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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
33/100

033:ブレーカー・ブラウニー

 この家に住む唯一の人間である中年の男は、夜おそくに帰ってくるなり居間の照明とエアコンとテレビをつけ、着替えをしてズボンをプレッサーにはさむとこれも電源を入れ、さらに寝室で万年床に布団乾燥機をセットしてスイッチを入れた。

 この時点ですでに相当あやうい。あたしはくずかごのかげに隠れてハラハラしながら見守っていた。そして、男がトイレに行ったすきに居間のテーブルによじのぼって、そこに置いてあるビニールの買物袋の中をたしかめた。スーパーマーケットで売っている弁当だった。容器に触れてみると冷たい。ということは、男はこれからこの弁当を電子レンジであたためるはずである。完全に容量オーバーだ!

 あたしはテーブルから床まで一気にとびおりると、大急ぎで家の裏口のほうに走った。


 ブレーカーというものをご存じだろうか。

 家の中で電気を大量に使うと、電線がオーバーヒートして発火し、火事になるおそれがある。そうならないように、使っている電気がある程度の量をこえた場合には回路を遮断しなくてはならない。そのための装置がブレーカーだ。

 たとえばこの家では、ブレーカーは裏口のそばの壁の上のほうに取り付けてあり、三十アンペア以上の電気が通った際には表面のナイフスイッチを操作して電気の供給を止めることになっている。そしてだれがその操作をするのかといえば、この家のブラウニー、つまり守り神であるこのあたしが電力会社から委託されているのである。


 あたしは手ばやく支度をととのえた。髪はじゃまにならないように頭の後ろでくくり、いつもかぶっている三角の帽子はあごひもでしっかり固定し、ブーツのひもを締めなおし、半ズボンのベルトも締めなおし、最後に両手に手袋をはめて手首のところをスナップ式のボタンできっちり留めた。特にブーツは念入りに確認した。

 男がトイレから出て居間に戻ってゆく足音がする。あたしは裏口へ走って行って、上を見た。居間のほうから漏れてくる光で、天井と壁の合わさっているあたりがぼんやり照らされている。そこに見えるのは、ブレーカーとそれを覆うように張られた大きなクモの巣。クモの巣と聞いて多くの人が思い浮かべるのは丸くて平らなやつだろうが、これはそれとは違って、目の粗いかごを天井からぶらさげたような形である。

 居間のほうでビニール袋がガサガサという音を立てた。男が弁当を取り出したのだ。事態は一秒を争う。あたしは武者震いすると壁に足をかけ、ブーツの底が壁面に吸いつくのを確認して、壁を登りはじめた。これは魔法のブーツで、壁や天井を床同然に歩くことができるすぐれものなのだ。

 あたしは壁を駆け上がってブレーカーに向かった。クモの巣の住人が留守であれば話は簡単だったのだが、あいにく巣の奥にはちゃんと人影ならぬクモ影が見えた。向こうもあたしが来たことにとっくに気がついているだろう。巣の手前で立ち止まって、なるべく愛想よく声をかけた。

 「あのー、すみません。ちょっとそこのブレーカーに用があるんで、通らせてもらっていいですか?」

 「やなこった」

 即答であった。

 こういう反応を予想していなかったといえばうそになる。このクモのおばさんは、先日あたしが着任のあいさつにおとずれたときも木で鼻をくくるがごとき応対だったのだ。

 そのとき台所のほうから、ブオオオオン、という音がきこえてきた。電子レンジの運転音だ。もはや一刻の猶予もならない! あたしは懸命に訴えた。

 「あのですね、すぐにブレーカーを落とさないと火事になっちゃうかもしれないんです。そんなことになったらクモさんだって困るでしょう? どうかご協力いただけませんか?」

 すると、クモはゆらりと巣から出てきて、あたしの前に立った。胴体はこぢんまりしているし、体重もあたしとそんなに違わないだろうが、足が長いのでとても大きく感じる。かたずをのむあたしにむかって、クモはこう言い放った。

