093:引き寄せ物語
戸棚に入っていた色とりどりの飴玉、兄が大事にしていたサッカーシューズ、隣の家の犬を犬小屋ごと、クラスの友達の持っていたゲーム機、職員室の金庫の中の試験問題と模範解答。いろいろなものが夜ごと男の子の寝床の中に現れた。
「目に見えない腕がもう一本あるみたいな感じなんだ。その腕が伸びていって、ぼくのほしいものを勝手に取ってきちゃう。それは泥棒だからやめようと思ってるのに、どうしてもおさまらないんだ」
「ふうん。そうすると、きみはわたしのこともどこかで見かけて、ほしいと思ったんだね」
そうたずねたのは、ある夜男の子の寝床の中に現れた女の子だった。男の子はどぎまぎして必死に弁解した。
「それは、たしかにきみの住んでるお屋敷の前を通るときに何度か見かけたし、でも、その、ほしいというんじゃなくて、知り合いになれたらいいなというか……」
「いや、責めるつもりはないんだ。わたしはここに連れて来てもらって、むしろ感謝してる。ここは安全だし、雨風も当たらないし」
女の子はせまい寝床の中で我が物顔に体を伸ばして、自分の壮絶な経験を語った。
「わたしは夢遊病というのにかかってて、寝てるあいだにあちこち出歩いてしまう癖があるんだ。目が覚めたら家の外で寝ていて風邪をひいたなんてことはざらだよ。電柱の上に登ってしまっていて下りられなくなったこともあったし、穴ぐらの中で大きな熊といっしょに寝てたときは生きた心地がしなかったな」
女の子は男の子の顔を間近でのぞきこむと、まじりけのない笑顔で言う。
「だから、もしできたら、これから毎晩わたしをつかまえてここに引っぱってきてくれないか。そうしてもらえるととても安心だ」
そして十年がたった。
「父がよからぬことを企んでる。軍部の連中と密談してるのを立ち聞きしたんだが、きみを始末してほしいと頼んでいた。父は軍部にはかなりの賄賂を使ってるから、むこうも断らないだろう」
いつものように若者の寝床の中に現れた娘は、あいさつもなしにそう切り出した。その顔はいつになく物憂げである。若者はわざと茶化すような口ぶりで答えた。
「まあ、親父さんからしたら面白くないだろうな。大事な一人娘が毎晩家を抜け出して、どこぞの馬の骨といっしょに寝ているなんてのはね」
「笑いごとじゃない。父はいよいよ本気でわたしの縁談をまとめようとしてる。相手は例のあいつだ」
「ああ、あの若手の代議士?」
「若手といっても四十歳だぞ。ほとんど親子といっていいぐらい年が離れてる。だがゆくゆくは大統領にもなれるといわれてる人材だから、父は大乗り気だ。今回の陰謀はそれに関係があるとわたしは見てる。縁談の邪魔になるものを除いておきたいんだろう」
「なるほど」
娘はそっと若者をかきいだいた。
「くれぐれも気をつけてくれ。馬の骨なんかじゃない、きみはわたしにとってかけがえのない相手だ」
そんな話をして何日かたったころから、若者は外を歩いているときにしばしば襲撃されるようになった。相手は兵隊だかヤクザだかわからないような柄の悪い連中で、人けのない場所でナイフや拳銃を手にして襲いかかってくるという芸のない手口だった。
さいわい若者は何のけがもなかった。襲ってきた連中がいつのまにか得物を若者に奪われてしまい、あわを食って逃げ出すからである。もちろん若者が例の「見えない腕」で相手の武器をもぎとっているのだ。むかしは思うように操れなかったこの力も、大人になった今では本物の腕以上に自在に扱うことができるようになっていた。
うちつづく失敗にこりて襲撃をやめてくれたらいい、と若者も娘も思ったが、そうはならなかった。襲撃はむしろ激しくなっていった。最初のころのチンピラ同然の連中とは比べものにならないような規律正しい兵士が数十人がかりで襲いかかってくるのだ。武器もしだいに派手になり、アサルトライフルやロケットランチャーを当たりまえのように持ち出してくる。だがどんな武器でも同じことで、一発撃つ間もあらばこそ若者に奪いとられて投げ捨てられるのが落ちだった。
ある夜、娘は寝床の中で若者に家でのできごとを教えた。
「昨日わたしが襲撃に巻き込まれかけたじゃないか。あの件で父が軍部に電話をかけて抗議してたが、ぜんぜん相手にされていなかった。もはや向こうはなりふり構わないといった感じだ」
「とっくにメンツの問題になってるんだろう。ぼくみたいな素人を殺すことができないなんて軍の沽券にかかわるから」
「なあ、もう外国にでも逃げたほうがいいんじゃないか」
娘の提案に、若者はまったく驚く様子がなかった。
「いままで言い出せなかったけど、じつはもうこの国を出る手段を手配してるんだ。何日かのうちには出発することになると思う。それで、向こうに落ち着いたら、いつもみたいにきみを引き寄せてもいいかな」
