044:無縁の人
やっぱりあなたはそういう人だったのね、と彼女は言った。
ある日の午後、僕はバイトの面接に行った。
居酒屋の事務所なんて場所に入ったのは初めてで、どこの店も同じなのかどうかわからないが、ひどくちらかっていた。いたるところ段ボールが山積みで、デスクの上は書類の海。
「どうぞ」
店長だという中年の男性は、ぞんざいな手振りで椅子をすすめた。
「失礼します。これ、履歴書です」
「どうも。拝見します」
店長は封筒から履歴書を取り出した。
「どれどれ。今年大学に入ったばかり。ご出身は北海道ですか。飲食店の仕事は未経験と。……ん?」
店長の目がある一点でぴたりと止まった。やや遠慮がちな声で聞いてくる。
「あのー、すみませんが、これはどういうことです? 「前世」の欄に「なし」って書いてありますけど」
やはりそこを聞かれるか、と僕は思った。
「書いたとおりです。前世はありません」
「……ないの? ほんとに?」
「ほんとです」
世の中の子供の常として、僕も生まれてすぐお坊さんのところに連れて行かれて、前世を鑑定された。ところが、お坊さんは青い顔をして、この子には前世がありませんと言ったらしい。まさかそんなはずはないと両親は思って、ほかのお坊さんにも当たった。しまいにはどこかの宗派の僧正とかなんとかいう徳の高いお坊さんにも見てもらったそうだが、結果は同じだった。だから僕は、戸籍でも学生証でも前世の欄は空欄になっているし、そのうちに運転免許を取ったら免許証もそうなるだろう。
僕は店長に対してそういうことをつらつらと述べた。さして雄弁ではない僕だが、この件だけはよどみなく話すことができる。会う人ごとに聞かれていれば、いやでも説明上手になるというものだ。
店長はなんともいえない表情になっていた。かつて僕の前世を鑑定したお坊さんも、きっとこんな顔をしたのではないだろうか。
「あー、うん。えーとね。うちも客商売なんでね。その、お客さんに良くない印象を与えるようなことは避けなければならないんですよ。たとえばその、身だしなみとかですね。あとまあ、ほかにもいろいろ」
店長は非常に言葉を選んでしゃべった。僕は言ってやった。
「前世のない人間は客商売には不適当だと?」
「あー、まあ、一概にそうはいえないかもしれませんけど。私もそんな人に会うのは初めてですし」
それから二三あたりさわりのない質疑をして、面接はおしまいになった。採否は後日連絡すると言われたが、結果はわかりきっていた。
スマートフォンの電源が入っていないことに気づいたのは、翌日の朝になってからだった。面接の最中に電話が鳴るといけないと思って居酒屋を訪れる前に切り、そのあと電源を入れなおすのを忘れていたのだ。
電源を入れると、半日間たまりにたまった電話とメールとラインがどさどさと着信した。そのすべてが彼女からだった。
とりあえず、バイトの面接のあと電源を入れるのを忘れていて気がつかなかったことをメールで打って、僕は駅へ走った。今日の一限の講義は彼女と同じだ。じかに会って謝らねば。
教室に入ると彼女はもう来ていて、幾人もの友達とにぎやかにおしゃべりしていた。うそかまことか前世が中国の皇帝の妃だったという彼女は、華やかな雰囲気で学内の人気者だ。そんな彼女がどうして僕なんかと付き合おうと思ったのかは、いまだに謎である。ともあれ、僕は歩み寄った。
「なにか用?」
先制攻撃をもらった。彼女はこっちを見てもいないが、僕に向けて言ったのは明らかだ。彼女の友達連中はそろって興味津々の様子。
「昨日は連絡もらったのに気がつかなくてごめん」
「面接のあと電源入れるのを忘れてたっていうのは、まだわかるわよ。でも、つぎの朝まで忘れっぱなしっていうのはどうなの。ご家族から何かあって連絡がくるかもとか、友達から飲み会の誘いがくるかもとか、そういうことを面接が終わってから夜寝るまでのあいだに一度も考えなかったの? それに現在付き合ってるわたしのことも。わたし、特に用事がなくても毎日電話とかメールとかしてたよね?」
「いや、ちょっと面接のことを引きずってて……」
「結局そうよ。あなたは自分のことばっかり。まわりの人のことなんてどうでもいいんだわ」
そして彼女は初めてこちらを向いて、とどめの一言をはなった。
「やっぱりあなたはそういう人だったのね」
やっぱり、というのがどういう意味なのか、説明されなくてもわかった。またしても前世だ。前世のない人間は人の気持ちがわからないとでもいうのか。僕はおもわず拳を固めて、振り上げた。
彼女は腕で顔をかばった。そしてその顔は勝ち誇った表情を浮かべていた。
「すまない」
僕は振り上げた拳を下ろして、きびすを返した。立ち去る前に彼女を、そのまわりの友達を、さらにそのまわりの野次馬どもをにらみつけて、声には出さずに問う。
前世のない人間はやっぱり凶暴だったと確認できて、満足か?
今回イメージした曲は、『怒首領蜂 大復活』(CAVE、2008年)から、
「「あの未来に続く為」だけ、の戦いだった」(並木学作曲)です。




