098:事案・閏ルール
何やらん例と違ふ心地して、娘目覺めて身を擡ぐるに、四圍の有樣日頃見知りたる景色に似もつかず。此は如何なる事ぞと驚き狼狽へ、
「お父さん、お母さん」
と呼べど答ふるものなし。其も道理、床を竝べし父母ばかりか、朝夕目馴れたる茅屋さへ影も形も無くなりて、自分一人のみ只々眞白なる天地の中に佇める、怪しと云ふも疎かなり。
無くなりたるもの我家のみにあらず、隣近所の家々、その住人、果は町の内外の山川草木悉く失せ、目の屆く限りに有る物とては空と地面ばかりなり。その空も無暗に白々と凝りて些も動かねば、空と云はんよりは寧ろ漆喰を塗りたる天井の如し。地面もまた白く冷たく、聊かの凸凹もなくて其の樣宛ら繼目なき石疊、其上土一塊塵一本あるにあらねば到底此世の眺めにはあらざれど、然りとて地獄とも極樂とも思はれず。我身はと見れば昨晩寐し時のままの垢染みたる筒袖の寢卷唯一枚、足元も裸足なれども、此頃常に身を離さぬ琥珀の守り石の頸に懸れるこそ心丈夫なれ。
頃は二月の暮にて朝方は未だ底冷嚴しき筈なるが、周邊の空氣然まで冷たくはなし、雨風もなくて過しやすきは結構なれども、日差さぬにボンヤリと明るくて物を見るに不自由せぬは却りて氣味の惡き天氣なり。定めし此は夢にてぞあるらんと娘すでに思ひ至りぬ。夢ならばいづれ覺むると定りたるもの、懼るるに足らず。この娘、齡は九つ、未だ尋常小學校に通へる身なれど中々肝太くして、いづれ覺むるものならば面白き夢を見るに如かず、何か珍しき物の一つも見て覺めんと思ひ、今一度四方を見渡したりしに、遙か彼方に針の先のごとき小さき影微かに見ゆ。
発端は西暦二一〇〇年の二月二十九日であった。
周知のようにグレゴリオ暦では四で割り切れる年は閏年であり、二月を一日増やして二十九日までとする。ただし四で割り切れる年であっても、百で割り切れてなおかつ四百で割り切れない場合は閏年にしないことになっている。たとえば一九〇〇年、二一〇〇年、二二〇〇年などである。したがって、二一〇〇年二月二十九日は存在しない。
だがごくまれに、その存在しない日へうっかり入り込んでしまう者がいる。ある犯罪者がそうだった。
眞白なる地面を行くこと三十分計にて彼處に至る。其は二階家ほどの大きさの眞四角の箱にて、一方の壁に玄關らしき入口あれば如何樣建物なるべしと知れたれど、その外には裏口はもとより窗一枚とてなく、只管白き壁ばかりののつぺらぽう、若しも影無かりせば此の白き天地に紛れて目に付くこと有るまじ。
已に咽は渇きたり足も疲れたり、此の建物奇怪なる結構にてはあれど、外に行く宛も無ければ地獄に佛を見たる心地して、住む人あらば一椀の水なりとも乞はんと思ひて入口に向ふに、内より男一人出で來たり。その裝ひ全く奇妙奇天烈の極致にて、上に着たるは白髮の老爺の思ひ切り目を見開き舌を出して笑ふを染付けたる長袖のシヤツ、下には紺のズボンを穿けどもその布地方々裂けて腿やら脛やらの肌ちらちらと見ゆ。襟頸まで伸したる髮は如何なる手妻にやあらん玉蟲色の光澤を放ちて輝き、首には革の首輪、腕には銀の腕輪、さらには耳朶、目尻、鼻の根、口の端など顏の中至る處に指先ほどの大きさの輪を嵌めたり。餘に異樣なれば年の頃の見當付け難く、ただ肌に皺なきより三十は過ぎじと思はる。
娘を上から下までまじまじと見て、男破鐘の如き聲を發せり。
「おう、こんなとこに客がくるなんて、こいつはでっかいサプライズだ。彼女、いったい何の用だい」
犯罪者というと物々しいが、ケチなコソ泥である。盗みの技術は低く、まちがっても怪盗などと呼ばれるような手際ではない。あちこちで万引き、ひったくり、置き引きといったしょっぱい盗みを働き、物証や目撃証言も多い。そのうえこの男を知る者は、血の巡りが悪くてかなりぼんやりした性格だと声を揃える。それにもかかわらず捕まらないのは、逃げ足がやたら速いことに加えて、住みかがどこなのかがわからないためである。身を隠すことについてだけは達人といえた。
捜査が始まってから何年もたったころ、くだんのコソ泥が道ばたで突然パッと消え失せるのを目撃したという証言が舞い込んできて、捜査当局は大いに困惑した。その証言が示唆するのは、コソ泥が時間移動の能力を持つ超能力者であり、普段はほかの時代に潜伏しているという可能性であった。つまるところ時空犯罪であり、以後このコソ泥の件は時空警察が担当することになった。
