶ
いつのことだったろうか。
初めて君に会った春のこと。一目惚れ、としか言いようがないよ。
こんなことを言ったなら、失礼になるとはわかっているけれど、君は格段、美しい見た目をしていたわけではない。
少し都会の街を歩いたなら、君より美しい人も、いくらだって見つかることだろう。
外見に惹かれたわけではない。
君の体から溢れている、オーラのようなものに、僕は惹かれてしまっていたのだと思う。
「……あ、あの」
極度の人見知りで、話し掛けることはおろか、話し掛けられたときの返事さえできないくせに、僕は君に声を掛けてしまっていた。
ヘタレな僕には、そのようなことができるはずもないと思うし、できたにしてもすぐに逃げ出してしまうと思った。
しかし逃げることもできないほどに、僕は君に惹かれていたらしい。
「どうかなさいましたの?」
驚きながらも優雅な仕草で振り向き、君はそう訊ねた。
突然、知らない人から声を掛けられたのだから、そりゃあ驚くことだろう。不思議に思うことだろう。
それでも微笑みを浮かべていた君は、やはりさすがだよ。
「どうって、どうもしないのですが、そっその! ……もしお暇でしたら、一緒にお食事とかができたなら、嬉しいなぁとか思いまして。あっごめんなさい、もう急に、ごめんなさい。忘れてしまって大丈夫です」
ここまできたのだから、最後まで行ってみようと、君を食事に誘うとした。
その行為が、どれほどまでに不審なことか理解して、すぐに逃げ出しそうになってしまったが。
君に会ったとしても、その時点で逃げて当然な僕だから、ここまで保っただけでも、奇跡のようなものだ。
十分に頑張ったのだから、もう逃げることも許されるはずだ……っ。
「一緒にお食事、行きましょう。ねえ、どうして誘って下さったのに、忘れてしまわなければなりませんの? どうして謝られますの? お誘い頂いて、わたくし、とても嬉しゅうございますのよ」
慌てて逃げ出そうとした僕の腕を、君が力強く掴んだ。
華奢な腕にこんなにも力があるのかと思うと、僕は自分の方の力が、抜けていってしまうようであった。
「ちょうど、これからランチにしようと思っていましたのよ。一人では退屈ですし、是非、ご一緒にいかがですの?」
「本当ですかっ。よろしくお願いしますぅっ!」
二人が初めて会って、一緒に食事をした、大切なあの日。
臆病な僕が勇者にでもなれたような気がした。君を一目見たときに、一生をともにするべき、運命の人を見つけたのだと思った。
幸せと喜びに満ちた、”あの日の記憶”――
いつのことだったろうか。
君と想いが重なり、君を喪った春のこと。
その頃はまだ、僕と君との関係は友達に過ぎなかったけれど、隣にいられるだけで僕は幸せだった。
初めて会った日から、年が廻って僕も君も歳を増やした。それでもまだ僕は君の隣にいられて、君も少しすら拒絶のところを見せることなく、僕たちは順調に仲を深めていっていた。
一生をともにするべき人だと、僕は運命にそう感じた。
だから関係性が友達を越えることがないとしても、一生をともにいられるなら、それでも構わないのではないだろうか?
そうは思い始めていたけれど、溢れる気持ちは止められなくて、僕は酔った勢いで君に告白をしてしまっていた。
その日は、僕の部屋で、二人きりの飲み会を開催していたのだ。
僕の部屋から見える場所に、立派な枝垂桜が咲いていて、花見と称しての飲み会なのである。
理由が何であろうとも、目的が何であろうとも、僕はどうだっていい。
花より団子? いいや、そういうわけではない。
飲み会ができたなら、どこでもいいだとか、そういうわけではなくて、僕にとって重要視されるのは、君と一緒にいられるかどうかという点のみだ。
その喜びに気が緩んでしまったんだろうね……。
関係を壊してしまうリスクを負うくらいなら、このまま友達でいたいと思っていたのに、僕の本心はそのようなことを認めてなかったのだろうか。
「僕、君のことが好きなんですよ。最初に君に話し掛けたのも、あれ、ナンパだったんです。ごめんなさい」
酔いが回ってしまっているせいで、隠していた本心が零れてしまったのだろう。
それならそれで、もっと馬鹿みたいに、酔っ払いじみた言い方ができたなら、冗談として流してもらえただろうに。
どうせ告白をするのだったら、どうせふられるのだったら、もっときちんとしたかったなぁ。
「へえ、ナンパでしたの。それにしては、慣れていないような様子でしたけれども、他の人にも話し掛けまして?」
「いいえ、初めての経験でした。初対面の人に話し掛けるなど、そうできることでもありませんが、君のことが好きになってしまったから、臆病でもいられませんでした。運命の人だって、直感が強く告げていたんです」
