047:風を横切って
男が物心ついて以来、風は一瞬たりともやんだことがなかった。村を出る日も風ははげしく吹きつづけていた。この風は世界がはじまってから終わるまで決して吹きやまないと信じられている。
男の村では、ただ一人の強い男が長となってすべての女をめとり、それ以外の男は成人とともに村を出るならわしだった。どこへ行くかは各人に任されていたが、気概のある者は向かい風にさからって風上にあるという神々の国をめざし、そうでない者は風に背中を押されるまま風下にあるという闇の国へむかうのが常だった。
男はいささかひねくれていた。村を出ると、まず右腕をまっすぐ風上へと伸ばし、ついで左腕をまっすぐ風下へと伸ばし、そのうえで顔の向いた方向へと歩きだしたのである。つまり、風向きと直角の方向へ。
見送りにきていた村の者たちは唖然とした。長がどなった。
「おい、こら! おまえはどこへゆくつもりだ。そんな方向にむかってもどこにも行きつかぬぞ」
風のなかでとどいた声に、男は振り向いてどなりかえした。
「もし行き止まりになっていたら、戻って反対の方向へ進む。どんどん行けば、きっとどこかに風の吹かない土地があるはずだ」
村の者たちはあきれはてて、それ以上なにも言わずに男を送り出した。
はげしい風によろめきながら、男は歩きつづけた。あたりに生えた草の実を食べて飢えをしのぎ、ときおり降る雨を飲んで渇きをいやした。体の右側は絶えず風に吹きつけられて痛み、しびれた。疲れると岩陰や草の茂みにもぐりこんで眠った。
村を出て何日たったかわからなくなったころ、男は風下からやってくる人影を見つけた。立ち止まって見ていると、むこうも男に気づいて歩み寄ってきた。それは、旅装に身を包んだ若い女だった。
「こんにちは」と男は言った。
「こんにちは」と女も言った。耳慣れないなまりだった。
男は女が一人で歩いているわけをたずねた。女はふつうは村を出て旅をしたりしないものだ。答えはこうだった。
「うちの村の長がどうしても気に食わなくて逃げ出してきたのさ。あんなやつの子供を産まされるなんて、まっぴらごめんだ」
男は納得した。次は女のほうが聞いた。
「あんたこそどこからやってきたんだい。見慣れない格好だけど」
男は自分の来たほうを指さした。女は首をかしげた。
「それでどこを目指してるの」
「風のやむところを」
女は理解できないという顔をした。男は問うた。
「どこでどのようにして風が起こるか、知っているか」
「そりゃ知ってるさ。世界のはてで神々がずっと息を吹きつづけてるんだ。それが風さ」
「そのとおり。だとすればだ、神々が何百人いるのかわからないが、たぶん横一列に並んで息を吹いているのだろうから、風を横切って歩いていけば、いずれ神々の列が尽きるところがくる。おれはそこを目指してるんだ」
「そんなばかなことがあるわけないだろ。いや、でも、あるのかね?」
女はこの突拍子もない話を真に受けていいものか判じかねて、考え込んだ。
「では、おれは行く。さようなら。いい男にめぐり会えることを祈っている」
男がそう言って歩きだすと、女はあわてて呼び止めた。
「ちょっと待っておくれ。あたしも一緒に行くよ」
男はわけがわからなかった。女はつづけた。
「あたしはあんたのことが気に入ったんだ。うちの長にくらべたら、あんたずいぶんいい男だよ」
「そうか。それはどうも」
べつに男をけなすつもりはなかったのだろうが、少々失礼な物言いだった。男は答えかたに迷って、あいまいな相槌をうつにとどまった。女は俄然はりきった。
「さあ、そうと決まればさっさと出発しようじゃないの。風の吹かない土地を見つけたら、そこに新しい村をつくるんだろ」
「そうなのか?」
「ちがうの? まあいいや、とにかく行こう」
こうして二人は道連れになり、風を横切って歩いて行った。そして、気が遠くなるほどの旅のはてに、世界のはしにたどりついた。そこはまったくのはしっこで、その先には見わたすかぎりに広大な水たまりがひろがっているばかりであり、そんな場所でも風は吹きつづけていた。
二人はそこに腰を落ち着け、子供をつくって育てた。ときおり男は、その巨大な水たまりのむこうをぼんやりと眺めることがあった。いつも波高いその水たまりのかなたに、風のやむ土地があるのではないかという気がするのだった。
今回のイメージ元は、『ゼルダの伝説』(任天堂、1986年)から
タイトル画面BGM(曲名不明、近藤浩治作曲)です。




