097:悦楽の行き着くところ
四輪駆動のワゴンで山道を走ること三時間あまり。昼近くになってようやくボスとおれと後輩の三人は目的地の村へと通じる峠にさしかかった。峠のふもとに手ごろな空地があったので、車を停めて小休止をとることにする。せまい車の中に図体のでかい男三人すわりっぱなしだったので、少々つかれた。
車を降りて伸びをしていると、ボスがおれと後輩に電池をほうってきた。いつものリチウムイオン電池だ。そういえばまだ昼電を摂っていなかった。受け取って腹部のソケットに挿してある古い電池と取り替える。新鮮な電気エネルギーが電池から流れ出て、腹に埋め込まれた機械臓器を経て血管の中のナノマシンに受け渡され、全身の細胞へとしみわたってゆくのが感じられる。
人心地ついたところで、おれはボスに聞いた。
「今回は屁みたいな仕事ですけど、アレはもらえますか」
ボスはにやりと笑う。
「屁みたいでも仕事は仕事だからな。ちゃんと用意してある」
「やったぜ」
おれと後輩はハイタッチした。ボスは車の助手席に乗り込んで、ダッシュボードの下の物入れをごそごそしはじめた。ご禁制の品なので、物入れを二重底にして隠してあるのだ。仕事の前に景気をつけるのには、アレ以上のものはない。
おれたち三人の仕事は、ひとことで言えば暴力沙汰代行業だ。何かの不正にかかわった公務員を始末しろとか、やばい事実をつかんだジャーナリストを消せとか、そんな依頼が多い。暴力団の関係者なんかが標的になった場合は危険が大きくて気が抜けないが、今回は辺鄙な村の畑を焼き払うというぬるい内容である。仕事前の景気づけのアレはもらえないかもしれないと思っていた。
ボスが車から出てきて、おれと後輩にそれをわたした。小さなビニールの袋に包まれたその白い粉を、おれたちは丁重におしいただいた。封を切るのももどかしく、おのれの口のなかに粉を流し込む。唾液にふれた粉がさらりと溶け、とたんにおとずれる目くるめく甘美さ、その大いなる陶酔! おお、おお!
後輩も、ボス自身も、その粉を味わってうっとりしていた。これはずっと南のほうの地方に育つある植物の汁を加工したものだとかで、ボスはその密売組織にツテがあるのだ。人類が電気で動くようになる前、エネルギー源を口で食べて摂取するのがあたりまえだった時代には、この粉はごくありふれたものだったという。昔は非常に重要な物資だったということは、これがこの国で最も多い名字となっていることからもうかがえる。その名はサトウという。
粉末がすっかり溶けてしまったあともしばらく余韻を味わっていたおれたちだが、きゅうに後輩が「うっ」とうめいて下あごをおさえた。ボスが苦笑いした。
「おまえも歯に副作用が出るようになったか」
「最近ときどき来るようになりました。ものすごく痛いってわけじゃないけど、気持ち悪い痛みですよね」
「そのうちにものすごく痛むようになるぞ。普通の医者にかかるとコレをやってるのがバレるから、今度おれの知り合いの闇医者を紹介してやる。おれもこいつも世話になってる医者だ」
「なんならうちの村の歯医者に診てもらったらどうだ」
いきなり何者かの声がわりこんできた。おれたちはさっとふりかえる。道のわきの木のかげから作業服を着た年配の女が出てくるところだった。でこぼこの地面を歩いているにしては、その足どりは異様になめらかだ。明らかにただものではない。
ボスが進み出て応対した。
「われわれになにかご用でしょうか、おばあさん」
「無理して取りつくろわなくてよろしい。そこの車に鉄砲とか火炎放射器とかいろいろ積んであることはわかってる。あと、あたしはまだ五十前だ。都会の人間なみの若作りをしてないだけ。ばあさん呼ばわりはやめてほしいね」
図星を突かれて、ボスは地を出した。
「ばばあ、てめえ何者だ」
「あんたたちがこれからつぶそうとしてる村の用心棒さ」
