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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
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077:まあまあの壁

 その事件は中学三年のとき、一学期の中間試験の最初の日に起こった。

 その日の試験科目と帰りのホームルームが終わって、クラス担任の教師が教室を出てゆき、生徒もおのおの席を立った。試験はもう一日あるから、みな家に帰って勉強するのだ。僕も当然そのつもりだったが、教室を出るまえにクラスメートの一人に呼び止められた。仮にAと呼ぶことにするが、ふだんあまり親しくしていない男子生徒だ。

 「ちょっといいか。長くはかからないから」

 話をする用事は思い当たらなかったが、ともかく僕は振り返り、そのとたん横っ面にAのげんこつがクリーンヒットした。そばにあった机椅子をはでに巻き込んで倒れる。ほかの生徒たちの悲鳴。僕は頭がくらくらするのをこらえて立ち上がった。なぜAがいきなり暴力に訴えたのかさっぱりわからないし、第一そんなことはどうでもいい。僕は一方的に殴られてそのままおとなしくしているような人間ではない。拳をかため、お返しとばかりに猛然とAになぐりかかった。

 Aは油断していたらしい。僕の拳はAの顔面をジャストミートし、Aはいまさっきの僕とまったく同じようなかっこうで倒れた。野次馬がふたたび悲鳴をあげる。

 Aはむくりと起き上がって、どなった。

 「なにすんだこのやろう!」

 「それはこっちのせりふだ!」

 どなり返した僕を、Aは信じられないものを見るような目で見た。

 「おまえ、ほんとにわかってないのか。さっきの英語の試験の時のことだぞ」

 「例のカンニング以外、特に何も変わったことはなかったと思うが」

 「そのカンニングの件に決まってるだろう!」

 試験中に、僕の前の席の生徒、仮にBとしておくが、そいつがカンニングペーパーを使っていたのである。気がついた僕は即座に監督の教師を呼んでBを告発した。Bはすぐさま教室から連れ出され、おそらくどこかで絞られているのだろう、ホームルームが終わっても戻ってきていない。

 「つまりあれか、Bのカンニングをばらしたことの仕返しか」

 「そんなんじゃねえよ。社会のために必要な制裁だ」

 えらい大上段に出てきた。いったい何が言いたいのだ。

 「社会のためっていうなら、カンニングを見逃すほうがよっぽど社会のためにならないだろ。まじめにやってるやつがみんな迷惑する」

 「だれが見逃せなんて言った。試験が終わってからやつにじかに話をして、自首させればよかっただろう。なのにいきなり教師に仲間を売り渡すようなまねしやがって。さっきおれがなぐったのはその落とし前だ」

 さも当然のことのようにAは言う。もちろん僕は納得できなかった。

 「僕はべつにBの仲間じゃないんだけど」

 僕がそう言うと、Aは息をのんだ。

 「おまえ、本気で言ってんのかそれ。同じクラスの仲間だぞ」

 「同じクラスだからって、なんでもかんでも仲間ってことにはならないだろ」

 「そうか。おまえがそういうやつだと知ったからには、ここで始末しておかないといけないな」

 Aはためいきをつくと、そばに転がっていた椅子をつかんで振り上げた。僕はさすがに驚いたが、すぐわれに返りこちらも椅子をとって応戦の構え。そのとき、まわりで野次馬していたクラスメートのCとDとEとFとGとHとIとJとそのほか大勢がいっせいに僕とAのあいだに割り込んで引き離した。

 「離せおまえら! こんなやつがいたら人と人の信頼がなくなって社会がバラバラになるぞ!」

 「まあ落ち着け」

 「止めないでくれ! あれは社会のためとか言いながら平気で人を殺そうとする怪物だ!」

 「まあおまえもいきりたつな」

 「まあまあ」

 「なにがまあまあだ!」

 「まあまあ」

 「まあまあ」

 「まあまあ」

 「まあまあ」


 それから卒業するまでのあいだ、僕とAは互いに相手を殺す機会をうかがいつづけたが、同じクラスのみならず学校中の生徒によって完璧に隔離され、ついに果たせなかった。教師たちも陰で僕とAを引き離すように動いていたふしがある。卒業後は別々の学校に進んだため、顔を合わせることもなくなった。クラス会はたびたび開かれたが、僕を呼ぶときにはAを呼ばず、Aを呼ぶときには僕を呼ばないように幹事が工作しているらしい。

 一度だけ、町なかを歩いていてAが向こうからやってくるのを見かけたことがある。たちまち殺意が燃え上がり、僕は地面に落ちていた手ごろな重さの石を拾ってやつのほうへ向かった。あちらも僕に気づき、よくとがったペンをポケットから取り出す。互いに足を進めてついにあと少しで手が届くというとき、近くにいた年配のご婦人が僕の袖をとらえた。

 「せがれや、しばらくぶりだねえ。よく顔を見せておくれ」

 「え、いや、人違いです」

 「おまえったら、ちっとも連絡をくれないんだから。でも元気そうで安心したよ。仕事は順調かい」

 どうもこのおばあさんはぼけているようだ。しっかりと僕を捕まえて、離してくれない。

 「スミマセーン、シャッターお願いしまーす」

 「いや、申し訳ありませんがいまちょっと取り込んでまして」

 「まあまあ、ボタン押すだけネ」

 AはAで外国人の観光客らしき女性二人連れに捕まってカメラを押しつけられていた。おたがい殺すべき相手が目と鼻の先にいるというのに、すっかり足止めされてしまっている。

 「せっかくだからちょっと寄って、お父さんにお線香を上げていっておくれ。こないだの法事には来なかったんだから、そのぐらいは、ね。ほらほら」

 「あの、ちょっと、僕は大事な用が」

 「まあまあ、少しぐらいいいじゃないの」

 引きずられていきながら振り返ると、Aも女二人の手で反対方向へ引きずられてゆくところだった。

 「お兄さん、すごくいい男ネ」

 「シャッター押してもらったお礼に、あっちのカフェでお茶ごちそうします」

 「いえ、ほんとにいまは都合が」

 「まあまあ」

 「まあまあ」


 今回のイメージの元になっているのは、『リッジレーサーV』(ナムコ、2000年)から、

 「SAMURAI ROCKET」(高橋コウタ作曲)です。


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