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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
48/100

048:乱戦

 草原は地平線までひろがっていた。風が通り過ぎるのにつれて、丈の低い草が順々におじぎしてゆく。わたしたち六人は草のあいだの細い踏み分け道を、風に追い越されながらたどった。先頭を歩く弓使いがぼやいた。

 《さっぱり出えへんねえ。今日も空振りやろか》

 それに答えを返そうとしたとき、晴れた空ににわかに真っ黒な雲がわいた。天が裂けたかのような音、そして光。わたしたちの目の前の地面に稲光が突き立つ。

 《おお》

 《でたー》

 《ktkr》

 雷の落ちたところに、一頭の巨大なイノシシが忽然と現れていた。この草原のいたるところで見かける普通のイノシシの三倍以上の大きさだ。ここ一週間わたしたちが探している幻のイノシシ『キングボア』に違いない。黄色い目でこちらをじろりと見ておたけびを上げると、地面を揺らして突進してきた。

 わたしたちはただちに打ち合わせどおりのフォーメーションを敷いた。盾を持った二人の重戦士が前に出てイノシシの攻撃を受け止め、軽装の槍使いは横に回り込んでちくちく刺し、弓使いと魔法使いは重戦士の後ろに隠れて毒矢と火の玉を雨あられ、そしてわたしは仲間が傷ついた時に備えて待機する。

 イノシシは外見こそたけだけしかったが、動きはいたって鈍重だった。突進からの体当たり、牙での突き上げ、しっぽでのなぎ払い攻撃、どれもかわすのは難しくなかったし、よけそこなって食らってもさしたるダメージを受けなかった。重戦士の一人がつぶやいた。

 《意外と楽勝じゃね?》

 《まだほんの小手調べや》

 《油断イクナイ》

 ほかの者がとがめた。そう、まだ戦いは始まったばかりだ。わたしたちはフォーメーションを崩さず、攻撃を続けた。

 スロースターターのイノシシがついに本気を出しはじめたのは、戦闘開始から三分が過ぎたころだった。こちらの攻撃にいらだったかのようにはげしく足踏みをするや、左右の目の色が真っ赤に変わった。なにやら地鳴りが聞こえると思ったら、イノシシが深々と息を吸い込む音だった。わたしは危険を感じ、仲間たちに呼びかけた。

 《なんかくるよ!》

 つぎの瞬間、イノシシは口から火を吐いた。炎は大きくひろがり、わたしたち全員を飲みこんだ。

 《ぎゃー》

 《なんじゃこりゃあああ》

 炎がおさまったときには全員重傷を負っていた。こういうときのためのわたしである。即座に味方全員に回復呪文を使おうとして、ところがその瞬間、予想外の事件が起こった。けたたましい電子音がわたしの耳に飛び込んできたのだ。びくりと背すじを伸ばしたはずみにマウスを操作する手元がくるい、回復呪文のとなりにあった魔法防御力上昇の支援呪文をクリックしてしまう。そこへイノシシの突進攻撃。前衛の重戦士二人はとっさに防御姿勢をとってダメージを軽減し、かろうじて持ちこたえた。わたしは今度こそ回復呪文を使い、キーボードに指を走らせて、画面下端のチャットウィンドウに文字を打ち込む。

 《ごめんミスった》

 《おk》

 《どま》

 どうにか最悪の事態は回避したものの、画面の中ではイノシシがいきり立って暴れまわり、一瞬の油断もならない。一方、電子音のほうもずっと鳴りつづけている。出どころは後ろのベッドの上に放り出してある携帯電話だ。着信音は仕事関係でも友人でもなく、家族か親戚のもの。たぶん母だ。

 無視しちゃおうかな、と一瞬考える。今日はちょっと仕事が遅くまでかかって、今やっと帰宅する途中で、電車の中なので電話に出られなかったことにしよう。とそこまで考えて首を振り、携帯電話に手を伸ばした。液晶画面には予想どおり母の名前が表示されている。勇壮な戦闘BGMを奏でるイヤホンを耳から抜き、かわりに携帯電話の通話ボタンを押して耳のそばに持っていく。母のだみ声が勢いよくしゃべりだした。

 「出るの遅かったじゃない。もしかして忙しかった?」

 「なんでもないよ。ちょっと手が離せなかっただけ」

 インターネットでゲームをしていて、どこの誰ともわからない気心の知れた仲間たちといっしょにレアモンスターを倒そうとしているところだ、などとは言わないでおく。そもそもうちの母がオンラインゲームの仕組みを理解できるかどうか疑わしい。