時空警察の捜査員もまた全員が時間移動の能力を持っている。一人が張り込みの末にコソ泥の犯行現場を押さえることに成功し、現行犯逮捕をこころみた。追いつめられたコソ泥は空中に手で大きな円をえがくや、その円のなかに飛び込んで姿を消した。一般人の目にはまるで消滅したように見えるだろうが、これは時間移動の能力を持つ者だけが知覚できる亜空間、時空トンネルの入口をひらいてその中に逃げたのである。予想されていたことなので、捜査員はあわてずさわがず、すぐさま同じようにして時空トンネルに入った。はたしてそのぼんやりした細長い空間には、走り去るコソ泥の後ろ姿があった。過去と未来に向かって伸びている時空トンネル、その過去の方へとコソ泥は逃げてゆき、捜査員も後を追う。ところが二一〇三年、二一〇二年、二一〇一年とどんどんさかのぼって二一〇〇年も八割がた通り過ぎたとき、突然コソ泥の姿が消え失せた。捜査員は途方にくれた。コソ泥が時空トンネルから通常の空間に戻ったのであれば、それとわかる。そうではなく、ただ単に見失ったのだ。これは不可解なことだった。そこは二一〇〇年の三月一日のあたりだった。
捜査陣はそのあとも何度か同じようにしてコソ泥の逃亡先の時代を突き止めようとしたが、結果はいつも同じだった。コソ泥は二一〇〇年三月一日までくると、かならず霞のように消えてしまうのだ。この怪現象に時空警察の一同は頭を抱えたが、そこで捜査員の一人がある説を唱えた。コソ泥の逃亡先は二一〇〇年二月二十九日ではないかというのである。
二一〇〇年当時、コソ泥はまだ一介の学生だった。ぼんやりした性格だということだから、閏年だと思い込んでいた可能性がある。二月二十八日が終わったとき、翌日が三月一日だということを知らなかったせいで、存在しないはずの二月二十九日に行ってしまったのではないか。そして後に時間移動の能力に目覚めたコソ泥は、この二一〇〇年二月二十九日を隠れ家として使えば便利だと思いついたのではないか。なにしろこの日付は存在しないのだから、時空警察に踏み込まれるおそれがない。
もしこの説が正しいとすると、捜査はほとんど手詰まりになると思われた。捜査員がコソ泥の住みかを押さえるには、二一〇〇年二月二十九日に時間移動する必要がある。おそらく時空トンネルのどこかに抜け道があって、そこを通ればくだんの日付に行くことができるのだろう。だがその抜け道がいくらさがしても見つからないのである。どうやら二一〇〇年二月二十九日が存在しないということを知っている者には見つけられないらしい。せめて現地に時空発信機でも設置してあればそこから発せられる時空信号をたどって行くことができるのだが、コソ泥がそんなものを用意してくれるはずもない。
「二一〇〇年二月二十八日の時点で次の日が二月二十九日だと思っている人間を探すしかないね。そしてその人に時空発信機を持たせるんだ」
捜査本部の長がそんな案をぶち上げた。部下たちはあまり乗り気ではなかった。
「たしかに、そういう人なら二一〇〇年二月二十八日が終わると自然に二月二十九日に行ってしまう可能性がありますね。しかし、そんな人物をどうやって探し出すんです」
たいていの人間はカレンダーや手帳などで正しい日付を知ってしまう。二月二十八日が終わるまでそれを知らなかったと思われるコソ泥のケースは、稀有な例外なのである。
「こういうのはどうだろうか。二一〇〇年二月のはじめごろに行って、街頭アンケートか何かをおこなう。それで、今年の二月は何日までありますか、と聞くんだ」
「まあ、そうすれば二十九日まであると思ってる人が見つかるかもしれませんね。それでそのあとどうするんです」
「もちろん本当は二十八日までだということは教えないでおく。そして、何とかして時空発信機を持たせて……」
「無理ですよ。二一〇〇年の二月には、今年は閏年ではないって内容の報道が山ほどされてたじゃないですか。アンケートのときは二十九日まであると思ってても、その日が近づいたらどうしても二十八日までしかないってことを知ってしまいますよ」
こうして捜査はいったん暗礁に乗り上げた。
