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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
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090:デモ隊と軍隊とシャボン玉

 軍に追い立てられたデモ隊は、近くのサッカー競技場に立てこもった。デモを主催した学生団体は当初、参加者は多くて千人ほどと見積もっていた。おそらく警察の予想はもっと低かっただろう。ふたをあけてみれば、デモを目撃した人々が次から次へと行進に加わり、携帯電話で友人知人を呼ぶ者も続出、参加者総数は軽く一万の桁に乗った。もしかしたらさらにもう一桁多かったかもしれない。この事態に当局は泡を食って、軍の治安出動を要請したのだった。

 デモ隊が立てこもったのは、プロサッカーの試合にも使われる大規模な競技場で、天然芝のグラウンドをすりばち状の客席が取り巻く構造。定員は二万人とされているが、いまは客席だけでなくグラウンドにまで人がびっしり詰まっていた。

 主催者の学生たちは、競技場の入口にこしらえたバリケードのすぐ内側で浮かない顔を突き合わせていた。

 「どうすんのよ、この状況。もう俺らの手にゃ負えんぞ」

 「とりあえず、知り合いの活動家に電話で報告した。向こうでも動いてくれるはずだ」

 「それっていつになったら事態を打開できるんだ。このままここに丸一日も閉じ込められてみろ。食うものも飲むものもないし、トイレだってパンク寸前だぞ。いったいどういうことになるか」

 「あの連中と交渉して、一般の参加者だけでも帰せないかね。向こうも長引くのは歓迎しないだろうし」

 一人がそう言って、バリケードの向こう側の様子をうかがった。表の道路は軍が封鎖し、競技場の入口近くには盾を持った兵士がずらりと並んでいる。ヘルメットのフェイスガード越しに見るその顔は一様に無個性な無表情であり、人間そっくりのロボットの群れだと言われても信じられるほどである。

 「あいつらに話が通じるわけないだろ。というか、通じないようにされてるわけだろ」

 「そういえばそうだったな。あの兵隊連中こそ最大の被害者だわな」

 ことのおこりは、政府の秘密資料と称する怪文書がインターネット上に出回ったことだった。そこに書いてあったのは、魂を溶かす液体の製法、およびその実際の使用法の説明。なんでも、徴兵された若者は入営の際にくだんの液体をたたえた水槽につからされる。すると魂が液体に溶け出てしまい、残った肉体は自立心や反抗心の一切を失って、命令に忠実に服従する理想的な兵士となるのだという。

 ここまでうさんくさくてばかばかしい話はなかなかあるものではない。日ごろ政権の批判に余念のない野党の議員ですら、この件を取り上げようとはしなかった。マスコミで報じられることもなかった。まともに受け取ったのは頭のネジのゆるいごく一部の学生だけであり、今回のデモを主催したのはそういった学生たちである。

 しかし、プラカードを振り立てて練り歩く学生たちを見た人々は、あるいはもしかしたら、と思ったのだった。自分の家族に、友人に、徴兵されてからまるきり人が変わってしまった者がいる。てっきり軍隊生活が過酷なせいだと思っていたけれども、もしかしたらこのデモ隊が言うように魂を抜き取られてしまったからなのではないか、と。こうして少なからぬ人々がデモに加わった。

 さて、学生たちが方針を決めかねているあいだに、競技場を取り囲んだ軍のほうは着々と準備を進めていた。居並ぶ歩兵の列を割って入口の前に引き出されてきたのは、一門の大砲である。学生たちはうろたえた。

 「おい、まさか本物じゃねえだろうな」

 「軍隊の装備なんだから本物に決まってるだろ。まあ、弾は催涙弾とかだと思うけど」

 「砲の後ろにでっかいタンクみたいなのがついてるな。ありゃなんだ」

 論評している学生たちをよそに、一人の兵士が大砲に付いているスイッチを入れた。ゴーという音がして、砲門から風が吹き出した。

 「なんだ、ありゃ。扇風機か?」

 つづいてもう一人の兵士が、大砲とタンクをつなぐバルブのハンドルを回して開けた。すると、砲門から透明で丸いものが風に乗って大量に飛び出した。

 「シャボン玉だ!」

 「ほんとだ。だけどなんで軍隊がシャボン玉を作ってるんだ」

 当惑する学生たちのなかで、一人がふとシャボン玉のひとつに目をとめた。いきなり大声をあげる。

 「兄さん、兄さんじゃないか!」

 「おい、どうした」

 「放してくれ、徴兵された兄があそこにいるんだ!」

 その学生は引きとめる仲間の手を振りほどくと、バリケードを乗り越えて競技場の外へ駆け出し、シャボン玉を追って走っていった。残った学生たちはあっけにとられてそれを見送る。一人がつぶやいた。

 「まさか、魂の溶けた溶液でシャボン玉を作ってるのか……?」

 シャボン玉は後から後から砲門を飛びだした。いくらかは競技場の外壁にぶつかって割れたが、大部分は外壁のへりを越えてグラウンドの上へ飛んで行った。競技場に押し込まれた何万人ものデモ参加者がそれを見上げた。そこここでざわめきが起こった。

 「あれは、うちの子だ!」

 「僕の彼女じゃないか!」

 「あいつだ、あいつがいた……。おい、どこへ飛んでいくんだ」

 「兄さん、わたしよ! 聞こえないの?」

 人々は口々に叫びながら空に手を差し伸べ、シャボン玉を追って走り出した。押し合いへし合い、転んで踏みつけられ、踏みつけて転び、いたるところでドミノ倒しになり、悲鳴がこだました。だが空高くを飛んでゆくシャボン玉をつかみとることができた者はいなかった。

 競技場のまわりでは、兵士たちが騒ぎが下火になるのを待っていた。ときおりバリケードを抜けて駆け出してくる者を拘束するほかには、誰も眉ひとつ動かさなかった。


 今回イメージした曲は、『Tower of Heaven』(askiisoft、2010年)から、

 「Indignant Divinity」(flashygoodness作曲)です。


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