070:落日の竜騎士
軍の支給品の糧食はスープと称する塩水の缶詰とモサモサしたビスケットで、これよりまずいものはないとかねがね思っていたのだが、そのまずさにも程度の差があることを私は今回の遠征で知った。いつもの駐屯地や演習場で食べるこれよりも、いまいるこのじめじめした沼地で食べるこれのほうが数段まずい。
私は食事を終えてアルマイトのカップでコーヒーを飲む。これもいつもと同じ豆のはずだが、水が違うせいかどうもぴりっとしない味だ。従卒が白湯と薬を差し出してくるので、いやいやながらそれも飲む。水が合わないのかそれとも気候のせいか、中央からやってきた人間はこの土地ではたいてい下痢をするので、その予防のための薬である。
「竜の様子を見てくる。なにかあったら大声で呼べ」
食事の片づけにとりかかる従卒にそう言い置いて天幕を出た。
薄いもやがあたりを覆っている。ここは沼のほとりに位置するさびれた漁村のはずれの空地。もやをすかして沼のほうをうかがうと、水辺の低木に鎖でつないだヤギが見えた。ごくのんびりした様子だ。何かが出そうな感じはない。
ことの起こりは十日ほど前、村に住むある漁師の家が沼から出てきた大蛇に襲われ、一家七人のうち四人まで食い殺されたことだった。大蛇は沼のぬしと呼ばれている巨大なもので、これまでにも夜中に豚やヤギなどの家畜をさらっていくことがあったという。また、沼で漁をしている最中に行方不明になる者もときおりあったそうで、これも大蛇に襲われたのではないかとささやかれている。今回の事件を機に政府も退治に乗り出し、派遣されたのが私というわけだ。
「だいじょうぶか。気分はどうだ」
天幕の横手では私の竜がぐったりと寝そべっていた。頭の先から尾の先まで馬五頭分に及ぶ巨体にはいつもの張りがなく、翼の膜も心なしかしおれている。この土地に来てから人間同様に下痢に悩まされているのだ。いちおう薬も与えてみたのだが、竜にはほとんど効き目がないようだ。それでも目には力があり、いざというときには十分な働きをするだろうと自信を持って言い切れる。
私は竜の首すじをさすりながら語りかけた。
「今日で六日めだ。そろそろあちらさんも腹をすかせているころじゃないかな。沼から出てきさえすればこっちのものだ。さっさと片づけて中央に帰るとしよう」
竜が人の言葉を解するかどうかについて、学者のあいだでは議論があるが、われわれ竜騎士はまったく疑いを持っていない。このときも竜は、私の言葉に賛成だと言わんばかりに瞬膜をしばたたいて低いうなり声をだした。私はうなずいた。
「そうだよな、おまえも早く帰りたいだろう。まったく、団長が変な横車を押さなければ、私もおまえもこんなところに来なくてもよかったんだけどな」
竜と話をしているうちについ愚痴っぽくなってしまうのもしかたないというものだろう。昔は無敵とされていたわが竜騎士団も、銃や大砲の性能が向上するにつれて戦績が低下し、いまでは解散さえ取りざたされるありさまだった。そんなときに降ってわいたのが今回の大蛇退治である。最初は陸軍が歩兵を中心にした討伐隊を派遣する予定だったらしいのだが、うちの団長が手柄を欲しがって仕事を無理矢理もぎとってきたのだそうな。水中に住む大蛇は空を行く竜騎士にとっては最も相性の悪い相手だとわかっているだろうに、無茶をしてくれたものである。かくして私たちがこの沼べりで日を送るはめになったという次第。
言葉がとぎれた。どこかで鳥がすこし鳴いたが、沼はまったく静かだった。このへんは村の中心からは離れているので、地元の人々の暮らしの気配は伝わってこない。もし何かあれば鐘を鳴らして知らせてもらうようにしてあるが、これまでの六日間は何ごともなかった。ここからは見えないが、ヤギもおとなしくしているようだ。これ見よがしに水辺にヤギをつないでいるのは、もちろん大蛇をおびきだすためのおとりである。
ひとしきり竜を相手に愚痴をこぼすと、私は天幕のほうにいる従卒に声をかけた。
「おい、ちょっと運動してくる。留守番たのむぞ」
