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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
58/100

058:よろめいた日のこと

 トイレで用を足して戻ってくると、教室がフィーバーしていた。

 はやりのロックバンドの曲を何人かのクラスメートが声をそろえてがなり、ほかの連中は手拍子をうったり口笛をふいたり。騒ぎの中心は教卓の上でノリノリで踊り狂う小柄な女子生徒だ。

 俺はしらけた気分でそれを一瞥して、教室のいちばん後ろの自分の席に着いた。だがそうすると嫌でも教室正面のばかさわぎが目に入る。目をそらすのも負けのような気がして、あえてじっくり見物してやった。メリハリのきいた軽快な踊りだ。認めるのは癪だが、見ているうちに引き込まれてだんだん楽しくなってくる。

 一曲終わったところでちょうど休み時間もおしまいになった。やつはスカートをひるがえして床にとびおり、教卓を制服のブレザーの袖でさっと拭くと、おれのとなりの席にもどってきた。クラスの連中の拍手喝采に両手を挙げてこたえる様子は、さながら大物の芸能人である。

 席につくと、やつはおれのほうに身を乗り出してたずねた。

 「ねえねえ、いまのどうだった?」

 「あんな高いところで踊るからパンツ見えてたぞ。気をつけろ」

 「ほほう。あたしのパンチラを見て欲情したと」

 「しねえよバカ」

 苦々しく答えて、横目でやつをちらりと見る。やつは椅子にすわって両足をぶらぶらさせながら、次の授業の教科書を出していた。極端に小柄であり、身長は一メートルを少しこえる程度。といっても子供ではなく、出るところのそれなりに出た女らしい体つきをしている。やつはわれわれとは別の種族、小人族なのだ。


 近年の人類学の研究によると、われわれと小人族が枝分かれしたのは二百万年以上前のことであるという。以後の長い年月でほかの種類の人類はすべて絶滅し、われわれと小人族だけが生き残った。

 こんにち小人族の人口は全世界で二千万ほどとされており、われわれに比べるとかなり少ない。おれの住む町でも見かけることはめったになく、うちの高校ではやつが唯一の小人族の生徒である。

 そして、マイノリティーの常として小人族もしばしば差別や迫害をこうむっている。ちょうどいま、学校から帰る途中のおれの目の前でもその実例が進行していた。

 とあるたいやき屋の店先で、見慣れた小柄な体が背伸びしてレジカウンターの上に小銭をのせている。小人族にとってカウンターは背丈と同じぐらいの高さだ。

 「えーっと、これで百八円ちょうど」

 店番のおばさんは小銭をじろりと見ると、湯気をあげる紙包みをぞんざいにやつに押しつけた。毎度ありがとうございますのひとこともありはしない。おれは大股に近づいた。おばさんは一転して笑顔になった。

 「あらいらっしゃい。いま帰り? 今日は何にするの?」

 うちの高校では、帰宅途中のおやつとしてこの店のたいやきを買い食いする者が多く、おれもたびたびお世話になっていた。おばさんとも顔見知りである。

 「あ、やっほー。おいしいよね、ここのたいやき」

 やつがのんきに笑って声をかけてくるのを無視して、おれはつかつかとカウンターに歩み寄り、小銭をさりげなく引き寄せようとしていたおばさんの手をおさえた。

 「いつのまに値上げしたんですか。税込百円のはずですよね?」

 おばさんの笑顔がすっと消える。ほんの一瞬だけ険悪な顔でおれをにらんできたが、すぐに目をそらし、無言で百円だけ取って残りの八円を突っ返してよこした。

 五分後、おれとやつは近くの公園のベンチに並んで腰を下ろしていた。

 「つまり税込百円のところを、税別百円とウソついて、消費税分だましとろうとしたってこと? もしかしてあたしが小人族だからいやがらせ?」

 「たぶんな。おまえもあっさりだまされてるんじゃねえよ。税込百円って正面に貼り出してあったろうが」

 「あー、うん。ぜんぜん見てなかった」

 あっけらかんと言いながら、やつは紙包みをひらく。

 「ま、たいやきには罪はないよね。お礼と言ったら何だけど、半分たべる?」

 「いらん。あの店のたいやきはもう食いたくねえ」

 おれはやつがたいやきにかじりつくのをぼんやり眺めた。あの店のたいやきをもう食べたくないというのは本音だが、そうでなくてもおれは遠慮しただろう。たいやき半分なら五十円ぶんの計算だ。八円の損害を防いでやって五十円のお礼をもらうのでは勘定が合わない。小人族は概して金銭感覚が鷹揚だといわれているが、どうやら本当のようだ。

 それにしても、とおれはわれに返った。自分はなぜぼけっとすわってこいつがおやつを食うところを観賞しているのか。なんだかばかばかしくなってきて、さっさと帰ろうとベンチを立ちかけたとき、早くもたいやきを食べおわって、やつが切りだした。

 「ところでさ、あたしとつきあう気ない?」

 「は?」

 「ほら、さっきのこともだけど、きみは何かと親切だしさ。あたしとしてはきみのこといいなと思うわけですよ」

 「まてまてまて」

 おれはあわててさえぎる。やつが足をぶらぶらさせながらおれの顔をのぞきこんでくるので、見つめ合ってしまわないよう反射的に顔をそらした。

 「そのつきあうっていうのは、行きたい場所があるんだけど一人では行きにくいので一緒に行ってくれないか的な意味ではなくて、男女の交際というかそっちのほうの……?」

 「あたりまえだよ。そのぐらい読み取りたまえ」

 おれは手で目をおおって、ベンチの背もたれにぐったりと寄りかかった。

 「わるいな。せっかくだけどおれにはその気はないよ」

 「ふうん。それにしては口が笑ってるぞ」

 「え?」

 おれは自分の口元をさわってみて、それが見るにたえないほどにやけているらしいということを知った。われながらなんと正直な顔だ。

 小人族との恋愛というものは、いまのところ世界的にタブーといってよい。男どうしや女どうしの結婚が認められている国もあるというのに、いまだに小人族との結婚が認められる国はないのだ。ついでにいえば子供もできないとされている。

 「種族が違うことを気にしてるの? だいじょうぶだよ、ほら、このあいだも小人族の女の人とつきあってる大臣のことが報道されてたじゃん」

 「あの大臣、結局辞職したじゃねえか」

 「あれ、そうだっけ」

 そうなのだ。小人族と恋愛関係などになってしまったら、ゆくゆく大きな弱点になるだろう。おれは声を絞り出した。

 「えーとな。だいぶ先の話になるけど、おれはこう見えても国家公務員総合職めざしててな」

 「ふんふん」

 「素行によっては採用とか昇進に響くかもしれん。それで、小人族とおつきあいとかするわけにはいかないんだ。すまん」

 「つまんない理由だね」

 「まったくだ」

 やつがベンチから飛びおりる音がした。

 「あたし帰るね。ごめんね、変な話しちゃって。じゃあまたあした」

 おれはぐったりしたまま軽い足音が遠ざかってゆくのを聞いていた。死ぬまでこのことを後悔するだろうな、と思った。


 今回のイメージした曲は、『パカパカパッションSpecial』(ナムコ、1999年)から、

 「JET」(有坂光弘作曲)です。


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