2、むしろエタって当然であると私は言い切りたい
私は学生時代、もっぱら自分で買って読むのは漫画ばかりだったが、学校で友達からまわってくるので、当時流行のライトノベルもそれなりに読んでいた。
大人になって、なんとなく懐かしく思いだし「あの小説作品の最後はどうなったのかな?」と気になって、ググって(Googleで検索して)みると、どれも高確率で未完のままだったりする。
雑誌に掲載されている漫画の連載作品と違って、ライトノベルは単行本のみ発売されている作品が大半なので、毎月とか、毎週、決まって続きを完成させなくてもいい。
だから続巻が出る間隔が物凄く空いたり、なかなか出なかったり、挙句、10年以上音沙汰なしの、エターナル作品になりやすいのである。
つまり、何が言いたいかというと、お金を貰っているプロの商業作家でさえ、シリーズ物をエタらせている人が多いのだ。
素人がエタっても仕方がないではないか。
「おい、待て商業作家の場合は、売り上げが悪いとか、他の作品が当たって優先しているとか、大人の事情で打ち切りになる場合が多々あるが、お前らは違うだろう?」
という、つっこみもあるかもしれない。
でも、あきらかに売り上げが良さそうなその作家の代表的なシリーズでも、エタっている例がある。
何が言いたいかというと、物語を広げるのは『た易く』物語の質と勢い、面白さを保ち続けるのや、最後にうまく畳むのは非常に『難しい』ということだ。
単に『エンド』マークをつけることなら誰にでも出来る。
物語として中途半端でも『俺達の戦いはこれからだ』『これからも冒険は続く!』『夢に向かって羽ばたけ』なんていう一文を書いて、『完了』マークをつければ良いのだ。
しかしそんな終わり方をしても虚しいだけだと、多くのジャン○・サバイバルレース(※1)の打ち切り作品が教えている。
ましてや趣味で書いている小説なのだから、『作品への愛』があればこそ、ある程度は自分の納得出きる形で作品を締めたいと誰しも思うはずだ。
だけど、悲しいかな、その道のりは遠く、険しく、途中で、息切れしちゃうこともある。
私は長編作品の完結マークが並んだ作品一覧ページを見ると「わー、この人は凄いなぁ」と心からその根気と情熱に尊敬の念を感じる。
短編、中編ならともかく、一つの長編作品を最後まで書ききる作業は、非常に難易度が高いのだ。
むしろ何十万字も続くような長編ならば、素人ならばエタって当然であると私は言い切りたい!
エタっている人間が駄目なんじゃない。
毎回、きっちりそのような長編をまとめ上げて完結できる人が凄いのだ!!
私の作品欄にも一応、完結している作品はあるが、一作を覗いては中編や短編である。
残りの作品は『連載中』であり、半年以上更新していない休止連載作品が2作ほどある。
だけど誤解しないで欲しい。
決して、そんな風に作品を放置させている状態を、良しとしているわけではないのだと――
別の作品を書いている時も、つねに頭の隅には放置作のことがあり、ブクマしてくれる人やわざわざ時間を割いて読んでくれた人達に対して、申し訳なくてたまらないのだ。
私だけじゃなく多くの『未完作品』を持つ書き手の人が、同じような罪悪感を抱え、こう願っていることだろう。
出来ればこの罪悪感から解放されるために、きちんと完結させて、今まで作品を読み続け、ブクマや感想、評価などで応援してくれた人達に報いたいと。
ではなぜ、このように作品を完成させたいと強く願いながらも、『大人の事情』もない趣味で書いている私のような書き手が、作品をエタらせてしまうのか、その原因について次章で深く検証してみたい。(ただし書籍化レベルの作品については除外させていただく)
※1【ジャ○プ・サバイバルレース】:某アンケート至上主義の週間少年漫画誌で繰り広げられる、熾烈な連載打ち切りレース。