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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
86/100

086:魔女の岩場

 その村は、大きな湾の奥にあった。村の前の浜は遠浅になっており、潮の満ち干のたびに海になったり陸になったりする。村人はそこで魚や貝を獲って暮らしていた。

 村はあまり豊かとはいえず、よその土地から人が来ることはあまりなかったが、最近ひとりの旅人が訪れた。都からきたというその年配の男は村長の家に滞在し、村の内外を歩き回ったり、物知りの年寄りをたずねて話を聞いたりしていた。うわさによれば男は高名な学者であるそうで、いろいろな土地におもむいてはその地の産物、風俗や言い伝えなどを書き留めているのだという。

 ある日、村の若い漁師が村長の家に呼び出された。

 「魔女の岩場まで船を出してくれ」

 下座に着いた漁師に、村長はそう言いつけた。村長のとなりにはくだんの学者が野放図な笑顔を並べていた。


 それは湾の中ほどをふさぐように位置していた。大きな岩がいくつも海の底から生えており、潮が満ちたときにはほとんど海の下に隠れてしまうが、潮が引いたときには人の背丈の倍以上の高さとなって海面の上にそびえ立つ。魔女の岩場などというおどろおどろしい名前で呼ばれるのは、ここを通りかかる船が岩にぶつかって沈没することがままあるからであり、それに加えてこの付近でときおり歌声らしきものが聞こえるからでもあった。

 要するに、村の人々なかんずく漁師たちはこの場所をひどく気味悪がっていた。そして、都からきた学者は興味津々であった。ぜひとも間近で見てみたいと村長に懇望し、若輩の漁師が貧乏くじをひくことになったのだった。


 「あのあたりでは何人も難破して死んでるんだ。おれの親父もそうだ」

 櫓を押しながら、漁師は小舟の舳先のほうにすわる学者に言った。学者は興味深げに口ひげをひねった。

 「ふむ。お父上も漁師だったのかね」

 「ああ。おれはよくおぼえていないけど、腕のいい漁師だったらしい。ところが魔女の歌声に気をとられたせいで舟が岩にぶつかって、海に投げ出されてそのままおだぶつさ。残ったおふくろはガキを大勢かかえて、それは苦労したもんだ」

 日はしだいに高くのぼりつつあった。漁師が舟を出したのは朝食のあと一服してからで、上げ潮に逆らいながらゆっくりと魔女の岩場をめざしていた。やがて行く手に黒々とした岩がいくつも姿をあらわした。いまは潮が満ちてきているのでさほど大きく見えるわけではない。学者が身を乗り出した。

 「先生、落ちないように気をつけな」

 「聞こえないようだな、魔女の歌声は」

 学者はすでに漁師の注意など耳に入らない様子である。漁師は岩場に寄りすぎず離れすぎないように櫓を操りながら言った。

 「左のほうに大きい岩があるだろう。女がすわってるみたいな形のやつだ。歌はあのへんから聞こえてくる。おれの考えじゃたぶんあれが魔女の正体だ」

 「村の古老から聞いた話にもあったな。悪さをした魔女が岩に変えられたとかなんとか」

 「ほんとかどうかわかんねえけどな、そんな話。歌うのは大潮の前後何日かで、しかも波の高いときだけだ。今日は満月だし、波もそこそこ高い。もう少し潮が上がってくれば歌いだすだろうよ」

 「詳しいのだね」

 「親のかたきだからな」

 漁師は苦い顔をして吐き捨てた。

 「もう少し近づけないかね」

 「無理だ。あのあたりは特に岩が多い。うかつに近づいたら親父と同じ末路だ」

 しばらくは波が岩にぶつかる音と櫓のきしむ音ばかりが響いた。

 「まだかね」

 「もうじきだろう。ほれ、聞こえてきた」

 それは女の歌声というよりは怪物のうめき声といったほうがいいような、低い、とぎれとぎれの音だった。最初はかすかだったが、しだいに大きくなった。おお、おお、おお、おお。そのように聞こえるそれは、なげいているようでもあり、いきどおっているようでもあった。

 学者は舟の上で身じろぎもせずに耳をすましていたが、ふと息をついた。

 「ふむ、なるほどな。あの岩、どこかに穴かひびがあるのではないかね」

 「どうしてわかったんだ、先生。たしかに向こうがわに穴がある。ちょうど今の水の高さと同じぐらいのところだ」

 「なに、わかってみればなんでもないことだ」

 学者はもったいぶって説明した。

 「よく見れば、波があの岩にぶつかるたびに音が鳴っているだろう。あの岩は一種の笛なのだ。たぶん上のほうにもう一か所すきまがあるな。波がぶつかると穴から水が入って、その水の勢いで空気が動いて、上のほうのすきまから出るときに音が鳴るという仕組みだ。潮が引いているときには、穴まで水が届かないせいで音は出ない。岩にひびが入ったり波風に削られたりして、自然にそのようになったのだろう。いわば天然の楽器だな。よくできている」

 漁師は岩をにらみつけた。

 「そんなものにおれたちはずっとおびえてきたのか。すると、あの岩を壊したところでたたられるなんてことはないんだな」

 「こら、何を考えている。やめたまえ」

 「もちろん今はやらねえよ。人手も道具もねえし、波も荒すぎる。もっと凪いでるときに大勢つれてきて……」

 「せっかくの珍しい風物を壊すなど、もったいないではないか」

 学者は言葉を尽くして心を変えさせようとしたが、漁師は聞く耳を持たなかった。魔女の歌声はいよいよ高く、むせび泣くかのよう。


 今回のイメージのもととなったのは、『剣と魔法のログレス』(エイミング、2012年)から、

 ワールド選択画面BGM(曲名不明、作曲者不明)です。


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