030:まだら屋敷への帰還
入国してホテルで一泊した翌日、私はレンタカーを調達して一路故郷の村へむかった。
ここに住んでいたのは十歳にもならないころだったが、村の街並みにはいまでも見おぼえがあった。私は村に一軒だけあるガソリンスタンドに立ち寄った。
「どこへ行きなさるだね、だんな」
給油をすませて勘定をしていると、ガソリンスタンドの主人がたずねてきた。この国の人間は酒好きが多いと言われているが、その見本のような赤ら顔だ。言葉は訛りがきつく、聞き取るのにひどく骨が折れた。
「まだら屋敷へ行くところなんだ」
「なんだって?」
私が答えると主人は目をまるくし、つぎの瞬間ものすごい早口でなにごとかまくしたててきた。ほとんど聞き取れなかったが、とにかくあそこへ行ってはいけない、というのであるらしい。そんなことを言われても、こちらも子供の使いではないのだ。行ってはいけないと言われたから引き返しました、頼まれた用事はできませんでした、では両親にも天国の祖母にも申し訳がたたない。私は主人の話をてきとうに聞き流し、車に乗り込んで出発した。
私の一家が代々暮らしていた館、その名もまだら屋敷は、村の中心からさらに十五マイルほど離れた丘の上にぽつんと立っている。第一次世界大戦の後の内戦でこの国に嫌気がさして一家そろってアメリカに移住したのが四十年前。いまでは政治情勢は落ち着いて治安もまずまず良くなっているが、館は打ち捨てられたままのはずである。
ところどころ灌木が繁っているばかりのものさびしい風景の中を、私はしばらく走っていった。道は荒れており、レンタカーのセダンは始終ガタピシ飛びはねた。これほど道が悪いなら4WDを借りるのだったと思ったが、後の祭りだ。
予想よりだいぶ時間がかかって夕方になりかけたころ、荒れ放題の畑のむこうにやっと小高い丘と、その上に立つ石造りの小さな館が見えてきた。なつかしいまだら屋敷だ。あちこちの石切り場から出た雑多な石でこしらえたために色がまだらに見えるのが名前の由来である。母屋といくつかの小屋や馬屋とそれを囲う石垣、見たところどれも崩れもせずに立っていてくれた。
「むっ。だれかいるのか?」
ハンドルを握ったまま、私は目を細くして薄暮の風景のなかの館を見つめた。見まちがえではない。たしかに明かりがともっている。それも、いくつも。だが、館にいま人が住んでいるという話は聞いていない。浮浪者でも入り込んでいるのかと思ったが、都会のスラムならいざ知らず、こんな人跡まれな土地に浮浪者が居つくものだろうか。
あいかわらずでこぼこの道をゆっくりと館に近づいてゆく。門が開け放たれていたのでそのまま通り抜け、表玄関の前で車を下りた。玄関の扉がひらいて一人の女が姿を現したのはそのときだった。
「だれだい、自動車で乗りつけたりしたのは。さわがしいねえ」
私はおどろいて女を見つめた。鮮やかな青のイブニングドレスを着たその女は、およそ血がかよっているとは思えないようなおそろしく青白い肌をしていた。そして、そんな肌の色にもかかわらず、とほうもなく美しかった。女は嫣然と笑って言った。
「おや。めずらしいこともあったもんだ。人間がここにやってくるなんてね」
私は身の危険を感じて、車の中に戻ろうとした。だがドアがあかない。そうだ、たったいま車から下りたときに鍵をかけたのだった。あわててキーを取り出そうとするが、不意に強いねむけに襲われてその場に寝入ってしまった。
目をさますと、城の台所の床の上に縛り上げられて転がされていた。目の前では醜い老婆が白髪を振りみだして巨大な肉斬り包丁を研いでいるところだった。私が目をあけたのに気づいた老婆は、黄色い乱杭歯をむきだして笑った。
「おや、お目覚めかえ。包丁が研ぎあがるまでもうちょっとお待ちよ」