意識が朦朧とするくらいに、呂律が回らなくなるくらいに、飲み潰れてしまえば、いっそのこと何も伝わらなくって済むのに。
「ふふっ、初心なナンパ師で、可愛らしいではありませんの。わたくしも、あなたのことが好きですのよ。そうでなかったなら、家にまで飲みに来るようなこと、致しませんわ」
ふわりと君が微笑めば、風が吹いて、窓の外で桜の木が大きく揺れていた。
その様子はまるで、僕と君とを祝福しているようで、とても幻想的な光景であった。
幸せと喜びに満ちた、”あの日の記憶”――
一方で、その日はいいことばかりではなかった。
告白してしまったことで、正面から拒絶を受けなければならない。僕を拒絶しないでいてくれた君の、拒絶の言葉を聞いたとして、僕はそれに耐えなければならない。
覚悟を決めていたときに、耳に心地好い君の声は、信じられない答えを紡いでくれた。
拒絶ではない、もう一つの答えを。
その幸せと言えば、言葉で言い表せるようなものではなく、酒を喉に流し込むことで、照れて赤くなる顔を誤魔化した。
やっと手にした幸せは、死んで骨になってその先までも、君の隣にいるというそういった形で、叶えられ続けるのだろうと思っていた。
傷付くことすら忘れてしまうくらい、僕の心には幸せと喜びだけが、満ちていたんだ……。
「今日は迎えの車じゃないんですね。危ないかもしれませんから、僕が一緒に行きましょうか? 時間も遅く、外も暗くなってきていますから、女性が一人で出歩くには、危険が寄り添うのではありませんか?」
いつもは執事さん、ではなくて普通に彼女の母親が、車で迎えに来てくれるのだけれど、今日はそうじゃなかった。
どうやら両親ともに忙しいらしく、母親も来られないし、代わりに父親がくることもできないようだから、電車とバスとで帰ることになったらしい。
世間知らずなところがあるし、とても心が温かい人だから、悪い目に遭ったり騙され損をしてしまったりしないかと、不安で心配でならなかった。
あまりに心配なものだから、僕が彼女の家まで一緒に行ったら、少しは守ってあげられるのではないかと提案する。守るとはいっても、戦闘をして強敵から彼女を守るとかではなくて、彼女が嫌なことを知らなくて済むように、隣で処理をするだけの人なんだけど。
何にしても、君が心配で仕方がなかったから、僕は強引にでも着いて行こうとしたんだ。
そんな僕に君は、
「出歩くと言うほど、外を歩きはしませんのよ。また慣れもしないナンパ師の、人見知りナンパを喰らっても困りますけれど、一人で全く問題がありませんわ」
悪戯っぽく笑うのであった。
君があまりに自信気にしてるものだから、それを信じて僕は、君を一人で行かせてしまった。
「え、事故ッ?!」
その後、君が事故に遭ってこの世を去ったということを聞かされたのは、その日の翌日であった。
帰り道に知らない場所ばかりを通ったため、道に迷ってしまったとのことらしい。そして、せめて元の場所へと戻れたならと、歩いていたところでの事故だとか。
迷子になってしまったことにショックを受けてか、そもそも彼女の中に、道路が危険という情報が入っていなかったのか。
上品で高貴な印象を与える彼女は、運命の人だと僕が信じた彼女は、若くしてこの世を去ってしまったのであった……。
辛さと哀しみに満ちた、”あの日の記憶”――
僕の人生が変わるような日には、必ず、桜の花が咲いていた。
家の前の枝垂桜は、公園のソメイヨシノよりは少し遅く、ちょうど、慎重派な僕が動き出してから花を開くんだ。
だから何年の月日が経とうとも、花が咲いたならば、僕はいろいろなことを、いろいろな”あの日の記憶”を呼び起こしてしまう。
とても幸せだったころの思い出がほとんどだからこそ、君を喪ってしまったことが、より哀しく苦しく思えるんだ。
風が吹いてしまったなら、花は吹雪と散っていく。
桜色のカーテンに包まれて、写真のような静止画が、僕の前をフラッシュバックし続けるこの瞬間からも、逃げられるはず……。
”あの日の記憶”も桜の花びらとともに、風に散ってくれるはずだから。
様々な感情が詰まった、”あの日の記憶”も――
ここまで読んで下さってありがとうございます。
短篇集として毎日書かせて頂いておりますが、今回の話には、もう既にいくつかの短篇が入っているようでしたね。そのせいか、いつもよりも文字数がかなり多くなっております。
最後までしっかりと読んで下さったなら、ありがとうございますと、お疲れ様も送らないといけませんね。
長くするならば、せめてもっと明るい話にしたなら、読みやすかったかもしれません。なんて。
文字数が異様に他よりも多くなってしまったので、あとがきでそれを言ってみただけです。
明日からも変わらずに毎日更新は続きますので、これからも是非、拙作を宜しくお願い致します。