形は甚く傾きたれども、存外に男は深切なりき。娘のいと困じたる體を見て、内に招き入れ休ませたり。娘通されしは廣さ十二疊計の室にて、四方の壁のうち一方は右から左まで打拔の大なる一つ窗、その向ふに深き森廣がりて、小山の如き胴體から頸と尾の無暗に長々と伸びたる四足の獸、三本の太く長き角と錣の如き頸覆ひを具ふる犀らしきもの、口に牙多く生え後方に長き尾を延して二本の脚にて走る駝鳥の如きものの群など、種々の珍しき禽獸徘徊くが見ゆれど、先に建物の外を一巡りせし時は窗など見ず、又斯かる景色もあらざりしをと娘怪しがること限りなし。床には毛の長き絨毯を敷きたれば、疲れたる足に心地好きこと譬へん方ぞなかりける。また何やらんがちやがちやしたる音曲常に室の片隅より聞えながら、奏づる人何處にありとも見えず、此も甚だ不思議の事なり。
布張りの椅子を勸められて坐りしが、雲に坐りしごとく柔々と沈みたれば、すは椅子の底拔けたりしかと周章てふためきぬ。娘の通されし室の外に勝手、手水場、風呂場、なほまた幾つか室ある樣子なり、只手水場の外は用なければ見ず。その手水も娘の日頃見知りたる手水とは全くの別物にて、室に通さるる前に借りて用足せども、椅子のごとき器に尻を載せて器の中の水に放り落すべしとの案内、さらには用濟みなば何處からとも知れず水流れ來て器の内を洗ふ仕掛、何も此も曾て見聞せし事あらざるなり。
「こんなものしかねえが、まあ飲めよ」
「難有う、頂きます」
透明なる杯に金色の汁なみなみと滿てるを受け取りて、恐る恐る一口啜れば、その味甘くして香高く、無我夢中となりて一息にぞ飮干したる。
「美味しい。此は何ですか」
「知らねえのか、ただのオレンジジュースだよ。その時代劇なファッションを見たときも思ったけど、あんた二十二世紀の人じゃねえよな」
時代劇とは何ぞ、フアツシヨンとは何ぞ、二十二世紀とは何ぞ。知らぬ言葉餘に多くて娘答へかねたり。その胸元に目を留めて男、
「でも、そのペンダントはわりと今ふうのデザインだな。ちょっと見せてもらってもいいかい」
「構ひませんけど」
男の云へるは守り石の事なるべしと察して、頸より外し手渡せば、男矯めつ眇めつして、
「これプラスチックでできてるんじゃねえか。なあ、今年は何年かわかるか」
「明治三十三年です」
「明治と来たよ。そんな時代にプラスチックなんてあったっけか」
疑はしげなる口振に、譯は分らねど娘いささか蟲を抑へかね、
「其の御守りは去年、困つてゐる人を助けたときに御禮に頂いたものです。ぷら何とかと云ふのは解りませんけど、母は琥珀だらうと云つてゐました。氣が濟んだら返して下さい」
立腹紛れの切口上、ぐいと手を出せば、男氣壓されたるにやあらん、背を縮めて守り石を返して遣しぬ。
「わりいわりい、べつにディスるつもりはなかったんだ。それより、さっき今年は明治三十三年だとか言ったよな」
「言ひました」
「西暦だと何年だ」
「西暦つて、耶蘇の暦ですか。それは何年だか分りません」
「しょうがねえな。自分で調べるか」
男徐に右手を窗に向けて二三度振れば、忽ち森の景色失せ果てて、其處に有るは唯白き壁のみ。娘呆氣に取られ、
「窗が無くなつちやひましたよ」
「窓じゃねえよ。ただのモニター画面だ。要するに絵とか写真みたいなもんだぞ」
「でも動いてましたよ。さうだ、活動寫眞と云ふんですよね。聞いた事が有ります」
「違えけど、まあいいや。あー、明治と西暦の対照表を出してくれ」
右手の腕輪を口の前に擡げて、男の其の言ひやう呪ひに似たりけり。果して出拔に細かき文字數多壁に現るれば、娘ますます駭き、目に見えぬ天魔幽鬼の類何處かより招ぜられて壁に向ひて筆を揮ひたるかと思へり。
「明治三十三年は一九〇〇年か。こりゃ何が起こってるかわかっちゃったかもだわ。彼女、今日が何月何日か言ってみろ」
「二月二十九日です」
「やっぱり。いいか、よく聞きな。明治三十三年は閏年じゃない。二月は二十八日までだ」
娘心外の思ひを顏に表し、言ひ募りたり。
「そんな筈は有りません。新暦では四年ごと、子、辰、申の年が閏年に定つてゐます。今年は子年だから、閏年です。あたしは八年前の辰年の二月二十九日の生れだから、自分の生れた日のことはちやんと知らなきやと思つて、物知りの友達に聞いたり、暦のことが書いてある本を學校の先生に貸して頂いて讀んだりしました」
