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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
74/100

074:こうもりの娘

 六日の月がとうに沈んで、時刻は真夜中を回ったころ、男が家の横の畑で大根の葉についた虫を取っていると、村の小学校の教師が訪ねてきた。この夜は雲ひとつない星空で、野良仕事にも外歩きにも支障はない。

 この教師とはおたがい腕白小僧だったころからの遠慮のない間柄。男はざっくばらんにこれを迎えた。

 「どうした、家庭訪問か。娘なら中で飯の支度をしているが」

 暗い家の中からは、包丁で菜をきざむ小気味よい音が聞こえてくる。

 「なに、郵便局に行くついでに寄っただけだ。しかし、遊びたい盛りだろうに家の手伝いとは感心な子だ。学業のほうは相変わらず惨澹たるものだが」

 「学校の成績がふるわないのはやむをえまい。あの子は『こうもり』ではないのだから」

 「わかっている。責めているつもりはないよ」

 この村の人々のあいだには、自分たちの先祖はこうもりであるという言い伝えがあった。もちろんただの伝説である。だが、実際に村人たちはみな非常に夜目がきき、わずかな星の光さえあれば物を見るのに不自由することがなかった。村では外の世界とは逆に、日の入りとともに起き出して仕事をし、夜明けになると寝床に入るという暮らしをしている。学校の教室も、明かりは月と星の光だけである。ところが、この娘は亡き妻がどこかのよそものと浮気をしてこしらえた子であり、夜目がまったくきかなかった。すなわち娘の不成績の理由は、教室が暗くて黒板や教科書の文字がほとんど読めないことである。

 教師は言った。

 「昨日から村長のところにカメラマンというのが泊まっているのを知っているか?」

 「カメラマンというのは、写真屋のことか」

 「いや、店にやってきた客の写真を撮るのではなく、自分でカメラを持ってあちこち写真を撮りに行くらしい。いままでに何冊も写真集を出版していて、賞もとっているそうだ。この村の暮らしも、よそとは違っているから写真の題材にもってこいだとか」

 男は疑問を感じた。

 「いったい何を撮るんだ。カメラというものは暗いところではものの役に立たないと聞いたことがあるが」

 「そのとおりだ。だが、そいつのカメラは最新式で、暗いところでも撮影ができる仕掛けがあるらしい。詳しくは教えてもらえなかったが」

 「会ったのか、その男と」

 「今日うちの学校に来たよ。授業の様子を見学して行った。近いうちにあらためて撮影に来ると言っていた」

 やがて教師は去ってゆき、男は畑仕事に戻った。この村の授業の風景は、夜目のきかないよそものにとっては闇の中で声ばかりがするというものだったにちがいない。さぞかしちんぷんかんぷんだっただろうと考えてにやりと笑ったが、そこで男は少し気持ちが沈んだ。娘は毎日そのちんぷんかんぷんな授業を受けているのだ。

 それから一週間ばかり、カメラマンは村のあちこちを歩き回っていた。話し上手で人好きのするたちだったらしく、散策の途中で村人たちに出会うと写真のことなどそっちのけで外の世界の噂話を語って盛り上がることもしばしばだったようだ。

 男も二回ほどカメラマンの姿を見かけた。ただ、そのときの印象は村人たちの間の評判とはだいぶ違っていた。一度めは道で行き合ったのだが、こちらが丁寧にあいさつをしたのに向こうはそっけなく会釈を返したのみだった。二度めに見たときは、カメラマンは娘が川で洗濯をしている様子を道からしばらくのあいだ眺めていた。その背中にはただならぬ葛藤が渦巻いており、男は声をかけそびれて、相手が立ち去るまで物陰で見守った。その日から男は朝寝る前に家の戸締まりを厳重にするようになった。

 十四夜のこと、教師がまた家の前を通りかかったので、男は呼び止めた。

 「おい、あのカメラマンのことでちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか」

 相手の表情がくもったのを見て、男はやはりと思う。あのカメラマンには何かある。

 「その後やつは学校に撮影とやらに来たか?」

 「いいや。授業の様子は何度か見にきたがね」

 男は家のほうを振り返った。さきほど見たときには娘は掃除をしていた。まだしばらくは家の外に出てこないだろう。

 「やつの学校でのふるまいに何か気になるところはなかったか?」

 「あったよ、最初から。妙におまえの娘のことを気にしているふうだった。暗闇の中だから気づかれないとでも思ったのか、あからさまにじろじろ見ていたな」

 今夜は最初からその話をするつもりだったのか、教師はすらすらと答えた。

 「それでどうも怪しいと思って中央にいる知り合いに手紙を出して問い合わせたんだ。その返事が今日とどいていた。いま郵便局で受け取ってきたところだ。結論から言えば、あのカメラマンはほらふきか詐欺師だ。やつの言っていた写真集はひとつも出版されていないし、賞もとっていない。だいたい、この村に来てからやつが写真を撮っているところを誰も見ていないんだ。いままでにまともに写真を撮ったことがあるかどうかも疑わしい」

 くれぐれも用心しろ、村長の耳にも入れておく、と教師は言って立ち去った。男はしばらく考え込んだ。かの偽カメラマンが娘に関心を持っているのはどうやら確かだ。それはいったいどのような種類の関心だろうか。娘はまだ十になったばかりだから、恋愛の方面の話だとは考えられない。だとすれば残る可能性は一つしかなかった。

 あくる十五夜、月がまだ高くのぼりきらないうちに、自称カメラマンは男の家を訪ねてきた。この村では十五夜と新月の夜は学校も役場も休みになっており、そのとき娘も家にいた。男はカメラマンを座敷には上げず、月の光の差し込む玄関の土間で立ったまま応対した。娘が様子を見に出てきたが、奥に入っていろと言って追い払った。

