080:家族愛(油性)
幼稚園のころに、家族の絵を描きましょうという課題が出されたことがある。僕は幼い手にクレヨンをにぎって、父と母と妹の顔を描いた。それを見た先生は困った顔をした。
「えーっと、どうしてこんな色に塗ったのかな?」
「こういう色だからだよ!」
物おじしない子供だった僕ははきはきと答えた。先生はほかの子の描いた絵を持ってきた。それに描いてある人の顔は、うすだいだいいろとかいうぼんやりした色のクレヨンで塗ってあった。
「そうじゃなくてこんな色でしょう?」
「ちがうよ!」
僕は頑固に自分のやりかたにこだわった。先生は困った顔をしたまま引き下がった。
この一件がその後どのような結末になったのかはおぼえていない。もしかしたら病院に連れて行かれて目の検査ぐらいは受けさせられたかもしれない。ともかく僕はいつしかまわりに合わせるということを学び、人を描くときは肌を赤や青や黄色に塗るのを避けるようになった。
たぶんこの文章を読んでいるあなたは、人の肌が赤や青や黄色だなんてありえないと言うだろう。肌の色というものは人種や生活習慣によって違うが、たとえば多くの日本人は黄色とピンクを混ぜたような色をしている。それは僕も知っている。だが僕の目には、絵の具みたいなどぎつい赤青黄色に見えるのだ。
たとえば僕自身の肌は赤。両親と妹は青だ。学校や町なかで見るかぎりでは、赤青黄色の割合はほぼ同じだと思われる。この色が何に基づいて決まっているのか、僕は中学校のころにひそかに調査をして、結局わからないという結論にいたった。遺伝ではないようだし、学業の成績、性格、趣味などともまったく関係がなかった。
ただひとつだけ言えることがある。異なる色の人どうしが親しくなることはまずないということだ。僕のうちでいえば、両親と妹の関係は良好だが、両親と僕、妹と僕の関係はあまりしっくりこない。べつに嫌い合っているわけではないのだが、なんとなくそりが合わないのだ。学校でクラスメートたちを観察してみても、仲が良いのはやはり同じ色どうしだ。実際僕も親しくしている友人はみな赤で、青や黄色の連中とは必要以上の付き合いをしていない。
両親が外出して、僕と妹の二人だけで留守番をしていたある日曜日のこと。這う這うの体で僕が物置から庭に出ると、物音と叫び声を聞きつけたらしい妹が居間の窓からこちらを見て、ぎょっとした顔になった。
「兄さんどうしたのそれ」
「探し物してたらペンキの缶ひっくりかえした」
「うわあ」
頭からもろにかぶってしまい、くさいわべたべたするわで散々である。
「そのかっこうで家に入ったらそこらじゅう真っ青になっちゃうよ。まず庭の水道で少し洗ったら」
「洗って落ちるかな、これ。有機溶剤じゃないと無理かもしれん」
ともかく庭の蛇口につないだホースでひとしきり水を浴びてみたが、いまいち落ちた気がしない。気がつくと妹がサンダルをつっかけてそばに来ていた。僕は言った。
「あまりそばに寄らないほうがいいぞ。ペンキはねるかも」
「わかった。これ置いておくね」
何かと思ったら、ベンジンの容器だった。物置から取ってきたらしい。
「すまん、助かる」
「お風呂にお湯はってくる。そのペンキ落としたらお風呂に入んなよ。風邪ひくよ」
いつになく親切だが、この際ありがたい。ぱたぱたと走り去ろうとする妹の背中に、僕は呼びかけた。
「わるいけど、風呂張る前に僕の部屋に行って、古いシャツとか適当に持ってきてくれないか。あと家の中にぼろきれとかあればそれも」
「うん、わかった」
はて、と僕は思った。ふだんの僕であればいまのように気がねなく妹に頼みごとなどしないし、妹もすんなり聞き入れはしない。まさかと思うが、青の塗料をかぶったせいだろうか。青である妹はいまの僕を青の仲間と見なして親身に対応し、僕自身も青になりきって妹に接しているのか。
妹はほどなく大量の布きれを抱えて戻ってきた。僕はそれをベンジンにひたして髪や体をぬぐい、こびりついた塗料をどうにか拭き取った。
「兄さん、お風呂場に着替え用意しておいたから」
妹が庭に出てきてそう告げ、やおら僕をしげしげと見た。なにやら困惑している様子だ。僕が青くなくなったので、どうして自分が親切にふるまっていたのかわからなくなったのかもしれない。僕のほうもなんだか妹にすなおに感謝する気持ちが薄くなっていた。
「ああ」
それだけ言って家の中に入り、風呂場へ直行した。服を脱いでいると脱衣所の外で妹のつっけんどんな声がした。
「庭にちらかってる布とかベンジンとか、ちゃんと片づけてよ。あと物置のなかにぶちまけたペンキもきれいにしておいて」
「ああ、わかってるよ」
僕もぞんざいに答えて風呂場に入り、後ろ手にドアを閉めた。
今回イメージした曲は、『ツキヨニサラバ』(タイトー、2005年)から、
「ONE NOTE BLUES」(東野美紀作曲)です。




