088:月例会
せまい階段をえっちらおっちらのぼって、曇りガラスのはまったアルミ製のドアをあける。ノックなどという他人行儀なまねはしない。部屋の中にいたのは五十代の女性と八歳の男の子。どちらもなじみの顔だ。
「電話屋さんいらっしゃい」
「電話屋のお姉さん、こんにちは」
「こんにちは、漬物屋さん。元気にしてたかね、少年」
わたしはコールセンターに勤めているので電話屋と呼ばれている。安直なあだ名だ。ほかのみんなもその点は似たりよったりで、漬物会社の社長さんを漬物屋と呼ぶのはまだしも、少年を少年と呼ぶのはびっくりするほど芸がない。実際ただの小学生男子なので、ほかに呼びようもないのである。
部屋は奥行きのある長方形で、真ん中に会議用の長テーブルが一つ、そのまわりにパイプ椅子が並べてある。すみにはカセットコンロを乗せた小さな机があり、その上でヤカンが湯気を上げていた。
わたしが席に着くとすぐにまたドアがひらいて、若い女の子が入ってきた。
「考古学屋さんいらっしゃい」
「考古学屋のお姉さん、こんにちは」
「考古学屋ちゃんやっほー」
「みなさんこんにちは。あたしが最後でしたか。お待たせしちゃいました?」
この子は大学で考古学を勉強しているので考古学屋と呼ばれている。これで全員そろった。漬物屋さんがみんなにお茶を入れてくれる。わたしはバッグから紙箱を出してテーブルに乗せた。
「これね、こないだ海外旅行に行ったんだけど、そのとき買ってきたお菓子」
おお、とみんな身を乗り出す。漬物屋さんも紙袋からプラスチックの容器を取り出した。
「私はいつもの手作り。今回はさくらんぼのパイね」
「あ、ぼくこれ好き」
あとはいつもどおり、持ち寄ったお菓子を食べながらのおしゃべりとなった。
「あら、この魚の形のお菓子、おいしいわね」
「でしょ。外国のお菓子って舌に合わないようなのもけっこうありますけど、これはいけますよね」
「少年、ほっぺたにクリームついてるよ」
「考古学屋のお姉さんこそ、鼻の頭にジャムついてるよ」
この集まりはいったい何なのかというと、じつはわたしもよくわからない。毎月一回決まった日に、繁華街と住宅地の境目あたりに立つ五階建てのこの古いビルの四階会議室に、なんとなく集まってみんなでお茶を飲むという、本当に何なのかわからない会である。
わたしが初めて参加したのは四年ほど前だった。当時勤めていた不動産屋の事務所がこのビルの五階に入っており、その日わたしは社用で外出した帰りに、疲れていたせいで一階まちがえてこの部屋に来てしまったのだ。当時は漬物屋さんと、まだ高校生だった考古学屋ちゃんと、新聞販売店のご隠居だという高齢の男性と、銀行勤めの若い男性がメンバーだった。みんな突然やってきたわたしを邪慳にせず、むしろお茶などすすめて歓迎してくれた。以後わたしがこの集まりに正式に参加するようになったのは当然のなりゆきだったといえよう。
それからしばらくして銀行屋さんは遠くの土地に転勤になり、新聞屋さんも昨年亡くなってしまったが、新しく少年が参加するようになった。少年がここに初めて来たのはおととしのことだった。わたしがいつもの集まりのためにビルに来る途中で、この少年が迷子になって泣いているのを見つけたのだ。電話で親御さんに連絡し、迎えにくるまでのあいだ会議室に連れていってお菓子を食べさせたりしていたら、翌月の集まりには当たりまえのように参加していた。
こんなふうに、きっかけは人によっていろいろだ。漬物屋さんは家庭の事情で親戚の家を転々として暮らしていたときに伯父さんに連れて来てもらったそうだし、考古学屋ちゃんは休日にバイト先の社長である漬物屋さんとばったり出会って誘われたと言っていた。何の変哲もない平凡な集まりなのだが、出会いはそれぞれにとって特別だったのだ。いわばこれは特別な平凡なのであって、そこがわたしはなんだか好きだったりする。
お菓子がひとまわりして、少年は漬物屋さんに学校の出来事を話し、考古学屋ちゃんとわたしは研究室や職場の愚痴のこぼし合い。そんなとき、ドアにノックの音がした。わたしたちは顔を見合わせた。もしかして銀行屋さんか誰か、前に参加していた人がまたやってきたのだろうか。だがそれにしてはわざわざノックなんてするのは変だ。ふたたびノックの音がひびき、漬物屋さんが答えた。
「あいてますよ。どうぞ」
ドアをあけて入ってきたのは、見たことのない若い男の人だった。やぼったいスーツ姿だが、なかなかのハンサムだ。ただ、表情はひどくけわしい。
「おくつろぎのところを失礼します。宗教警察の者です」
