036:ゆりかごへの挽歌
なにかがおかしい気がして目が覚めた。頭上の《ワ》はいつもどおりおだやかなうなりを上げている。僕はあたりに生えている草をかきわけて、弟妹たちの数をたしかめた。もっとも、寝ているあいだに《ユリカゴ》から落っこちた者がいたとしても、助けるすべはないのだけれど。
さいわい、二人の弟と十一人の妹は全員ぐっすり眠っていた。母と二人の姉が草むらの奥でなにか話し合っているのも見える。同じ《ユリカゴ》で暮らしている一族全員がどうかまではわからない。ただ、妙に静かな気がする。
僕が起きたことに気づいて、母が手招きした。興奮しているらしく、灰色の外骨格の色合いがふだんより明るい。僕が十二本の脚をせかせかと動かして近づいていくと、母は頭に生えている言語肢の先を僕の背板に当てて、激しく震わせた。僕の体に振動が伝わる。震わせかたを変えたり組み合わせたりすることでいろいろな意味をあらわすことができる、僕らの一族の固有の言語だ。
(ちょうどよかった。いま起こしに行こうとしていたんだよ。落ち着いて聞いておくれ。《ユリカゴ》が死んだ)
姉たちも同じように言語肢を伸ばしてきて言う。
(すぐにも《ワ》に移らなくちゃいけないから、おちびさんたちを起こすのを手伝ってちょうだい)
(ちっちゃい子はまだ《ワ》にしがみつけないから、抱えて運んでやらなきゃいけないね)
それでいつになく静かだったのだ。僕は納得した。
途方もない直径と幅をもつ世界、《ワ》。《ユリカゴ》はその《ワ》からぶらさがっている巨大な生きものだ。何百本もある脚でつねに《ワ》の内側にさかさまにしがみついて歩き回っている。僕らは昔からその《ユリカゴ》の腹の上をすみかにしていた。巨大な《ユリカゴ》を襲う敵などいないし、体にはいたるところに食べられる草なども生えてくる。
だが《ユリカゴ》も生きもの、寿命がくれば死んでしまう。死んでからしばらくすると《ワ》につかまっている脚がだんだんゆるんで、しまいには落ちてしまうので、僕らはそのまえにこぞって《ユリカゴ》から《ワ》に移らなくてはならないというわけだ。
そこからは大さわぎだった。小さい子たちは《ユリカゴ》を離れるのを怖がってぐずり、それをなだめているあいだにも《ユリカゴ》は不穏に揺れる。脚が《ワ》からはずれはじめているのだ。一族の年寄りのうち体の衰えてきている何人かは、いつのまにか姿を消していた。きたる長旅には耐えられないとさとって、《ユリカゴ》と運命をともにするつもりなのだろう。
僕はいちばん下の妹をおぶって、《ユリカゴ》の脚の一本を登った。ほかの脚にも一族の者たちが取りついている。母もちょうど僕のとなりの脚を弟の一人を背負って登るところだ。
(しっかりつかまってろよ。なにも怖くないからな)
僕は言語肢を伸ばして妹の背板をつついた。妹も僕の背板に返事を伝えてくる。幼いので言語肢の力が弱く聞き取りにくいが、話しぶりは一丁前だ。
(わたしこわくないよ。兄ちゃん、見て。《クニ》がすごくきれいに見える)
(そうか。兄ちゃんはちょっといま見られないから、おまえが兄ちゃんのぶんまで見ておいてくれ)
《クニ》は僕の背後はるか下にひろがっているので、振り向けば見ることはできるのだけれど、《ユリカゴ》の脚をよじのぼるのに必死でそれどころではなかった。
(それにしてもおまえは小さいのに剛胆だなあ)
(剛胆ってなに?)
(剛胆っていうのはね……)
僕はどうにかこうにか《ワ》まであと少しというところまで登ってきていた。また軽い揺れがきたので《ユリカゴ》の脚にしがみついてこらえる。その瞬間、さっきまで小憎らしいほど落ち着いていた妹が金切り声をあげた。
「お母さーん!」
それは音による呼びかけだった。脚を胴体の端にこすりつけて音を出すことで話をするのだ。妹の声は小さい体から出たとは信じられないほど大きく、僕はおもわずその場に立ちすくんでしまう。とっさに母が登っていたはずの脚を振り返ると、それは空中にふらふらと揺れていた。完全に《ワ》からはずれてしまっている。母と弟は振り落とされたのか、どこにも姿が見えない。
ふたたび《ユリカゴ》が揺れる。僕は上を見た。まさに自分のつかまっている脚が《ワ》からはずれつつある。
(しっかりつかまれ!)
妹の背板を言語肢でたたくや、僕は稲妻のように駆けのぼる。だがわずかにまにあわない。《ユリカゴ》の脚が《ワ》から抜ける寸前、僕はいちかばちか跳んだ。体が空中をただよい、いっぱいにのばした一番前の脚が《ワ》のゴツゴツした表面に触れて、ひっかかって、ぶらさがった。
(兄ちゃん!)
さしもの妹もふるえあがっていた。僕は返事をする余裕もない。必死で体を引き上げ、十二本の脚全部で《ワ》に食らいついてやっとひと息ついた。
(兄ちゃん、《ユリカゴ》が……)
見れば、《ユリカゴ》が《ワ》からはがれ落ちてゆくところだった。何百本もの脚を虚空に投げ出して、いままで僕らの住みかだった巨大な体が徐々に遠ざかってゆく。はるかな下に浮かぶ《クニ》へと。
《ワ》に移るのがまにあわなかった一族の者たちも、あるいは空中に振り落とされ、あるいは《ユリカゴ》にしがみついたまま、ともに落ちてゆく。見つけられないが、母と弟もどこかにいるだろう。
(だいじょうぶだよ、おまえも昔話を聞いたことがあるだろう? 《ワ》はむかしは《クニ》に巻きついていたんだけど、だんだん大きくなって《クニ》から浮き上がってしまったんだって。僕らも《ユリカゴ》もほかの生きものもみんな《ワ》といっしょに来てしまったけれど、もともとは《クニ》に住んでいたんだ。死んだあとは《クニ》に帰って、ご先祖さまといっしょに暮らすんだよ)
僕は妹の背板に言語肢で語りかけながら、一番前の脚を胴体にこすりつけて音を出した。同じ音がそこかしこから上がった。それは歌だ。一族の者が死んで亡骸を《クニ》に帰すときにみんなで歌う、弔いの歌。
少し離れたところにみんなが集まりはじめていた。僕も歌をつづけながらそちらに向かった。すでに大勢の者が死んだ。これからもたくさん死ぬだろう。新たな《ユリカゴ》を見つけるまでの長い旅の中で。
僕の背中のはるか下に、何本もの《ワ》に取り巻かれた《クニ》は太陽の光を受けて静かに輝いていた。
今回のイメージ元となったのは、『ウシャス』(コナミ、1987年)から、
2面BGM(曲名不明、山下絹代作曲)です。