 「そんなに通りたいんなら、わたしを倒してからにしな」

 このわからず屋め、クモの巣を作りすぎて脳みそにまでクモの巣が張っちゃったんじゃないか? あたしは胸の中で毒づきながら、なおも説得をこころみた。

 「あの、ほんとにそんなことやってる場合じゃないんです」

 「だったらなおさらあんたの覚悟を見せてごらんよ、小人のお嬢ちゃん」

 だめだ。何を言っても通じそうにない。電子レンジの運転音はひっきりなしに鳴りひびいている。こうして押し問答をしているあいだにも、電線は刻々とオーバーヒートしつつあるのだ。あたしは腹をきめた。拳をかため、腰を落として構えをとる。

 「ふふふ、そうこなくちゃ。あんたを一目みたときから、なかなかの手だれに違いないと踏んでいたのさ」

 クモはほくそ笑んでいる。戦闘狂というやつだ。つきあいきれないが、やむをえない。あたしはすり足で間合いを詰め、クモが前足を右、左と振り下ろしてくるのを体をさばいてかわした。そして右足を踏み込んでの右の突き。相手はするすると後ろに下がってこれをいなす。足が多いだけあって動きがなめらかだ。あたしはふたたび間合いを詰める。

 「じゃあ、こんなのはどうだい?」

 クモは前足で足払いをかけてきた。あたしはジャンプしてそれをよけ、「あっ」と叫んだ。いまあたしは魔法のブーツの力で壁に立っていたのだ。ブーツの底が壁から離れれば、魔法が効かなくなって落ちるに決まっているではないか。この高さから落ちれば大けがはまぬがれないし、死ぬこともありうる。なんという大ポカ。

 いや、まだだ! あたしはまだ死にたくないし、ブレーカーを落とす仕事も残っている。家の守り神のプライドにかけて、火事など起こさせるわけにはいかない。あたしは腕をいっぱいに伸ばし、近くに張ってあったクモの糸をつかんで落ちるのを止めた。そのまま両手でぶらさがって体を揺らし、ブランコの要領で壁に飛び移ろうとする。

 ところが手が糸から離れなかった。手袋が糸にくっついてしまっている。それはそうだ。クモの糸というのはくっつくものだ。

 「さあ、どうする。頼むから降参なんてしないでおくれよ。まだまだ楽しませてもらわなくちゃ」

 壁を離れ、べつの糸をつたってクモはあたしに近づいてきた。そっちの糸はくっつかないようになっているのだろう、ついついと歩いてくる。あたしはまだあきらめていなかった。右手に顔を近づけ、手袋のボタンを口でかみちぎった。手袋から手をひっこぬいて左手の手袋のボタンもはずす。左右の手袋を糸の上に残して、こんどこそ壁に飛び移った。間を置かずクモがつかまっている糸のところに走って行って、壁から引きちぎる。

 「あ、ちょっと。おやめよ」

 まのぬけた声を残してクモはつかんでいる糸ごと落下し、さっきまであたしがつかまっていた糸に背中からぶつかって止まった。じたばた暴れているが、くっついてしまってすぐには脱出できないようだ。

 あたしは肩で息をしながらクモに背を向け、ブレーカーに歩み寄った。張りめぐらされたクモの巣を迂回し、ブレーカーによじのぼって、ナイフスイッチに両手をかける。あたしの肩ほどの高さのあるスイッチを一気に押し倒そうとして、そこでガチンと止まった。スイッチが動かない。

 「え、うそ」

 全身の力をこめて押してみると、スイッチはぎしぎし言いながらわずかに動くのだが、とても倒すところまでいかない。サビついているのか、ホコリでも詰まっているのか。なんにしても、今はメンテナンスをしているひまはないのだ。すぐにブレーカーを落とさないと危ない。それなのに汗で手がすべって、力もうまく入らなくなってきた。

 そのとき、あたしの横にすっと差し出される手があった。いや、手ではない。さっきの糸のところに残してきたあたしの手袋だ。差し出してくれたのは、あのクモ。

 「ほら、あんたの手袋だろ」

 あたしはあわてて手袋をうけとってはめた。今度こそ! 向こうがわに回って、体重をかけてスイッチをひっぱった。驚いたことに、クモも反対側からスイッチを押してくれる。

 「なにを驚いてるんだい。急ぐんだろ。しっかり力を入れな」

 あたしはうなずく。二人がかりになって状況は変わった。スイッチはきしみながらじわじわと動いてゆき、そして、


 ブツン


 今回の曲は、『ソウルキャリバーII』(ナムコ、2002年)から、

 「Brave Sword, Braver Soul」(矢野義人作曲)です。


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