承知したという声が返ってくるのを聞きつつ、竜の背にまたがる。作戦中なので鞍も武装も着けたままであり、すぐ飛び立つことができる。竜は四本の脚で立ち上がり、ずしんずしんと岸を助走すると翼をはばたいてぐいと飛び上がった。薄くもやのかかった沼と村の景色が足元にひろがった。
「やはり飛び立つまですこし時間がかかるか。飛び上がってからもどうも動きが重い感じだ」
ぶつぶつ言いながら村の中心のほうをめざした。沼での漁業以外にほとんど産業のないさびれた村である。十数軒の民家がまばらに立っているだけで、ものを売る店などはない。その漁業もここ数年は目に見えて振るわなくなっているという。近年上流にできたダムが原因だと村の人々は考えているようだ。こっちに来るまえに読んだ新聞には、大蛇が人を襲うようになったのも餌になる魚が少なくなったことと関係があるのではないかと書いてあった。
沼はいたるところ水草が生い茂り小島が乱れ立って、ひどく錯綜した地形である。水は濁っており、上から見下ろしても水中にひそんでいるであろう大蛇の影は捉えられない。
どうやら村は変わりないようだし、運動と警戒を兼ねた空中散歩は早めに切り上げて野営地に戻ろうと私が考えたそのとき、竜がいきなりぐるりと頭をめぐらした。どうしたと思う間もなく、一発の銃声。遠い。もしや天幕に置いてきた従卒が放ったものか。
「戻れ!」
私が叫んだときにはすでに竜は全速力で野営地に向かっていた。銃声は二発、三発と続く。村にも年代物の火縄銃を持った者はいるが、何発も続けて撃つことはできないし、音もちがう。軍の制式の連発銃、撃っているのは従卒でまちがいない。
体調が良くないとはいってもさすがに私の相棒は頼もしかった。普段と遜色のない速さで野営地に迫る。そして私は見た。巨大な、長大なものが岸辺をのたうっている。銀色のぬらぬらした体と、その体全体にわたる背びれ。全長は竜よりも大きいだろう。まちがいなくくだんの大蛇だ。つないであったヤギの姿はない。ただ大蛇の口から鎖が出て、木の幹につながっている。やつめ、ヤギを鎖ごと丸のみしやがったのだ。
私はあぶみに足を踏んばって、鞍の脇に備えつけられた武器を持ち上げた。竜は待ってましたとばかりに高度を上げはじめる。私は重い武器を取り落さないよう、慎重に握りなおした。竜騎士の武器と言えば昔からこれ、投げ槍だ。
「よし、このへんでいいぞ」
私が言うと竜は上昇をやめて一気に急降下した。地面のあたりで木の裂ける音がする。大蛇が鎖を引っぱって木をへし折ったかしたらしい。こうなればやつは一目散に沼の中に逃げ込んでしまうだろう。攻撃の機会は一度だけだ。
竜は速さを増しながら真っ逆さまに高度を下げてゆく。もやのむこうに大蛇の姿がおぼろに見えた。予想どおり沼に戻っていくところだ。もともと陸で活動する生きものではないうえ、折れた木を引きずっていることもあって、動きは鈍い。これなら当てられる。
私と竜は大蛇の左斜め後ろから急角度で落ちかかった。大蛇の左のえらを狙い、その少し前めがけて槍を落とす。投げるのではない。ただ落とすだけだ。竜はすぐさま強くはばたいて上昇した。直後にずしんという重い音。私は振り返る。
槍は狙いどおり大蛇の首すじを貫通していた。地面に縫いとめられた大蛇はひととき激しくのたうったが、すぐに静かになった。
私と竜は地面に下り立つ。離れたところにいた従卒が歓声をあげて駆け寄ってくるのを迎えつつ、大蛇とそれを仕留めた槍を眺める。それは普通の槍ではない。柄まですべて鉄でできた、人間の力では持ち上げるのがやっとの金属の塊だ。竜の上から狙いさだめて落とされるそれは、近ごろではすっかり時代おくれになっているが、かつては城攻めに用いられて一撃で城壁を崩すなどの戦果を挙げ、竜騎士の名を大いに高からしめたものだ。
もやと血のにおいのなか、私は大蛇に黙禱する。これまで何百年ものあいだ、あまたの竜騎士たちが自分の倒した敵にしてきたように。
今回イメージした曲は、『ファイナルファンタジーX』(スクウェア、2001年)から、
「襲撃」(浜渦正志作曲)です。




