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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
71/100

071:孤立無援の星に生まれて

 おぬしには孤立無援の相がある。

 ずっとむかし、まだ年端もゆかないころに、男は道ばたで人相見の老婆に呼び止められてそのように告げられたことがある。あやしげな占いなどに興味はなかったし、金もなかったので、そのときはそのまま通りすぎた。しかし大人になってから、何かにつけてその言葉を思い出すようになった。もしもいまあの老婆にふたたび出会ったら、有り金をはたいて詳しい見立てを聞くだろう。

 「わらわにはふつうの顔に見えるがのう」

 肩の上にすわって男の述懐に耳を傾けていた白い鼠は、その横顔をしげしげと見て感想をのべた。男は鼻で笑った。

 「そうだろうな。おれもほかの人間からあんなことを言われたことはねえよ。でもあの婆さんにはべつのもんが見えてたんだろう」

 夜の風が町の上を吹きわたり、男の外套のすそをばたばたと揺らした。いま男が歩いているのは、町の目抜き通りにびっしりと立ち並ぶ飲み屋の屋根の上だ。下の通りは酔っぱらった連中とこれから酔っぱらう連中が行き来して、まっすぐ歩けないほどの混雑ぶり。そのうえ揃いの鎧を身につけた兵士が何百人も繰り出して、通りにいる人間にものをたずねる、店の中で飲んでいる客の顔をあらためる、路地をのぞきこんでごみの山を掘り返す、はては店の者が止めるのも聞かず酒樽を打ちこわして中に人が隠れていないかたしかめるなどといった狼藉を働いていた。だがまさかその尋ね人と尋ね鼠が屋根の上をのんびり歩いていようとは誰も思わないらしい。男は言った。

 「つまりああいうことさ」

 「どういうことじゃ」

 鼠は人間くさいしぐさで首をかしげた。

 「ふつうの人間は屋根の上なんか歩こうとは思わねえってこった。だからだれもそんなところ見やしねえ。ところがおれはいつだって屋根の上とかどぶの中とか、人が行かねえようなところばかり歩いてる。好きでやってるわけじゃなくて、気がつけばいつのまにかそうなってるんだ」

 「つまりそれが孤立無援ということかの」

 「そういうこった」

 鼠は男の首すじにひげの生えた鼻づらをすり寄せた。男は歩きながら身もだえした。

 「やめろ、くすぐったい」

 「のう、首尾よく都に戻ることができたら、おぬし正式にわらわの側に仕えぬか。身分の低いものを王女の側仕えとして取り立てるなど前例がないと難癖をつけるやからもあろうが、なに、呪いで鼠の姿に変えられたわらわをあやういところから救い出したという手柄がある。あの時たまたまおぬしが居合わせなんだら、わらわはまちがいなく謀反人どもの手に落ちておった。論功行賞は君主の務めじゃによって、父も否とは言うまい」

 「宮仕えなんぞ性に合わん」

 男は言下に切って捨てた。そして頭をぼりぼりかきながら付け加えた。

 「それに姫さんよ、あんたまだよくわかってないぞ。かりにおれが乗り気で、王様もほかのお歴々もそれをこころよく認めたとしてもだ、何かろくでもないどうしようもないことが起こって、結局おれは御殿から身ひとつで飛び出すことになるんだ。あの婆さんの言ってた孤立無援ってのは、そういうことさ」

 「これまでおぬしは、何度もそのような目に遭うてきたというのか」

 「何度もどころか、何百度もな」

 鼠は声をあらげた。小さな体からは思いもよらぬ大きな声でなげく。

 「そしてこれからもずっとそのような憂き目を忍びながら生きてゆかねばならぬというのか。おぬしはそのように飄々としておるが、かようなむごい生涯があるものか」

 そのとき下の通りでどっと声があがった。王女がいたぞ、屋根の上だ、はしごを持ってこい、と呼びかわして、兵士が続々と集まってくる。鼠の声を聞きつけて屋根を見上げた者がいたらしい。男が首を振り、鼠は肩の上で小さくなった。

 「すまぬ。つい興奮して、声が大きくなってしもうた」

 「港まで行けば船があるんだったな?」

 「そうじゃ。わらわが都から乗ってきた船が、おお、もうあそこに見えているというのに」

 二人の歩いている屋根の連なりは行く手しばらくのところで途切れ、その先は海に面した港であった。何隻もの帆船が停泊している中に、ひときわ大きな軍艦がある。鼠の言っているのはそれのようだ。

 兵士たちは機敏だった。男と鼠を見つけるとすぐに屋根の上にのぼってきて、港に行きつかないよう立ちふさがったのである。王女の身柄を渡して縛につけ、と要求してくるのを聞き流して、男は肩の上の鼠に問うた。

 「向かい風だぞ。船にたどりついたとしても、これでは港を出られんだろう」

 「いや、あの船にはわらわの付き人の魔法使いが乗っておる。その者は風を思いのままに操ることができるのじゃ。港を出てきゃつらの追っ手を振り切るなど何とでもなるはずじゃった」

 「なるほど、わかった」

 今はこれまでとあきらめきった様子の鼠を、男はいきなりむんずとつかんだ。ぎゃあ、と悲鳴をあげる鼠。

 「無礼者め、花もはじらう乙女を鷲づかみにするやつがあるか」

 「暴れるな。この距離ならじゅうぶん届く」

 言いざま後ろに大きく腕を引いた。あきらかに鼠を船まで投げる構えである。鼠はあわてて叫んだ。

 「わらわだけ船に届けて、おぬしはどうする気じゃ」

 「おれひとりならいくらでも逃げようはある」

 男の意図を察した兵士たちが、不安定な屋根の上をへっぴり腰で走ってくる。男はかまわず、腕をするどく振り抜いた。白い鼠は流れ星のように夜空を飛び、狙いたがわず船の上に落ちてころころと転がった。

 ふらつきながら四本の足で甲板に立ち上がり、鼠は後ろを振り返った。王女殿下がお戻りになったぞ、すぐ船を出せ、とまわりで叫び声がするのを気にもとめず、もといた屋根の上に目をこらす。ほんの一瞬だけ兵士の群れのむこうに男の姿が見えたが、すぐに屋根を飛び下りてどこかに消えてしまった。魔法の風が吹いて船が動きはじめ、港を出て町が見えなくなるまで、鼠はずっとそのまま後ろを見つめていた。


 今回イメージした曲は、『いけにえと雪のセツナ』(スクウェア・エニックス、2016年)から、

 「Out of time」(三好智己作曲)です。


 2023年8月23日、「今やこれまで」を「今はこれまで」に訂正。


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