みんな少なからず驚いた。宗教警察は、悪魔を復活させようとしたり子供をさらって生贄にしたりする邪教を弾圧する組織だ。その捜査官は数こそ少ないが人間離れしたつわものぞろいで、たった一人で邪教徒百人を殲滅することができるといわれている。
みんなの疑問を、漬物屋さんが代表してたずねた。
「宗教警察のかたが、こちらに何のご用でしょうか」
「ここで邪教の集会が行われているという神託がくだりました。みなさんは逮捕のうえ神殿にて取り調べと裁判を受けることになります。事情によっては刑が軽くなる可能性もありますので、おとなしく従うことをおすすめします」
「まあ、そんな。私たちはお茶を飲んでおしゃべりしていただけですよ。何かのまちがいではありませんか」
そのとき男の目がぎらりと光った。背広の内側から警棒を取り出して伸ばすと、それは目もくらまんばかりに白く輝きだした。うわさに聞く聖剣というものにちがいない。見た目はただの伸縮式の警棒だが、神の忠実な信徒が振るうとコンクリートをバターのように切ることができるというしろものだ。えらいものがでてきた。
「神がまちがえたと言うのですか。その一言だけで、宗教裁判での有罪は確定したも同然だ。手続きを省いて、今この場で処刑を実施することにしましょう」
言うやいなや、入口にいちばん近いところにいた考古学屋ちゃんに斬りかかった。
「わあっ」
考古学屋ちゃんはとっさにお菓子の包み紙を両手で持って、聖剣を受け止めた。紙はぴんと張りきったが、コンクリートをバターのように切り裂くはずの聖剣を破れることなく受け止めてのけた。男は愕然とした。
「なんだ、その力は……いてえ!」
鼻に何かかみついている。漬物屋さんが投げつけたお菓子だ。魚の形のお菓子は空中をすいすいと泳いで行って、男にかみついたのだった。
「おのれ邪教徒どわああ」
言葉の後半が変な叫び声になったのは、後ろに回った少年の膝カックンがみごとに決まったせいだ。男はテーブルを巻き込んで倒れ、あばらを打ったらしく床にうずくまって起き上がれない。それでも手放さない聖剣を、わたしは踏みつけて押さえた。なるべくおだやかに話しかける。
「あなたがいつも取り締まってるような連中とはちがって、わたしたちは人を傷つけたり世の中を騒がせたりするつもりはないから。ふだんは自己暗示をかけて、自分たちが邪教徒だってことも忘れるようにしてる。ただ平和に暮らしたいだけなんだ。そういうわけだから見逃してもらえないかな」
「何と言おうと邪教徒は敵だ。野放しになどしてはならないのだ」
不利な状況にありながら、男は昂然と言い放つ。もっとも、鼻にお菓子の魚がかみついたままなので、あまり格好はつかなかった。
「しょうがない。あまり気が進まないけど、人格を書き替えちゃおう」
わたしの右手が真っ黒な稲妻をまとった。えいっと気合いを入れて、男の脳天にチョップを一発。痙攣し白目をむいて、男はどさりとその場にのびた。
いつのまにか夏本番となり、わたしは汗をかきかきいつものビルをめざしていた。その途中で、知っている顔を見かけた。先月初めて集まりに参加した人で、若くてなかなかハンサムな男性である。わたしは声をかけた。
「こんにちは、宗教警察屋さん」
「あ、これはどうも。こんにちは、電話屋さん」
相手ははにかみながら返事をした。宗教警察屋というあんまりなあだ名は、宗教警察に勤めているのが理由である。もうちょっとましな呼びかたはないものかと思うが、誰も何も思いつかなかったのだからしかたがない。
「けがの具合はどうですか?」
「おかげさまで、ごらんのとおりすっかり良くなりました」
先月の集まりのとき、この人はたまたま用事で会場のビルに来ていて、階段ですっころんだのである。物音を耳にしたわたしたちが様子を見に行くと、わき腹をおさえて倒れていた。ほかに鼻の頭に擦り傷、頭のてっぺんにコブまであり、いったいどんな転びかたをしたのか想像もつかない。ともかく部屋に連れて行って手当てをして、ついでにお茶とお菓子をふるまったりしているうちに、いつのまにかこの人も集まりに参加することになっていた。これもまたひとつの出会いであろう。
「ところで宗教警察屋さん、そのクーラーボックスは何ですか?」
「ふふふ、これはですね、表通りに評判のいいアイスクリームパーラーがあるんですけど、そこでテイクアウトを」
「あ、そのお店聞いたことあるかも」
「今日は暑いですからね。ひときわおいしいと思いますよ」
わたしたちは和気藹々とおしゃべりしながらビルに入っていった。
今回のイメージの元は、『魔界塔士Sa・Ga』(スクウェア、1989年)より、
「メインテーマ」(植松伸夫作曲)です。




