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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
45/100

045:初夏の魔神

 「猫をさがせだと? 貴様はこの俺にそんなくだらぬ仕事をさせるのか?」

 暗き地の底から呼び出された六本腕の魔神は怒り狂った。場所は、日当たりのよい初夏の公園である。呼び出したほうはジーンズにワーカーシャツという格好のなよっとした若い男だったが、木陰のベンチにすわったままいたって平然としていた。

 「うん。この写真の猫なんだけど、すばしこくてなかなかつかまらないんだ。手伝ってほしい」

 男のとなりで目を見ひらいて震え上がっているのは、ひとりの若い娘である。男はなれなれしく娘の肩を抱いて話しかけた。

 「ああ、怖がらなくていいよ。こいつはうちに代々仕えてくれてる魔神でね。見た目と態度はおっかないけど、仕事はできるやつだから、きみの猫もすぐに見つけてくれるよ。ほら、何ぼさっとしてんの。さっさと行った行った」

 男は魔神にむかってしっしっと手を振る。魔神は炎まじりの鼻息を吹いて怒りをなんとか飲みくだすと、足音も荒くその場を立ち去った。


 この魔神が人間に使われるようになってかれこれ千年あまりになる。むかし若く血気盛んだったころに、地上に出て暴れまわっていたところをとある魔法使いに折伏され、以後呪文ひとつでこの魔法使いのもとに呼び出されて種々の荒事に従事させられることになったのだ。魔法使いの死後は代々その子孫が魔神を使う権利を引き継いだ。いくつもの戦争が終わってはまた始まり、天変地異や猛獣の襲来はひきもきらず、魔神の出番は多かったのである。人間ごときにあごで使われるのはしゃくだったが、今にして思えばこのころはまだ良かった。

 事情が変わってきたのはここ数十年のことである。世の中が平和になった。人間の知識と技術も進歩し、多くの災害を人間の力で防ぐことができるようになった。おかげで魔神は呼び出されることがめっきり少なくなり、このままいけば自分がお役御免になる日も近いのではないかとひそかに期待していたほどだ。

 そして一年前に家督と魔神を受け継いだ当代が、さきほどベンチにすわっていた若い男である。この男が主人になってからというもの魔神は毎日のようにくだらない仕事を申しつけられ、つくづく腹にすえかねていた。かつて神々の軍勢を敵に回して戦ったこともある自分にむかって、「ちょっとそこのスーパーに行ってコーラとポテトチップス買ってきて」とは何事か。大学の課題として提出するレポートの代筆を頼まれたこともある。一夜漬けでなんとかこしらえた。無事に単位がもらえたと聞いた時には自分のことのようにうれしく、その一方なんとも情けなかった。


 六本腕で町なかを歩き回るのは目立ちすぎる。魔神は歩きながら身をゆすって、スーツを着たビジネスマン風の人間に化けた。

 しかし、猫をさがすとはどうやればいいのか。すこし考えて、魔神は耳を使うことにした。普段はわざと聴覚をなまらせて暮らしているが、魔神はその気になれば猫の鳴き声ぐらい十キロ先からでも聞き取ることができる。もちろんそのほかの余計な物音も全部耳に入ってきてしまうので、聞こえた音を頭の中で整理して目当てのものだけ選り分けなければならない。なかなか大変な作業である。

 魔神は立ち止まって目を閉じ、耳に神経を集中した。それまで聞こえていなかったもろもろの音が立ち上がってくる。自動車のエンジンの音、人の話し声、テレビやラジオの音声、掃除機や洗濯機の運転音、あらゆる人々の足音、トイレの排水の音、自転車の走行音、電柱の変圧器のうなり、誰かがイヤホンで聞いている音楽、蠅や蚊の羽音、風が吹いて木々や草の葉が揺れ、ビニールの買物袋が町のあちこちでガサガサ鳴った。猫の鳴き声はなかなか聞こえない。

 集中をつづける魔神の耳のなかに、ふと近くのどこかで二人の男女が話し合う声が浮かび上がってきた。

 「でも、あんなおそろしいひとがやってきたら、猫だってびっくりして逃げちゃうんじゃないかしら」

 「いや、あいつはああ見えて動物には好かれるからだいじょうぶ。ゆっくりおしゃべりしながら待っていよう。あ、そこの自販機で何か買ってくるよ。何がいい?」

 例の若者と娘の会話であることは言うまでもない。魔神は心のなかで叫んだ。てきとうなことを言うな! 俺がいつ動物に好かれた! 貴様は俺を走り回らせておいて、そのあいだに若い娘とよろしくやりたいだけだろう!