女は無造作に言いはなった。おれたちは一気に緊張した。一筋縄ではいかない相手だと感じ取ったからだが、もうひとつ、目の前にいるのがいまだに電気ではなく口でものを食べてエネルギーを摂っている人間だとわかったからでもある。
ボスから聞いた話では、いまおれたちが向かっている村は、いまどき地面に植物を植えたり動物に餌をやったりして育てて、それを食料にしているのだという。動物や植物の死骸を口に入れるなんて、想像するだにおぞましい。せっかく日当たりのいい土地があるのだから、太陽光発電プラントを設置すればいくらでも電気が手に入るだろうに。今回の焼き打ちも、電気会社がこの村を発電基地にしようと計画して、村人を立ち退かせるために依頼してきたものだ。食料生産の廃止や発電用地の確保は国策なので、政府も黙認しているらしい。
「で、医者を紹介してくれるために出てきたわけじゃないんだろう?」
「そのとおりさ。一対三でまともにやりあっちゃさすがに分が悪いから、不意打ちで数を減らせないかと隙をうかがってたんだけどね。どうやらそんなことしなくても倒せそうだとわかったから」
「なんだとクソばばあ、もういっぺん言ってみろ」
後輩が挑発に乗って女に詰め寄る。その瞬間ボスがおれに目くばせをよこし、おれはそっと後じさりして車に近づいた。ほかの二人が女の注意を引いて、そのあいだにおれが車から銃を出す、そういう分担である。見たところ女は戦闘用サイボーグなどではなく生身のようだ。こちらは屈強な男三人、素手で戦ったところでまず負けないだろうが、この女はどうも得体のしれないところがある。万一にそなえておいたほうがいい。
女がポケットから何か取り出した。ナイフか、拳銃か。いや、ちがう。携帯電話だ。すばやくいくつかのボタンを押し、何者かと話しはじめた。
「もしもし、先生かい。忙しいところすまないが、ちょっと急ぎの用でね。いま誰か治療してるところかい。そうか、そりゃ好都合。電話をつないだまま治療をつづけておくれ」
何をするつもりだろうか。ともかくおれはそろそろと車の後ろのハッチに手をのばした。だが、その手がハッチのハンドルに届かないうちに、女の携帯電話からキイイイイイン、ガリガリガリガリという耳障りな音が飛び出した。
「ぎゃー! やめてくれえ!」
おれは恥も外聞もなく泣き叫んだ。体じゅう震えが止まらず、地面にうずくまる。こわくてたまらない。見れば、ボスもおれと同じありさまだった。後輩だけはおびえていないが、おれとボスの醜態に驚いてあたふたしている。
「このクソばばあ、ボスと先輩に何しやがった!」
「村の歯医者の治療の音を聞かせてやっただけだよ。あんたは経験したことがないみたいだけど、その二人は虫歯の治療がえらく怖いらしいねえ」
騒音はいっこうに流れやまず、心の底に押しこんでいた記憶がフラッシュバックしてくる。むやみと清潔な部屋、闇医者の作り笑顔、効きの悪い麻酔。椅子に縛りつけられたおれの口の中に、空中分解寸前の飛行機みたいに振動する工具が入り込んできて、歯を、歯を……! いやだ、助けてくれ!
「このやろう、その音を止めやがれ!」
後輩が女にとびかかったが、軽くいなされて投げ飛ばされた。やはりこの女、ただものではない。一対一では勝ち目はなさそうだ。おれはその様子をぼんやりと見ながら、恐怖のあまりついに気を失った。
気がついたときにはおれたちは三人とも縛り上げられており、そのまま警察に引き渡された。警察にもツテはあるのですぐに釈放してもらえたが、今回の仕事からは下ろされてしまい、商売の信用に大きな傷がついた。
金回りが悪くなったせいであの白い粉もすっかりごぶさたになってしまった。残ったのはじくじくと痛む歯だけだ。だが、おれたちはいまだにあの甘美な味わいを忘れられずにいる。
今回イメージした曲は、『GROOVE COASTER(アーケード版)』(タイトー、2013年)から、
「SKYSCRAPER」(ARM作曲)です。




