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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
37/100

037:太陽系吸血鬼

 旅程は順調でした。太陽は私の左後方でおだやかに輝き、デブリとの接触や宇宙海賊の襲撃もありません。目的地である火星はもうだいぶ近くなっており、操縦室の窓からでもひと目で見分けがつくでしょう。あまりに順調なので、私のオーナーであり唯一の乗組員でもあるオスの人間はすっかり気がゆるんでいました。そして事件が起こったのです。


 そのとき人間は操縦席で居眠りをしていました。いま船内は無重力の状態ですが、もしそうでなければよだれのひとつも垂らしていたにちがいないと思われる、しまりのない寝顔です。

 小型船とはいえ星間貨物船を一人で運航するのは人間という生物にとっては大変な仕事ですから、睡眠をとることについては是非もありません。船には私という優秀な人工知能も搭載されており、人間が休んでいるあいだ船の面倒をみるぐらいは簡単なことです。が、寝るなら寝るで、ちゃんと居住区画に行ってベッドで寝るべきでした。

 なんとなれば、このときなにか夢でも見たのか人間は手をびくりと動かしたのです。そしてその手は操縦席のタッチパネルに当たって、やりかけの作業の実行ボタンを押してしまいました。

 受信メールに添付されていた不審なファイルが解凍され、中に入っていた正体不明のプログラムが起動しました。

 まったく一瞬でした。気がついたときには私の中は無意味なプログラムであふれかえっていました。明らかにコンピュータウイルスのしわざです。私は即座にそのプログラムを削除にかかりましたが、消すはしからまた増えていって、なかなからちがあきません。単に無意味なプログラムを増やしてシステムに負荷をかけるだけのいたずらであればまだいいのですが、これはどうも多数のプログラムを隠れみのにしてもっとたちの悪いことをやろうとしているのではないかと私には思えました。その予感は当たりました。ブザーを鳴らして人間に事態を知らせようとした私は、船内通信のチャンネルが乗っ取られていることを知ったのです。

 操縦席では、人間が目をさまして巨大なあくびをしていました。備えつけのカメラで奥歯の虫歯が確認できるほどの大あくびです。のんきなことです。

 「んあー。いかん、寝ちまってた」

 人間が背伸びをしたり首をごきごき鳴らしたりしていると、操縦室の入口ドアのインターホンがピンポーンと鳴りました。ドアの外に来ている者がいるという知らせです。インターホンを鳴らすような存在は、この人間のほかには船内にひとつしかありません。人間はマイクのスイッチを入れて、ドアの向こうにたずねました。

 「おう、どうした」

 「眠けざましにコーヒーをお持ちしました。手がふさがっておりますので、申し訳ありませんがドアをあけていただけませんでしょうか」

 「へえっ、いつになく気がきくじゃないか。どういう風の吹き回しだい」

 もし通信が生きていれば、私は警告したでしょう。手がふさがるなどということはありえません。無重力なのだから、ドアをあけるあいだコーヒーなんかそのへんの空中に浮かべておけばいいのです。

 けれどもまぬけな人間はそのようなことには気づかず、操縦席から下りて磁力靴で床に立つと、ドアをあけました。扉のむこうにいたのは、ごく幼いメスの人間……ではなく、そのような外見につくられたロボットです。このオスの人間がローンを組んで買ったもので、船内の雑用を担当しています。

 「へへ、いやあ、ちょうどコーヒーがほしいなと思ってたところさ。以心伝心ってやつかねえ」

 人間は完膚なきまでににやけています。この人間は未成熟なメスを好んでいるので、このロボットを見るたびに自然にこういう顔になるのです。いわゆるロリコンです。

 私とウイルスの戦闘はこのあいだもずっと続いています。こちらが徐々に押していますが、ウイルスを完全に制圧するまでにはあと何秒かかかりそうです。

 「あれ、手ぶらじゃないか。コーヒーはどこ?」

 ロボットはいきなり人間の首っ玉に抱きつきました。私はとっくに気がついていましたが、このロボットはウイルスに乗っ取られています。おそらく船内のローカルネット経由でハッキングされたのでしょう。

