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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
43/100

043:船

 長きにわたってぼくらの安住の地であった、船。その寿命はまさに尽きようとしていた。船体は朽ち果て、穴をふさいでもふさいでも水が浸みてくる。おかげでぼくらの一族の者はみな来る日も来る日も水を汲み出す作業に追われ、ものを食べたり眠ったりするひまさえほとんどないありさま。子供をつくる時間もなく、たまに生まれてくることがあったとしても十分な世話をすることができなくて、放置された子供はすぐ死んでしまう。年寄りや体の弱い者もばたばた死んでゆく。人手が減って、一人ぶんの仕事の量はますます増える。もう終わりだ。

 だから、救いがあらわれたのはほんとうにぎりぎりのところだったのだ。

 「船が見えるぞー!」

 甲板でそう叫んだのは、一族のなかでいちばん年若い子供だった。さぼりぐせのある子で、しょっちゅう仕事をぬけだしては帆柱跡にのぼって遊んだりしていた。そんな子供の言うことだから、船倉にいたぼくらは最初だれもその叫び声に答えなかった。水を汲み出す作業をすこしでも止めたが最後、船はずぶずぶと海の中に沈んでしまうのだから。

 だいたい、船が見えたらどうだというのか。ぼくらは生まれてから死ぬまでずっと船のなかにいるのだ。見えて当然、見えなくなったらそっちのほうがよっぽど驚きだ。

 「船が、船があるんだってばー!」

 だれも相手しなかったのに、その子はこりもせず延々と同じことを叫びつづけた。ついに長老が堪忍袋の緒を切らして、だれかあいつをだまらせろ、とどなった。汲んだ水をたらいで甲板へ運び上げようとしていたぼくが、その貧乏くじに当たった。上に行ったついでにあのがきをひきずって連れてこいというわけだ。とんだ面倒を押しつけられた。

 水のいっぱいに入ったたらいをかかえてえっちらおっちら階段をのぼり、さんさんと日の差す甲板に出て、船ばたから海によいしょと水をあける。そのあいだずっと子供は船がある船があると叫びつづけていた。のどが傷ついて声がかれるほど。

 からになったたらいをぶらさげて、ぼくは甲板を歩きだす。気持ちのいい風が吹いており、よけいな用事さえなければ散歩できるのはうれしいぐらいだった。

 子供のいる場所はわかっていた。声は甲板よりさらに上のほうから降ってきている。甲板より高いところとなると、船内にひとつしかない。例の子供のお気に入りの場所。帆柱跡だ。

 「あー、兄ちゃん。やっときた。はやくはやく、こっちのぼってきて」

 子供はぼくを見つけるなりすかすかにかすれた声で呼んできた。すわっているのは、帆柱の折れ口だ。言い伝えによれば、この帆柱というのはもともとは今よりずっと高くそびえていて、帆桁とかいう腕が張り出していて、そこに帆なるものを張って風を受けて船を動かすことができたらしい。荒唐無稽すぎてどういうことなのか想像もできない。いまでは帆柱はぼくの背丈の三倍か四倍ぐらいの高さで折れてしまって上のほうは失われ、その折れ口も長い歳月によって風化してすっかりなめらかになっている。

 「おいおまえ、おふざけもいいかげんにして下りてこい。長老、かんかんにおこってるぞ」

 「そんな場合じゃないんだってば! いいからはやくのぼってきて、見てみてよ!」

 だめだ、これは。さぼりぐせはあるにしても、聞き分けはよい素直なやつだと思っていたのだが。もう腕ずくで引きずりおろすしかないと腹を決めて、ぼくは帆柱をよじのぼった。帆柱の表面には手がかりになるでこぼこが多く、のぼるのにさほど苦労はしない。てっぺんにつくと、ぼくは子供の首根っこをつかまえようとした。

 「手間を取らせやがって。ほら、さっさと仕事に戻るぞ」

 「兄ちゃん、あれ! あれ見てよ!」

 「なにを言ってるんだ、おまえは」

 ぼくはやつが指さすほうにひょいと顔を向けて、うおう、と変な声を出してしまった。舳先の向こうの海のずっと遠くのほうに、なにかがあった。

 「なんだありゃ」

 「船だよ、きっと! この船じゃない、べつの船!」

 それはありえない、とは言えなかった。言い伝えでは、大昔には数えきれないほどの船が海の上を行き来していたとされている。もちろんただのおとぎばなしだ。だが目の前のこれはたしかに海の上に姿をあらわしており、さりとてどう見ても鯨や魚、あるいは氷山のようには見えなかった。となれば残る可能性は船しかない。

 それにしてもそのしろものは、船であろうとなかろうと、べらぼうに大きかった。距離があるので正確なところはわからないが、どうひかえめに見積もっても、ぼくらのいる船の百倍、いや、千倍の大きさはあるだろう。

 「兄ちゃん、ねえ! みんなであっちの船に移ったらどうかな!」

 子供はとっぴょうしもないことを言い出した。ぼくはあっけにとられたが、考えてみればごく当然の発想だった。ぼくらのぼろ船は遠からず沈没する。それなら、いま船を捨ててむこうに移るとしても、失うものなど何もないではないか。

 ぼくはわれに返ると、帆柱の上から大声をはりあげた。

 「長老! 長老! こっちにきてくれ! 一大事だ!」


 そしてぼくらはこのあたらしい船に降り立った。


 ぼくらの船は潮の流れに乗ってまっすぐこちらの船につっこみ、吃水の下のやたらと広く張り出したところに乗り上げて止まった。ぼくらは浅い水を大さわぎしながら渡って、この船に乗り込んだという次第だ。

 それは奇妙な、とても奇妙な船だった。

 たとえばぼくらの立っているこの甲板。粒の粗いざらざらした埃に厚く厚く覆われていて、埃をちょっと掘ってみたのだが下にあるであろう床が出てこない。埃のなかには貝や蟹なども住んでいるようだ。

 なだらかな斜面になっている甲板をすこし奥へ上っていったあたりには、何十本もの帆柱が立っているのが見える。無傷の帆柱を目にするのは初めてだがまちがいあるまい。それぞれの帆柱からはおそらく帆桁というやつが何本も枝分かれしながら張り出していて、小さくて薄い緑色のものがたくさん付いている。風が吹くとその緑色のものはざわざわとそよいだ。これが帆というやつだろうか。

 甲板は奥へゆくほど高くなり、途中で雲に隠れてしまってその先は見えない。いったいどれだけの広さがあるのか、乗船した今となってもまったく見当がつかなかった。空恐ろしくなるほどだ。

 ほかにも見たことも聞いたこともないものが、たくさん、たくさん、たくさん……。

 「兄ちゃん、すごいな、この船」

 ふと気づくと、あの子供が目をかがやかせてあたりを見回していた。かすれた声が興奮にうわずっている。

 「ああ。すごいな」

 ぼくは答えて、子供の肩を抱いた。


 今回イメージした曲は、『カルドセプト』(大宮ソフト、1997年)から、

 「あがないびと」(柳川剛作曲)です。


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