 魔神は七三に分けた髪をかきむしってなんとか怒りをしずめ、猫の鳴き声を拾う作業を再開する。こうなったら一刻も早く猫をさがしだしてあやつの楽しい時間を終わらせてくれよう。そして、このような簡単な仕事に自分を使うとはどういう了見だと嫌味のひとつも言ってやるのだ。

 だが、仕事は予想をはるかに超えて大変だった。考えてみれば当たりまえのことだが、町には何百匹もの猫がいたのである。魔神は鳴き声を聞き取るたびに現場に急行し、渡された写真と見比べては落胆する、ということを幾度となく繰り返した。ついにそれらしい猫を発見したときには、仕事をはじめてから軽く二時間はたっていた。

 「見つけたぞ、猫め。おとなしくこっちに出てこい」

 猫はとある民家の床下にいた。暗いが、魔神の目にははっきりと見える。虎じまの毛を逆立て、目をぎらぎらさせてこちらをにらんでいた。魔神は庭に四つんばいになって猫に話しかけた。その場を見ている者がいなかったのは、魔神の自尊心のためにはまことに幸いであった。

 「ゆえあって俺はおまえをある人のもとへ連れて行かねばならん。聞き分けろ」

 猫はフー、フーとのどの奥でうなるばかりで、いっこうに出てこようとしない。さりとて手をのばして届く間合いでもなかった。いっそのこと本気を出してこの家を土台から引っこ抜いてどこかに投げ飛ばしてしまえば、猫から手っ取りばやく隠れ場所をうばうこともできるのだが、それはいささか問題があるということはさすがに魔神にもわかる。

 「よかろう、話してわからんなら力づくだ。後悔するなよ、この畜生め」

 魔神は身をゆすって大蛇に化け、ずるずると床下にもぐりこんだ。猫は驚くまいことか、悲鳴をあげて回れ右するや一目散に逃げ出した。

 「あ、こら、待たんか」

 猫は反対側から床下を飛び出し、そのまま全速力で逃走する。魔神もそれを追って床下を出ると、ふたたび人間の姿に化けて走りだした。

 風より速く走ることもできる魔神だったが、猫を追いかけるのは勝手不案内だった。猫はしょっちゅう狭いすきまに逃げ込み、魔神はそのつど化けなおす手間を強いられた。それでも、魔神は底なしの体力にものをいわせて追いつづけ、猫はしだいに逃げ場を失っていった。

 「あっ、猫ちゃん! こっちにいらっしゃい!」

 ふと気づくと、猫は魔神が最初に出発した公園に逃げ込んでおり、飼い主であるのだろう娘は魔神を呼び出した男といっしょにもとのベンチにすわっていた。猫は娘が呼ぶのを耳にすると、あっというまにその膝の上に駆けあがってうずくまった。魔神は本来の姿をあらわしてようやく二人のもとにたどりつく。男は笑って、娘に話しかけた。

 「ほら、きみのところに戻ってきただろう? 計画どおりだ」

 「ウソをつけ!」

 調子のいい言いぐさに魔神はおもわずかみついたが、男はその魔神にも笑顔をむけて言う。

 「やっぱりきみに頼んで正解だったよ。ありがとう」

 「む」

 魔神は言葉に詰まった。この男はいつもこれなのだ。何なのだ、その屈託のないありがとうは。

 「まあ、なんだ。この程度のこと、俺にとっては朝飯前だからな。また何かあれば呼ぶがいい」

 「あの、ほんとうにありがとうございました」

 娘からも礼を言われ、居心地の悪さが最高潮に達した魔神はそそくさと地の底へ戻っていった。


 このエピソードでは『電脳戦機バーチャロン』(セガ、1995年)から

 「In the Blue Sky」(小山健太郎作曲)をイメージしています。


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