「たしかに普通は四年ごとだよ。でも四百年のあいだに三度だけ、閏年になるはずなのにならない年があるんだ。明治三十三年はその年なんだよ。なあ、だいたいこの真っ白な世界は何だと思う」
「夢でせう」
「違う。ここは二月二十九日だ。閏年じゃない年の、実在しない二月二十九日だ。明治三十三年二月二十九日はないのに、あんたはあると思い込んでた。そのせいでここに来ちまったんだ」
暗雲の立ちこめた捜査に、意外な方角からひとすじの光が差し込んだ。捜査員の一人が妙なことを言い出したのである。
「二一〇〇年がだめなら、一九〇〇年からアプローチしてみたらどうでしょう。問題の二月二十九日はもともと存在しない日付です。それがうっかり者の人間のせいで無理矢理存在させられてしまった。とすれば、自然はエネルギーを節約するために一九〇〇年の二月二十九日も二一〇〇年の二月二十九日と同じ空間にしてしまうのではないかと考えられます」
ほとんど与太話と言っていいような珍説だったが、意外にも時空警察の内部では強く支持された。さまざまな経験によって時間というものを深く知っている捜査員たちは、この説が正しいということを直感したのである。一同はこの線に沿って動きだした。
作戦は日本で行うことになった。日本では一八七三年にグレゴリオ暦を導入しており、一九〇〇年までにはそこそこ浸透している。その一方で、百で割り切れて四百で割り切れない年が閏年にならないという決まりは一八九八年になってようやく布告されるというドタバタぶりであり、一九〇〇年が閏年ではないということを知らない者も多いと考えられる。
捜査員たちはまず一八九九年の日本に行って、そこで翌一九〇〇年の暦を販売する。ただしこの暦には二月二十九日がある。要するにウソの暦である。暦を買ってくれた客には、おまけとしてお守りを渡す。お守りの正体は時空発信機である。
いくら暦に二月二十九日が書いてあると言っても、もちろんすべての客をだますことができるわけではない。グレゴリオ暦の閏の規則を知っている者は引っかからないだろうし、そうでなかったとしてもほかの暦と見比べて誤りに気がつく可能性はある。また、そもそも四年に一度の閏のことを失念していて、最初から二月は二十八日までだと思い込んでいる者もあろう。一人で十分なのである。たった一人、二月が二十九日まであると錯覚して、お守りを持ったままその日に入り込んでくれれば、時空警察は時空発信機の発する時空信号をたどってそこに行きつくことができる。
「では作戦の第一段階を開始する。各員気をつけて行っておいで」
準備を終えて捜査本部にずらりと居並んだのは、茶色の袷に藍色の股引、脚絆に草鞋という出で立ちの男性捜査員たち。十九世紀末の日本の暦売りの扮装である。背中に結わえた風呂敷包みの中身が偽の暦であることは言うまでもない。女性捜査員は当時の日本で暦を売るのはやや不自然なので、二十二世紀で留守番だ。
男性捜査員たちは各自時空トンネルの入口をひらいてその中に姿を消し、しばらくすると一人また一人と戻ってきた。いなくなっていた時間は一分に満たないが、風呂敷は空になって手に下げたり懐につっこんだりしている。股引や脚絆には埃と泥がつき、草鞋もすり切れていた。一八九九年にそれなりのあいだ滞在して、暦をすべて売りさばいてきたのだ。そのうちの一人、若い男の捜査員がぼやいた。
「ひどい目にあいましたよ。売ってるのが偽の暦だってことがバレて、現地の警察に追いかけまわされました」
留守番をしていた長がいたわった。
「それは大変だったね。どうやって切り抜けた」
「親切な女の子にかくまってもらうことができて、なんとか逃げ切りました。その女の子にもお礼がわりに暦と時空発信機を渡してきたけど、考えてみれば偽の暦じゃお礼にはなりませんよね。悪いことをしちゃったかなあ」
「済んだことだ。思い返してくよくよしてもしかたがない。それよりも、ここからが肝心のところだ」
長は全員に向きなおった。