 「しばらく連絡なかったけど、風邪とかひいてない? 季節の替わり目だからね。体調に気をつけるんだよ」

 「だいじょうぶ。そっちは?」

 「わたしもお父さんも元気だけど、そういえばあんた花粉症ってならないんだっけ? 向かいの奥さんがね、今年から急に花粉症になって」

 「だいじょうぶ」

 気のない相槌を打ちながら、わたしはマウスを操作しつづける。イノシシはときどき火を吹くようになったのに加えて、突進や牙の威力も一段上がっている。回復役のわたしは大忙しだ。

 《むりー死ぬるー》

 《あかん、毒矢尽きた》

 《もうちょっとだがんばれ》

 チャットウィンドウの中を仲間たちの発言がどんどん流れ、回復呪文や支援呪文がひっきりなしに飛び、ありったけの攻撃技がなだれのようにイノシシにおそいかかる。

 「仕事のほうはどうなの? わたしの友達の息子さんなんだけど、ブラック企業っていうのに勤めちゃって、過労で鬱病になって、自殺未遂とかもして結局ぼろぼろで退職した人とかもいるけど、あんたのとこはだいじょうぶ?」

 「うちはだいじょうぶ」

 と答えたものの、実のところはそうでもない。しかし、有休をすんなり取らせてもらえないとか、少々のサービス残業があるとか、当たりのきつい上司がいるとか、その程度のことはあえて言わなくてもいいだろう。わたしだって親には心配をかけたくないし、見栄も張りたい。

 《ぎゃあああ》

 《マジかw》

 突如として画面の中を乱れ飛ぶ光。ヒットポイント残り一割を切ったイノシシが額に第三の目を開き、そこからビーム光線を乱射したのだ。槍使いと魔法使いが死亡し、ほかの四人も瀕死の重傷を負った。わたしは奥の手を出す決心をした。とっておきの超強力な回復呪文を使用するとともにキーボードを乱打してチャットを打ち込む。

 《一気に押し切れー》

 天から神々しい光が降り注いだ。死んだ二人が起き上がり、ほかの四人も体力が完全回復する。だがこの呪文、効果が大きいかわりに、使用後しばらくのあいだはあらゆる回復呪文を使うことができないという厳しいデメリットがある。こちらが全滅するのが先か、イノシシが倒れるのが先か。

 「あら。あんたまだ仕事中だったの?」

 《いけー》

 「え?」

 いきなり母が聞いてきた。

 《突撃じゃあああ》

 「いまキーボード打つみたいな音がしたけど」

 「あ、うん」

 生返事をしながらわたしはイノシシの側面につっこみ、メイスをふるって肉弾戦を展開した。回復役の攻撃力などたかが知れているし、もし仕事中だとにおわせれば早々に話を終わらせてもらえるかもしれない。でも、何もしないで仲間の戦いを見ているよりは少しでもダメージを与えたほうがいいはずであり、こんな時間まで仕事なの? あんたの会社あぶないんじゃないの? と聞かれたらどうしよう。

 「いや、これはプライベートで」

 《またきた》

 《無理orz》

 「あら、そうなの? あんたね、電話してるときぐらいパソコンいじるのやめなさい」

 《まだまだ》

 「ごめん、ちょっといま手が離せない作業してて」

 《おお、スタン入った》

 《たたみこめー》

 イノシシ再度のビーム攻撃でこちらは軒並み瀕死状態となり、母は口をつぐんで何か考え込む様子である。これはあれだ、あんたいま付き合ってる人はいないの? とか言い出すパターンだ。だがそのとき重戦士の一人が捨て身ではなった強打がクリティカルヒット、イノシシは頭の上に星をくるくるさせて動きを止めた。最後のチャンスとばかり全員猛攻また猛攻。イノシシの残りヒットポイントがじわじわとゼロに近づき、わたしは母の先手をとって言った。

 「ごめん、あした朝早いからそろそろ」

 「あ、そうなの? 悪かったわね、話しこんじゃって。それじゃね」

 「うん。またこんど電話するから」

 電話を切るのと同時に、槍使いの一撃がイノシシにとどめをさした。

 《おおー》

 《やったあああ》

 《ブラヴォオオオ》

 獲得した経験値と戦利品が表示され、それが消えると、もとの草原の風景が戻ってきた。仲間たちと喜びあいながら、わたしはその景色をながめた。ついてしまった嘘やごまかしが、穏やかな緑の草原のなかにとけていく。満ち足りた気分だった。


 今回イメージしたのは、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(エニックス、1987年)から、

 「果てしなき世界」(すぎやまこういち作曲)です。


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