040:王国の夜の底から
宮殿のあらゆる場所にあかあかとあかりがともされ、腕利きの楽師たちがにぎやかな音楽をかなで、上等の料理と酒がひっきりなしに運ばれ、着かざった紳士淑女があるいは踊りをたのしみ、あるいは会話に花を咲かせた。
そして地下牢ではいましも当番の兵士がどさりと詰所の床に倒れたところだった。そのかぶとはものすごい力のせいでひしゃげている。すでに息はない。
兵士をなぐりたおした人影は、その異様に長い腕を伸ばして詰所の壁にかかっていた鍵束を取ると、牢の奥へ向かった。並んでいる独房ののぞき窓をひとつひとつたしかめてゆく。人が入っていたのはいちばん最後の房だけだった。人影はごつごつした手で不器用に鍵を選んで錠をはずし、扉をあけた。
「なんだ、この囚われびとにも宴会の料理をお裾わけしてくれようというのか」
独房の中で石の寝台にすわっていた男がつぶやき、扉をあけた人影を見上げてはっと息をのんだ。
「きさまは、トロール? 人間の国の、しかも王の城にもぐりこむとは、どういう了見だ!」
「おぬしを救いだしにきた」
それは一匹の怪物である。背丈は大柄な人間の男よりさらに頭ひとつぶん大きく、あばただらけの灰色の肌の下に岩石のごとき筋肉をたくわえ、脚はみじかいが腕は地面につくほど長い。乱杭歯と鷲鼻とびらびらした耳朶をそなえたみにくい顔の中で、黄色の目がたけだけしく輝いていた。
怪物はのしのしと寝台に歩み寄る。男は身構えたが、怪物は男のほうには向かわず、男の足と牢の壁をつなぐ鎖を手に取って調べた。
「どういうつもりか知らぬが、鍵があったところでむだだよ。その鎖に錠前はついておらぬ。予を終生つないでおくために作られたものだからな」
「質の悪い鉄だ。なんとかなる」
怪物は腰にさげた巨大ななたを抜いた。無造作に鎖に振り下ろす。ひと振りごとに鉄のかけらが飛び、打撃を加えること三度にして鎖はあっけなく砕け散った。足にはまだ重い鉄の環がはまったままだが、ともかく男の身は解き放たれた。
「おれの知り合いに腕のいいドワーフの細工師がいる。その輪っかはそいつにたのんではずしてもらうとしよう」
怪物はそう言うと、先に立って独房を出てゆこうとした。男がついてくることを疑いもしないようすだ。男はあわてて呼び止める。
「きさま、どういうつもりで予を助け出そうとするのだ。それを聞くまでは、ここを一歩も動かぬぞ」
怪物は戸口で振り返り、簡潔に答えた。
「おぬしにわれらの王になってもらう」
「なに?」
「おぬしら人間は血筋の貴いものに従うが、おれたちトロールは強いものにのみ従う。いま、おぬし以上のつわものはこの世におらん」
これでわかっただろうと言わんばかりに歩きだしかける怪物を、男はふたたび呼び止めた。
「待て、予はまったくの人間だ。予の体にはトロールの血など一滴も流れておらぬ。そのうえ、民を守るためにきさまらトロールを数えきれぬほど殺してきたのだぞ」
怪物はいらだったように左右の足を踏みかえた。
「トロールは血筋を重んじない。おぬしが人間であろうとほかの何かであろうといっこうにかまわん。そして、おぬしに殺されたものの数こそおぬしの強さのまたとない証拠だ」
男は途方にくれた顔をしている。怪物は言葉をつづけた。
「もちろん、おぬしが人間の国の王のままであったなら、あえておれたちの国に迎えようとはしなかった。だが、おぬしは謀反を起こされて牢につながれていたではないか」
「予に、きさまたちトロールをひきいて人間の民を害せよというのか」
「したくないならそうしなければよい。おぬしを王として迎えるからには、おれたちはおぬしにしたがう。おぬしが望むのであれば、人間の国と和平を結んだってかまわんぞ。もっとも、おぬしを追い落としてこの国を手に入れた連中がそれを受け入れるとは思えんが。さあ、いつまでもここでぐずぐずしてはいられんぞ」
怪物は話は終わりというように歩きだし、男もこんどはそのあとにつづいた。
「牢につながれて三年あまり。だれかが助けに来てくれないものかと考えたことは何度もあるが、まさかそれがトロールだとは夢にも思わなかった」
怪物は独房を出ると詰所に立ち寄り、さきほどなぐりたおした兵士から剣を取り上げて男にわたした。
「持っておけ。なまくらだが、当座の役には立とう」
男はつかのま兵士の死体にいたましげな目を向けたが、すぐに気を取り直した。わたされた剣を軽く振る。
「この手にふたたび剣を持つ日がこようとは。しかし、それにしてもずいぶんひどい剣だな。予が王座にあったころには、こんなものを兵に支給したことはなかった」
「国についたら、おぬしにふさわしいわざものを用意する。いまはそれで我慢してくれ」
二人は地下牢を出て、城内の暗い通路を駆け抜けた。だれかが怪物を目撃したら必ず騒ぎが起こっただろうが、怪物はうまく影をえらんで移動し、人目につくことはなかった。
「ところで、どこから城を出るつもりだ。いや、そもそもどうやって入ってきた」
「入るときは出入りの商人の荷車の下に張りついた。城門で積荷はあらためても、さすがに車を裏返してたしかめはしない。出るのは力ずくだ。おれとおぬしの二人なら問題あるまい。仲間が城の外で馬を用意して待っている」
「そんなところではないかとうすうす思っていた」
男は軽くためいきをついて、肩をぐるぐると回した。行く手に城の門のひとつが見えてきた。かがり火を焚いて、兵士が四人ほど番をしている。
「牢暮らしで体が少々なまっていたところだ。ちょうどいい運動になるだろう」
「そうこなくては」
怪物と男は低く笑うと、おのおの武器を抜いて門へと駆けだした。
今回のイメージ元となった曲は、『テイルズオブゼスティリア』(バンダイナムコゲームス、2015年)から、
「水の調べは霊霧の導き」(椎名豪作曲)です。