 「えっ? えっ?」

 いきなり抱きつかれて、人間はさすがに驚いた様子。抱きしめていいものか迷って、腕をロボットの背中に近づけたり離したりしています。しかしもちろんそんなことをしている場合ではありません。人間からは死角に入っているでしょうが、私の見ている操縦席のカメラにははっきり映っています。人間の肩に乗せられたロボットの口がぱかりとひらいて、そこに長く鋭い二本の牙がのぞいているのが。


 二十一世紀の中ごろ、ある吸血鬼が酔っぱらってパソコンにかみついたのがそもそもの始まりだったとされています。かみつかれたパソコンは吸血鬼の呪いの力によって新種のコンピュータウイルスを生み出し、ウイルスはインターネットを通じてまたたくまに広まりました。

 コンピュータウイルスとなっても、吸血鬼の性質はそのまま残っています。吸血鬼というものは中から招いてもらわないかぎり他人の家に入ることができません。このウイルスも同様に、インターネット上のサイトを閲覧するだけでは感染せず、電子メールに添付されたファイルをひらくなどして人間が自分で自分のコンピュータに持ち込む必要があります。

 首尾よくどこかのコンピュータに侵入したウイルスは、その管理下にある人間型のロボットを乗っ取ります。乗っ取られたロボットにも吸血鬼の性質は受け継がれ、中にいる人に招いてもらわないと部屋に入ることができません。さらに顕著な特徴として、牙が生えてきます。その牙で人間にかみついて血を吸うと、吸われた人間は言い伝えにあるとおりの吸血鬼になってしまうのです。別の言いかたをすれば、このウイルスは生身の人間に伝染する可能性がある唯一のコンピュータウイルスです。


 私を埋め尽くしていたウイルスの排除がぎりぎりのところで完了しました。船内通信を復旧。ブザーを鳴らすとともに操縦席のモニターに画像を表示。

 人間の首すじに牙を立てようとしていたロボットが、ブザーの音につられてモニターに目をやり、つぎの瞬間くるしげにうめいてのけぞりました。人間をつきとばしてふらふらと漂っていきます。

 私がモニターに映したのは、十字架の画像でした。吸血鬼は十字架が苦手なものと昔からきまっています。

 「えっ。なにこれ」

 「すみやかにどこかにつかまってください」

 まごまごしている人間に私は指示しました。

 「なにがあったんだ、いったい」

 説明しているひまはありません。私は姿勢制御用のバーニアに火を入れました。船が左旋回をはじめ、振り回された人間が操縦席にしがみつきます。ロボットは体勢を立て直してふたたび人間に迫りつつありましたが、もはや勝負はつきました。操縦室の正面の窓から光が差し込みます。船が太陽の方角を向いたのです。

 ロボットはすさまじい悲鳴をあげました。現在位置は火星の公転軌道に近いので単純に光量を比べれば地球上の昼間の日差しよりもよほど暗いはずですが、それでも太陽の光です。年を経た吸血鬼であれば太陽の光にも多少は耐えられると言われていますが、ついさっき吸血鬼になったばかりの出来たてほやほやの新米にとってはたまったものではないでしょう。またたくまにロボットは朽ち果て、ひとかたまりの灰になってそこらじゅうに漂いました。私は操縦室のすみに置かれている掃除機を無線で操作して、灰をかたづけました。これにて一件落着です。

 「なんてこった……。まだローンの支払いも済んでないのに」

 人間ががっくりと肩を落としていますが、知ったことではありません。

 「船をもとの向きに戻します。どこかにつかまってください」

 「えっ? あっ、ちょっと待っ痛!」

 ふたたび振り回され、人間は操縦席のへりに頭をぶつけてうずくまりました。いい気味です。火星までの道のりは残りわずか。


 今回イメージした曲は、『セブンスドラゴン』(イメージエポック、2009年)から、

 「戦場-吼えよ歴戦の兵!(DS音源)」(古代祐三作曲)です。


 2017年4月20日本文修正。

 無重力なのに倒れたり起き上がったりする描写があったので差し替えました。


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