「さて、諸君。こっちでもついさっき時空発信機の一つが未知の空間に移動したのを観測したところだ。暦を買った人のうち一人が首尾よく二月二十九日に入り込んだらしい。これでわれわれもそこに時間移動することができるようになった。ひと休みして着替えたら、いよいよ仕上げにかかろう」
此の白き世界は閏年ならぬ年の二月二十九日なる事、その年の二月に二十九日無きを知らぬ者此處に入り來る事、訪ふ人ごく稀なる故隱れ住むに便利なる事、その外種々の事どもを男懇に語りしかど、世の常の理を全く外れたる話なれば娘一向に此を解せず。男とうとう匙を投げ、
「よく考えたらべつにあんたにそのへんの原理を理解してもらう必要もなかったわ。とにかく明治三十三年の三月一日に送ってってやるよ。それで問題ねえだろ」
「そんなことが出來るんですか。小父さんは一體どういふ人なんです」
「おじさんじゃない、お兄さんだ。べつに大した人間じゃねえよ、あんたより二百年ぐらい遅く生まれただけで。ただ、二百年後の人間には時間移動っていう超能力のあるやつがいて、俺もその一人だったりするんだな」
「濟みません、二百年遅く何ですつて?」
「ああ、気にしなくていい。とにかくこっちに来て俺の手につかまりな」
もとより斯かる胡亂の土地に長居する積りは無ければ、娘おづおづと男に近付かんとせしが、その時俄に男の後ろに人影現れ、腕を取りて組伏せたり。
「そのお嬢さんを三月一日に送り届けるのはこちらでやろう。おまえが手間をかけるには及ばない」
「な、なんだてめえ」
「時空警察の者だ。おまえを逮捕する」
現れたる人は一人にあらず、その數男女合せて十人餘、何れも紺のズボンに同じ色のボタン留めのシヤツを着て紋章入りのネクタイを締めたるが、これは時空警察の制服であった。いうまでもなく時間移動によってやってきた捜査員たちである。戸口を通って現れたのではないから、娘此は矢張夢なるべしと思ひしも無理なからん。驚きの餘り聲も出でず立盡せば、捜査員の一人、ハンサムな若者が近づいて声をかけた。
「驚かせてしまい大変失礼しました。この男は犯罪者でして、われわれはずっとこいつを追っていたのです。あなたのおかげで捕まえることができました。ご協力に深く感謝します」
若者はその整った顔に親しみやすい微笑みを浮かべており、娘稚心にうつとりとして見つめしが、不圖思ひ當る事ありて叫びたり。
「あ、あの時の暦屋さんですよね、お巡りさんに捕まりさうになつて家に逃げ込んできた。あのとき御禮に下さつた御守り、大事にしてゐます」
見事圖星を指されたれば、若者はバツの悪い表情になった。まさか一度来たきりの物売りの顔を記憶している者がいるとは思わなかったのである。
「そうです。その節はたいへんお世話になりました。お守りを身に着けていただいていたことにもお礼を申し上げます。詳しく説明しにくいのですが、そのお守りのおかげでこの場所がわかったのです。ところで、あのときお渡しした暦ですが、じつはお客さんに二月二十九日があると思いこませるための偽物でして。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。それでは一九〇〇年三月一日にお送りします。お手を失礼」
若者が娘の手を取ると、娘忽ち目くらみて物の文目も分らずなりぬれど、氣が付けば唯一人懷しき我家の前にあり。時は未だ曉も遠き夜更なれば、父母は娘居らぬことをも知らず睡りたり。
此の始末を娘餘人に語らざりき。軈て明治が畢つて、大正を經て昭和に入り、日本が戰爭に敗けてさらに何年もたってからのこと、このころにはもうお婆さんになっていたが、あるとき新しく売り出されたオレンジジュースなるものを飲む機会があった。
ゆっくりと味わって懐かしそうに目を細め、つぶやいたのは「やっぱり夢じゃなかったんだ」という一言であった。
今回イメージした曲は、『かくりよの門』(アピリッツ、2014年)から、
童子の小江戸、甲斐金山洞窟等BGM(田村正勝作曲)です。なお、曲名は「みんなで決めるゲーム音楽ベスト100まとめwiki」の記述によれば「遠征地 伍」の由ですが、不審な点があるため保留します。
2019年8月29日、消し忘れていた丸カッコを削除。下書きの時点では振りがなを丸カッコに入れており、推敲の際に二重山カッコに改めたのだが、その際に丸カッコを一つ消し忘れていたもの。