「ヒッヒッヒ、なかなかよく太ってうまそうな人間だな」
二人めは私の足もとに立ってゆらゆらと揺れていた。その姿は、巨大なかぼちゃをすっぽりと頭にかぶった細身の男だ。例によって二人とも訛りがきついが、言っていることはおおよそわかった。今となってはわかってもわからなくても大した違いはないが。
なんとかしてこの連中をだしぬいて逃げられないかと考えをめぐらせていると、かちゃかちゃと乾いた足音を立てて三人めの人物が台所にやってきた。床からその姿を見上げた私は、思わず悲鳴をあげそうになった。骸骨だ。一体の真っ白な骸骨が歩いている。
私の恐怖をよそに、かぼちゃ男が骸骨に問いかけた。
「なんだあ? 奥方様がお呼びだってか?」
骸骨がうなずくと、かぼちゃ男はぶつくさ言いながら出ていった。ついで骸骨は手に持っていたワインの壜を老婆に差し出した。
「おや、差し入れかい。いつになく気がきくじゃないかえ」
老婆は壜を受け取ると指でコルクを抜き、直接口をつけてたちまち飲み干してしまった。そしてほどなくその場に倒れていびきをかきはじめた。骸骨はおもむろに私の上にかがみこんだ。私はおそろしさのあまり声も出ない。が、ふとその骸骨の口元に目がとまった。ずいぶんな出っ歯だ。そのうちの一本は銀歯で、ほかの歯とは微妙に形がそろっていない。むかしこんな歯を見たことがあるようなないような。いや、それどころかしょっちゅう見ていたはずだ。なつかしさすら感じるではないか。
「まさか、祖父ちゃんか?」
私の口からぽろっとこぼれた言葉に私自身おどろいた。思わず身じろぎした私は、自分の手足が自由になっていることに気づく。縛っていた縄を骸骨が小刀で切ってくれたのだ。骸骨はさらに、私に車のキーを渡してきた。眠りこけているあいだに取り上げられていたらしい。
「ま、待ってくれ」
ついてくるように手ぶりでうながして台所を出てゆく骸骨を、私はあわてて追いかけた。
骸骨はまっすぐ裏口に向かった。途中、広間のほうから大勢の話し声や笑い声が聞こえてきたところからして、今晩は宴会でもしているらしい。メインディッシュが逃げ出しつつあることにはまだ気づいていないようだ。
外に出ると、すっかり夜になっていた。馬屋の横を通りぬけるとき、首のない馬やら皮膚のない馬やらがつないであるのを見てあらためてぞっとするが、さいわい騒がれることはなかった。私のセダンは、誰かが動かしたらしく馬屋の前に持ってきてあった。ここまで私をみちびいてきた骸骨は、乗れというしぐさをする。私はささやいた。
「祖父ちゃんはいっしょに来ないのか?」
口にしてから、バカなことを言ったと思った。祖父は四十年も前に亡くなって、館の敷地のはずれに立つ一族の墓所に葬られたのだ。この骸骨が祖父だったとしても、連れて帰ることなどできないに決まっている。骸骨も察したらしく、静かに首を振った。私はポケットから取り出したロケットを骸骨の手に握らせた。
「これ、祖母ちゃんの髪が入ってる。こないだ亡くなったんだ。百歳で大往生だったよ。それで、遺言で、遺髪だけでも祖父ちゃんのところに持っていってほしいって」
私がここにやってきたのはそのためだった。ほんとうは墓所に持って行くつもりだったが、祖父本人に渡すことができるのならそのほうがいいだろう。
骸骨はロケットを受け取って握りしめた。もう片方の手を、早く行けというふうに振る。私はうなずいて車に乗り込み、エンジンを入れて急発進した。もたもたしていると追手がかかるだろう。
バックミラーの中で手を振る骸骨の姿は、またたくまに遠ざかっていった。
今回イメージした曲は、『ルミナスアーク』(イメージエポック、2007年)から、
「神像」(三留一純作曲)です。




