042:夜な夜な光が迫りきて
夜が更けて両親が寝静まったころに部屋を出る。まずトイレに行って用を足し、そのあとシャワーを浴びようかどうしようか考えて、やめた。深夜にあまり物音を立てて両親の眠りをさまたげたくはないし、水洗トイレを使用しただけでも今のおれには過ぎたるぜいたくだ。
居間のテーブルの上にラップをかけた食事が用意されていたので、すわってそれを食べた。明かりはつけないが、窓から入ってくる街灯の光でじゅうぶんあかるい。梅干しのはいったおにぎりと野菜の煮つけは、食べなれた味だった。
食べ終わると食器を流しに持って行って水を張り、玄関に向かった。表に出て、合鍵で施錠する。深夜の住宅地はひっそりとして人っ子ひとりいない。めざすのは近くのコンビニだ。やつは今夜もきっと来るだろう。
以前はおれも、深夜に出歩くと警察に職務質問されたり任意同行を求められたりして留置場にぶちこまれることになるんじゃないか、と思っていた。が、実際に毎晩のように徘徊してみると、そんな事件は一度も起こらない。パトカーの影すら見かけない。警察というものが実在しているのか疑わしくなってくるほどだ。
今夜もなにごともなくコンビニに着いた。金がないので店内には入らず、店の外のゴミ箱のわきにたたずんで、やつを待つ。店はあかあかとかがやいており、入口の自動ドアもときどき開いたり閉じたりしているが、店員や客の姿は見えない。いつものことだ。
人間の姿が見えなくなったのをいついつからであると、おれははっきりと言うことができない。小学校の高学年のころからまわりの人の姿や声がかすれるようになり、しだいにその度合いが進んでいって、あるとき気がつくとまったく見えず、声も聞こえなくなっていた。文字も見えなくなり、本や新聞は真っ白な紙の束でしかなくなった。おかげでおれは進学も就職もできず、自分の部屋に閉じこもって暮らしている。両親やほかの人間がおれの状態をどのように理解しているかはわからない。
待つことしばし、通りの向こうから白い光が差してきた。やつの登場だ。光り輝く人影がゆったりと歩いてくる。体じゅう緊張の汗にぬれながら、おれは身構えた。
「やあ、昨晩ぶり。待たせちゃったかな」
まぶしくて顔かたちは見定められない。そもそも目鼻があるのかどうかすらはっきりしない。だが、その涼やかな声は若い男のものだ。おれは返事をせずににらみつける。やつは笑った。
「そう嫌わないでほしいな。きみとももうずいぶん長い付き合いなんだから」
「付き合いたくて付き合ってるわけじゃない」
「それはどうかな? 毎晩ぼくに会いに外に出てくるじゃないか。会う気がないなら家から出なければいいんだよ」
まあ、その場合はこっちはむりやり押しかけるだけだけどね、とやつは笑う。
「さて、ぐずぐずしてると夜が明けてしまうね。はじめようか」
やつはそう言っていきなり右のボディーブローを繰り出してくる。そのまばゆい拳を、おれは体の前に闇の壁を呼び出して受け止めた。受け止めきれなかった。闇は一瞬にして砕け散り、輝く拳がおれの腹に刺さる。
「なんだい、いまのは。あんなので防いだつもりだったのかい。最初のころに比べると、ずいぶん弱くなったもんだね」
やつの右足が続けざまに蹴りだされ、おれは地面をころがってのがれる。闇の壁も呼び出してみるが、出すはしからやつの拳に引き裂かれてしまい、なんの足しにもなりはしない。
やつの言うとおりだ。おれが初めてやつに出会ったのはちょうど一年ほど前のことで、やつは往来でほがらかに笑いながらいきなり殴りかかってきたのだ。そしておれは無我夢中でわたり合ううちにどこからともなく闇を呼び寄せてやつにぶつけ、撃退したのだった。
その闇がどこからくるのかはわからない。おれの体のなかか、おれの心のなかか、あるいは異世界とか異次元とかいうような場所からくるのかもしれない。いずれにせよ、光を消すのは闇ということなのか、それはやつに対してとても効き目があった。来る夜も来る夜もおれは闇を呼んでやつを打ちやぶった。だが、どういうわけか闇はしだいに弱くなっていった。
そして今夜ついに、闇はまったく出なくなってしまった。どれほど念じても、ひとかけらの闇も現れない。おれは地面にうずくまって絶望した。
「おや。おしまいかな?」
悠然たる足どりでやつが歩み寄ってくる。おれはなすすべもなくやつを見上げた。夜の底にあって、やつの輝きは目もくらむばかりだった。
「それじゃ最後の仕上げといこうか。きみとの逢瀬も今夜で終わりかと思うと、なんだかなごり惜しいね」
そんなことをほざきながらやつはおれの口をこじあけ、自分の光り輝く拳をその中にねじこんできた。拳どころか手首、前腕、肘とぐいぐい押しこんでくる。おれは吐き気をもよおしてばたばたと暴れたがやつは手加減せず、二の腕がすっかり口に入って次にやつが頭をつっこんでこようとしたあたりでおれはとうとう気を失った。
気がつくと、おれはコンビニの外のゴミ箱のわきにつっ立っていた。やつの姿はどこにもない。おれはきょろきょろとあたりをながめ、店内をのぞきこんでぎょっとした。なにかもやもやした人のかたちのものがいくつも店のなかをうろついており、そのひとつはカウンターのうしろで店員よろしくレジ打ちなどしている。
見ていると、レジの前に立っていたもやもやが商品を受け取って店の外に出てきた。自動ドアは左右にひらいてそのもやもやを通し、もやもやは店の前にいるおれには何の興味も示さずに歩き去った。
おれは家に飛んで帰った。
両親は変わらずに眠っているようだった。寝室に突入して両親の姿をたしかめたいという気持ちをおさえ、おれは居間に行った。テーブルの上、さっき食事の皿が置いてあった場所に、一枚の紙があった。ただの敷紙だと思ってうっちゃっていたのだが、いま見れば文字が書いてある。やはりもやもやしていて読み取ることはできなかったが、おれは理解した。これは両親がおれに書いた手紙だ。
読むことのできない手紙を持って、おれは泣いた。
今回イメージした曲は、『聖剣伝説 Legend of Mana』(スクウェア、1999年)から、
「ホームタウン ドミナ」(下村陽子作曲)です。




