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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
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091:風葬

 雨はほぼ止んだ。風はまだ強く、家々のあいだを抜けてびゅうびゅうざわざわと突っ走っている。ニュースによると、台風はすでに通りすぎたものの、風は朝まで弱まらないだろうという。

 私は風に揉まれ、よろけながらどうにか駅からアパートまで帰りついた。ふだんは十五分の道のりが今晩は三十分近くかかり、疲れきっていた。鍵をあけて部屋の中に入り、後ろ手にドアを閉めてやっと一安心する。そして気がついた。風が吹いてこない。

 いつもであれば、私が仕事から帰ってきて部屋に入るやいなや待ってましたとばかりに風が吹きつけてくるのだ。さらに今日のような嵐の日ともなると、こちらが辟易するほどの風が室内に渦巻いているのが常だった。ところがいま、部屋の中の空気は微動だにしていない。何かあったのか。

 靴を脱いで上がる。台所を通り抜けてフローリングの居間に入り、あたりを見回した。壁ぎわのベッドの上に目が止まった。何も見えないが、ふとんが一か所だけ軽く沈んでいる。手をのばして探ると、透明で軽くてやわらかい何かに触れた。ここにいたかと思って何度もつついてみたが、それはいつものようにつむじを巻いてじゃれついてくることもなく、じっとそこに転がっているばかりである。

 ついに私は認めた。どうやら死んでしまったらしい、と。


 それを拾ったのは大学一年の初夏だった。朝から蒸し暑いある日のこと、学校へ向かう道で何かやわらかいものを踏んづけたのだ。踏んだ瞬間そこからつむじ風が巻き起こり、私は足をとられてひっくりかえった。しりもちをついたままよくよく目をこらしても踏んだはずの何かは見当たらず、ただアスファルトの上で砂ぼこりがくるくると踊っているばかり。

 つかのまのつむじ風がおさまると、またもとのとおりの蒸し暑い朝だった。その日は風などまったくなかったので、突然のつむじ風はいかにも異様だった。私はつむじ風が巻いていた場所ににじり寄り、おそるおそる手をのばした。何かが手に触れた、と思ったらまたしても風が起こった。だがまるであえいでいるかのような弱々しい風だ。

 目には見えないその何かを、私はそっと抱え上げた。それは手の中でかすかに吹き荒れたが、すぐにおとなしくなった。ごく軽く、手ざわりらしい手ざわりもなくて、まるで空気を抱いているようだった。ただそれがひどく弱っていることはまちがいない。もしかしたら死にかけているのかもしれなかった。

 学校はサボることに決めて、私はアパートに引き返した。机の上のパソコンを起動して、インターネットにつなぐ。椅子にすわって膝の上にそれを乗せ、さてこのしろものをどうやって助けるか調べようという段になって、はたと困った。どんなふうに調べればよいのかわからない。手はじめにキーワード「透明」「謎生物」で検索、だがそれらしいものは何もヒットしない。珍しいペットの飼い方を指南するサイトもあさってみたが、やはり見つからない。そのあいだ例のものは膝のうえでぐったりしていた。ときおり咳き込むように空気を揺らすが、具合が良さそうには思えなかった。

 そんなこんなでしばらくパソコンとにらめっこしているうちに暑くなってきた。窓は開けてあるが、風がないのでまるで意味がなかった。かといってエアコンは電気代が高いのであまり使いたくない。せめてもの悪あがきに、私は机の上にほうりだしてあったうちわを手に取り、バタバタとあおいだ。膝の上のものがぴくりと身じろぎした。

 もしかして、風がほしいのだろうか。それに向けてそっと風を送ってみた。むくむくと体をもたげる気配がした。体というものがあるとしての話だが。さらにあおぐと、膝の上からうちわに向かって逆に風がぶつかってきた。それはいまやうちわのまわりを飛び回っているようだ。私は調子に乗ってあおぎつづけた。それはどんどん元気になってうちわにじゃれつき、しまいには興奮のあまりうちわをはねとばした。うちわが床に落ちると追いかけていって、そばでくるくるとつむじ風を起こしている。急にうちわが動かなくなって困惑している様子が目に見えるようだ。私はおもわず笑いだした。

 その日から、それは私の部屋に居ついた。

 アパートはペット禁止だったが、犬や猫とちがって糞尿で部屋をよごしたり柱で爪をといだりしないし、うるさく鳴くわけでもないので近所迷惑にもなるまい、と自分で勝手に決めて私はそれを飼うことにした。えさはうちわで風を与えるか、あるいは窓を少しあけておけば風が入ってくるのでそれでも間に合う。外から帰ってきて玄関のドアをあけると、留守番していたそれは風を起こしながら飛びついてきてじゃれつくのだ。大学を卒業して就職するときに引っ越しをしたが、そのときもダッフルバッグに入れて連れて行った。引っ越し業者の人たちはがさごそと暴れるバッグを見て、猫か何かだと思ったことだろう。

 新しいアパートは何よりもまず風通しのよさを重視して選んだ。部屋の端と端に窓があって、両方あけるとじつによく風が通るのだ。これには例のものも大喜びで、風が吹くたびにはしゃいで部屋じゅうくるくる飛び回った。

 就職して四年たったころ、私は帰宅したときの出迎えの風のいきおいが弱くなっていることに気がついた。同じころから、うちわであおいでやったときの反応も鈍くなった。かつての有り余るほどの元気を、それは少しずつ失っていった。しまいにはほとんどの時間をベッドの上にうずくまって過ごすようになった。病気だろうか、それとも老衰だろうかと私は心配したが、どうすることもできなかった。相談できる相手もいなかったし、獣医に見てもらうことができるとも思えなかった。そして今日、ついにそれは死んでしまったのだ。


 私はそれをベッドから抱き上げた。最初に道ばたで拾ったときと同じ、空気を胸に抱く感触だった。だめでもともとと思いうちわであおいでみたが、案の定なんの反応も示さなかった。

 脱ぎ捨てた靴をもう一度つっかけて、私は玄関のドアを開けた。一歩外に出るか出ないかのうちに強い風が横ざまに吹きつけてきた。あっと思ったときには、それは腕のなかからさらわれて夜のどこかへと消えてしまっていた。


 今回イメージしたのは、『428~封鎖された渋谷で~』(チュンソフト、2008年)から、

 「「428~封鎖された渋谷で~」Main Theme」(佐藤直紀作曲)です。


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