 男は言った。

 「何の用で来たか見当はついているが、一応言ってみろ」

 カメラマンは答えた。

 「娘を引き取りたい。あれは僕の子だ」

 「断る」

 「いきなりよこせと言われて、はいわかりましたと言えないのは当然だ。僕としても、いままで放置しておきながら突然こんなことを申し出るのは心苦しい。だが、どう考えてもこの村を出たほうがあの子のためになるんだ」

 「夜目のきかない者がこの村で暮らすのは苦労が多いからな」

 男はうなずいた。外の世界に出れば学校の授業は昼間だから、教科書や黒板の文字もちゃんと読むことができて、成績も上がるだろう。家の中でも、以前は包丁を使えば手を切る、掃除をすれば手桶にぶつかってひっくりかえすというありさまだった。夜寝て昼間起きる暮らしであれば、そのような事故もずいぶん少なかっただろう。

 「だが」と男は言った。「いまではあの子はおれよりもうまく包丁を使えるし、家の中の仕事も畑の手伝いもいっぱしの大人なみにできる。新月の夜に村の子どもらがかくれんぼをして遊ぶのを、あんたは見たことがないだろう。隠れた子どもを見つけることにかけては、あの子はほかの子どもよりうまいぐらいだ。本人に言わせると、そこに物があるかないかでまわりの音の聞こえかたが違うというんだが、この村の人間はおれも含めて誰ひとりそんなものは感じ取れん」

 幼なじみの教師から聞いた話を男は思い出す。動物のこうもりは、じつは目だけではなく耳でもものを見ているというのだ。こうもりを捕まえて耳をふさいでから放すという酔狂な実験をした者がいて、そうするとこうもりはまわりの物にぶつかってしまってうまく飛べないのだという。あの子のほうがわれわれよりもよほど『こうもり』なのかもしれないね、と教師は言っていた。

 「あの子はこの村でうまくやっていける。心配には及ばない」

 男がしめくくると、カメラマンはためいきをついて、首からさげた機械を持ち上げた。おそらくそれがカメラなのだろう。連れて行くのがだめならせめて写真を撮らせてくれとでも言うのだろうか、と男は油断した。

 つぎの瞬間あたりが真っ白になった。目が痛い。何も見えない。男は土間に倒れてのたうちまわった。カメラマンの声が聞こえる。

 「これはストロボといって、暗い場所で写真を撮るのに使うものだ。この村の人は光に敏感だから、さぞかし効いただろう」

 足音が奥へ進んでゆく。娘をつかまえて連れ出そうというのか。止めなければと男はあせるが、目がくらんでしまって、自分がいまどこにいるかさえわからない。

 そのとき、あけっぱなしの戸口から湿った冷たい風がさっと吹き込んだ。同時に足音が止まる。舌打ちの音。

 「雲が出たか。これじゃ娘を探すこともできない。懐中電灯を持ってきてよかった……」

 だしぬけにゴツンという重たげな音が響いて、カメラマンの悲鳴があがった。

 「いてえ! だれだ、何をする!」

 「カメラマンさんこそ、父さんに何をしたの」

 娘の声だった。カメラマンの声があわてる。

 「いや、これは……。そう、この男はじつはきみの本当のお父さんじゃないんだよ」

 「うん。知ってる」

 それは当然だ。両親は夜目がきくのに娘はそうではないのだから、自分はこの両親の本当の子供ではないのではないかと娘が思わないはずがない。それゆえ男はもう何年も前に自分が本当の父親ではないことを告げていた。

 「じつは僕がきみの父親なんだ。それで、きみをこの村から連れ出そうと思って。ほら、夜目がきかないとこの村で暮らすのは不便だろう?」

 男はやっとのことで薄く目をあけた。まだ頭がくらくらして起き上がることもできないが、あたりの様子はぼんやりと見てとれる。月が隠れてほとんど真っ暗になった玄関で、カメラマンと娘が向き合って立っている。娘は太い薪を手にしているようだ。あれでカメラマンをなぐったのだろうか。

 カメラマンが娘につかみかかった。おそらく声で居場所の見当をつけたのだろうがその動きは思いきりが悪く、娘はあっさりと身をかわす。

 「本当の親じゃなくったって、あたし父さんのこと好きだもの。友達もこの村にいるし、それにべつに不便なんかじゃない」

 娘の声を追ってカメラマンはそこらじゅうを駆けずり回るが、その手は娘にかすりもしなかった。カメラマンはきっと気づいてはいまい。娘が目をつぶっていることに。暗闇のなかで、娘は音を見ているのだ。

 逃げ回って土間に下りた娘をカメラマンは追ってきて、上がりかまちから足を踏み外した。もんどりうって土間に落ちる。一部始終を見ていた男はよいしょと立ち上がった。足元に何か転がっているので拾い上げてみると、懐中電灯だった。カメラマンが最初になぐられたときに落としたものだろう。

 どこか打ったらしくうずくまるカメラマンに男は歩み寄り、手をのばしてカメラを奪い取った。

 「これは危ないからあずかっておく。懐中電灯は返してやるから、痛みがおさまったら村長の家まで来い。おれと娘はひと足さきに行っている。そこで話をつけよう」

 娘に手を差し出すと、笑顔でつかまってきた。たまには二人で散歩というのもいいだろう。男と娘はカメラマンを残して玄関を出る。


 今回のイメージ元は、『AZEL-パンツァードラグーンRPG-』(セガ、1998年)から、

 「アトルムドラゴン」(小林早織作曲)です。


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