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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
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009:ダウンヒル

 魔女の庵を出ると、木漏れ日の明るさが目にしみた。譲り受けた大切な薬の入ったリュックサックを背中にきっちり固定して、ぼくは小屋の前に停めた愛車へと歩み寄る。

 それは一台の自転車だ。全体的な印象を言えば、ママチャリということになるだろうか。だがメーカー名や製造年は言えない。なぜなら、こわれた自転車十台以上から無事な部品を寄せ集めて作ったしろものだからだ。おまけに上り坂アシスト用にと荷台にモーターまで積んでしまった。どの部品も製造後すくなくとも十五年以上はたっているはずで、いたるところさびたり、そこまではいかなくともすり減ったり色あせたりしている。

 さて、ゆっくりしているひまはない。ぼくは愛車にまたがると、魔女へのあいさつがわりにベルをチリンとひと鳴らしして、ところどころぬかるんだ土の道を走り出した。ぼくたちが魔女と呼んでいるおばさんは、もともとは漢方薬を扱う会社に勤めていたとかで植物の薬効にくわしく、いまではこの山のなかに小屋を建て、薬草を集めて暮らしている。偏屈だが悪い人ではなく、この近辺では病人が出るとこの人に頼るのが常だった。

 魔女の庵からしばらく行くと道はアスファルト舗装になった。十五年以上もまったく整備されていない舗装はひび割れだらけの雑草だらけだが、泥道よりはよほど走りやすい。思わぬ路面のでっぱりに車輪をとられたりしないように、ぼくはじゅうぶん気をつけて走っていく。よけいな事故を起こして帰りが遅くなるわけにはいかないのだ。体調をくずした仲間たちのために早く薬を持って帰らないといけないのだから。

 ぼくの住んでいる町は、ここから山道を下った先の海辺にある。現在の住人の数は二百人ちょっと。海で魚を捕ったり塩を作ったりして暮らしている。内陸のほうでは塩気の強い干物や塩そのものはたいへん需要があるのだ。

 三十分ほどペダルをこぐと、急に目の前が明るくひらけた。ぼくは自転車を停めて一休みした。目の前は下りの斜面で、そこをつづら折りに道が走っている。坂を下りきったところは狭い平野になっており、その一角がぼくらの町だ。ぼくはさびたガードレールに歩み寄り、眼下はるかな町とその向こうに輝く海をながめながら、ベコベコにへこんだ水筒を取り出す。生ぬるい塩水を口に含んでゆっくりと飲む。

 「うまいなあ」

 夏にさしかかったいまの時季、海を見下ろすこの山道には涼しい風が吹き、汗ばんだ体には心地よい。ここしばらく雨がつづいていたから、存分に日を浴びられることもうれしかった。

 伝染病で人類の九十九パーセントが死んでしまってから十五年以上たつ。年寄り連中はふたことめには昔は良かったと繰り返すし、ぼくだって今のほうがいいなんて口が裂けても言えないが、でもだからといって、いまの時代に楽しいことやうれしいことがないわけではない。豊かだった昔にだって、つらいこともあればいろんな問題もあったはずなのだ。

 「さて」

 リュックサックを背負いなおして、ぼくはふたたび愛車にまたがる。来るときは、この長い上り坂でモーターの電池を使いきった。だが帰りは楽なものだ。ペダルをこぐ必要すらない。地面をひと蹴りすると、景色がするすると後ろに流れはじめた。

 荒れはてた路面を自転車は快調に下ってゆく。やがて最初の右カーブにさしかかり、ぼくは後輪ブレーキのレバーを握る。そしてぞっとした。スピードが落ちない。

 これまで魔女のところに薬をもらいにいくときはいつも徒歩だった。自転車にまだモーターを積んでおらず、この長い坂道をペダルをこいでのぼるなど考えられなかったからだ。だがさきごろ町に小型ながら風力発電機を設置したのを機に愛車に例の改造をほどこし、今回はじめて魔女のところまで乗ってきたというわけだ。モーターは期待どおりの性能を発揮し、坂上りはじつに快適だったのだが。

 思えばぼくらの町はごく平坦で、のぼりくだりはほとんどない。そのためこれまでブレーキがすっかりヘタっていることに気がつかなかったのだ。

 ブレーキパッドがタイヤをこすっている感触はあり、ブレーキがまったく効いていないわけではない。ただ、ブレーキでスピードが落ちるぶんと下り坂でスピードが上がるぶんがほぼ釣り合ってしまっている。パッドの材質が劣化していたのか、それともタイヤの規格に適合していなかったのか、などとなすすべもなく考えるうちにカーブはもう目の前だ。必死に体を右に倒したが、左からガードレールがぐんぐん近づいてくる。ぼくはとっさにガードレールを蹴りつけた。蹴った足が後ろに持って行かれそうになるのを引き戻し、車体がみしみしと悲鳴を上げるのを尻で聞きながらなんとか立て直す。曲がりきった。

 ほっとするひまもなく次の左カーブが見えてくる。ブレーキはずっと握りっぱなしなのにスピードはさっぱり落ちておらず、照りつける日ざしの下にあっても冷や汗をかいた体はこごえるようだった。いちかばちか前輪のブレーキを試してみようかという考えが頭をよぎるが、ふつうに死ぬという結論に達する。路面のこまかいでこぼこを避ける余裕などとっくになく、車体はとびはねたりつんのめったりしながらカーブに突っ込んでゆく。車輪が横滑りするのもかまわず、ぼくは体を左に倒す。カーブを抜けた。スピードはろくに落ちていない。行く手には次の右カーブ。


 海沿いの国道のまんなかで、ぼくは愛車ともどもひっくりかえっていた。奇跡的にすべてのカーブを曲がりきり、そのまま勢いあまって海のそばまで走ってきたところで力を使いはたして動けなくなってしまったのだった。昔ならこんなところに寝ていたら一分とたたないうちに自動車にひかれていただろうが、当節は交通量などというものはないも同然だ。ほどよくあたたまったアスファルトが気持ちよかった。

 カモメの声を聞きながら愛車をながめて、こいつはしばらくお蔵入りだなと思う。いくらなんでもブレーキの効かないものに乗るわけにはいかない。まともなブレーキパッドが手に入ればいいが、それも望み薄に思えた。ブレーキ以外の箇所も、いましがたのスタント走行でかなりガタがきているはずだ。整備するのはなかなか骨が折れるだろう。

 「ま、なんとかなるさ」

 いつまでも休んでいるわけにはいかない。薬を持ち帰らねばならないのだ。ぼくはよっこらしょと起き上がると、愛車を押して仲間のもとへと歩きだした。町はすぐそこだ。


 今回イメージしたのは、『幻想水滸伝V』(コナミ、2006年)から、

 「戦闘開始」(作曲者不明)です。


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