「当たりまえじゃないか。必ずそうしてくれ」
「でも、もうこの国に戻れなくなるよ」
「ばかにするな、そんなことはわかってる。わたしのいるべきところはきみの腕の中だ」
夜が明けると、二人は連れ立って若者の暮らすアパートを出た。娘を毎朝屋敷まで送って行くのは、子供のころからの習慣だった。田んぼの間を走る農道を二人はのんびりと歩いていく。歩きながら若者は何度か地面にライフルを投げ捨てた。遠くで自分を狙っている狙撃手からもぎとったものだ。二人ともこの程度のことにはすっかり慣れており、歩く足をゆるめもしない。
やがて行く手に娘の住む屋敷が見えてきた。その手前で待ち構えているのは三台の戦車。空からは怪獣の悲鳴のような音が聞こえてきて、振りあおげば戦闘機の群れがこちらに向かってくるところだった。娘がさすがにひきつった顔になった。
「まさかあれできみと戦おうというのかな。生身の人間一人を相手に、ずいぶんな大盤振る舞いだ」
「ぼくのそばを離れないでくれ。離れられたら守りきれない」
「言われなくても」
娘はぴったりと若者に寄り添った。戦車がおもむろに砲を動かして二人に向けようとする。だが若者がえいっと気合いをかけると、三台の戦車はその場から消え失せてごろんごろんと若者の後ろに転がった。若者は次に、上から殺到する戦闘機の群れに目を向けた。ふたたび気合い一声、戦車の上に戦闘機がどさどさと積み重なった。まさに取っては捨てちぎっては捨てという風情。若者はあえて乗組員は引っぱらなかったので、戦車のいた場所では兵士たちが地面に尻餅をつき、空ではいくつものパラシュートが咲いた。
だが、ほとんどすべての戦闘機が若者に引っぱられて地面に転がったあとで、ひとつだけ飛びつづけているのがあった。それは白い飛行機雲を引いて、加速しながらまっすぐに若者をめざしてくる。若者はうめいた。
「あれは戦闘機じゃない。巡航ミサイルだ」
娘は驚いてたずねる。
「引っぱれないのか?」
「引っぱってここに下ろしても、ここで爆発するだけだ」
あたりはひらけた田んぼで、逃げ隠れする場所はない。もうあきらめたのか、若者は肩を落としてミサイルの迫りくるのを待つばかりである。娘は活路を求めて必死にあたりを見回し、若者の耳元でどなった。
「あの山を引き寄せろ」
若者は娘の指さすほうに顔をむけた。見わたすかぎりの田んぼの中に高さ二十メートルから三十メートルほどの小さな山がいくつか突き出ている。このあたりの土地を開墾したときに、切り崩して平地にするには大きすぎるということでそのまま残したのだろう。木々が青々と生いしげって、田んぼの海に浮かぶ小島といったおもむきである。
「あの山を引っぱってきて、盾にするんだ」
「いや、それはさすがに無理だと……。でもやるしかないか」
やらなければ、自分だけではなく娘も死んでしまう。若者は腹をくくって「見えない腕」を全力で伸ばすと、かなたの小山のひとつにつかみかかった。だが小さくとも山である。びくともしない。ミサイルはぐんぐん近づく。若者は持てるかぎりの力をふりしぼって山をひっぱった。ふっと体が浮くような感じがして顔を上げると、引き寄せようとしていた山が目の前にあった。
「やったぞ!」
叫びながら振り向いた若者は、だが娘の姿を見つけることができなかった。それどころか、たったいま自分がいたはずの道路すらなくなって、田んぼと山の境目に立っているのだった。若者は事態をさとった。山は結局動かせず、自分のほうが山に引き寄せられてしまったのだ。
つぎの瞬間、ミサイルが爆発した。若者の立っているところには強い風が吹きつけてきただけだったが、着弾地点では煙と炎が巻き起こり、近くに転がっていた戦車や戦闘機が燃え出した。
若者はあわてて娘を引っぱろうとした。娘はミサイルの落ちてきた場所に取り残されていたはずだ。ところが「見えない腕」はむなしく空をつかんだ。これまで何千回も引っぱって知り尽くしている娘の感触が、どこにも見つからない。若者は何度も何度もやってみたが、結果は同じだった。ついには認めるしかなかった。娘はミサイルの爆発に至近距離で巻き込まれて、死んでしまったのだ。
若者はしばらくのあいだ地面にへたりこんでいたが、やおら立ち上がると真上の空をにらんだ。目当てのものははるかかなたの虚空を飛んでいた。それはさきほど引っぱろうとした山などとは比べものにならないほどの目方があったが、自暴自棄になった若者にはもはやできないことはなかった。
やがてどこからともなく月がまるごと地面の上に現れて、あたりのものをすべて押しつぶし滅ぼした。
今回イメージした曲は、『夜が来る! -Square of the Moon-』(アリスソフト、2001年)から、
「Fighting under the blue moon」(Shade作曲)です。




