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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
28/100

028:忍法空蝉

 あとから振り返ってみれば、そのときあたしは油断していた。

 とある城に下女としてもぐりこみ、台所仕事のかたわら城内のいくさ備えを調べ上げて、城の外の仲間に伝える。それがあたしの言いつけられた仕事だった。たった一か月で城は落ちた。あたしは城を抜け出して仲間と落ち合い、連れ立って里へ戻ることになった。知らない人の目には、攻め落とされた城下町から逃げてきた若い職人の夫婦に見えただろう。

 夜に日を継いで道を急ぎ、国ざかいの峠をこえてしばらく行ったところで、ようやくあたしたちは安心して肩の力を抜いた。

 「ごくろうだったな」

 この男とはそれまであまり一緒に仕事をしたことはなかったが、まったく知らない仲というわけでもない。あたしはずっと気になっていたことを聞いてみた。

 「先代のお加減がその後どうなのか、知ってる? あたしが里を出たのは先代が倒れられた次の日だったんだけど」

 「ああ、それなら」男は軽く答えた「亡くなったぞ」

 聞き返すひまもなかった。男の右手がぎらりと光るものをつかんで、あたしの胸に突き刺してくる。だが一瞬はやく、あたしは呪文をとなえ印を切った。三間ばかり向こうの道ばたに立っている道祖神の石碑、あれだ! まばたきするほどの時間もかからず、あたしは自分と石碑の場所を取り替えていた。男の突き出した短刀が石碑にぶちあたってこなごなになるのを、あたしは離れた道ばたから見た。

 「さすが、空蝉うつせみの術の名人と言われるだけのことはある」

 こわれた短刀を投げ捨てながら、男は笑う。つぎの瞬間、あたしは背中にものすごい衝撃を浴びて、地面にふっとんだ。後ろにもう一人いたのだ。最初の男が懐手をして立っているのが見えた。

 「だが、身代わりに使いやすい石かなにかが近くにあるところで襲ってやれば、おまえはそれと入れ替わるだろうからな。あらかじめそっちにも一人伏せておいたのさ」

 「な、なぜ、こんなことを」

 あたしの声はほとんど出なかった。体がほぼまっぷたつになるほどの傷を負っているのだ。

 「ああ、先代に気に入られてたやつはみんな始末するようにとの、頭領のご命令でな。悪く思うなよ」

 先代の頭領といまの頭領はあまり折り合いがよくなかった。先代が亡くなって、頭領は遠慮を捨てたらしい。あたしとしては、たしかに先代に恩義を感じていたし、敬愛してもいたけれど、べつにいまの頭領を軽んずるつもりなんてなかった。でも、そんなことは向こうにとっては関係なかったのだろう。

 あたしはもう地面に倒れたまま指一本動かせなくなっていた。あとひと息かふた息のあいだに死ぬと自分でわかった。男たちも同じように思っているらしく、とどめを刺そうともしない。

 ふと、ずいぶんむかし、みなしごだったあたしが里に引き取られたばかりのころのことがよみがえった。里に伝わる術の手ほどきを受けていたあたしに、何かのおりに先代が言葉をかけてくださったのだ。

 「おまえは空蝉の術がずいぶん上手になったな。もはや里でおまえの右に出るものはあるまい。だが、ほんとうの空蝉の術というのは、それとは別のものだぞ。ふつうの空蝉は斬られる前にほかのものと入れ替わるが、ほんとうの空蝉は斬られたあとでその体を捨てて、新しい体にすり替わるのだ」

 あたしは聞いた。斬られてから入れ替わるなんてことができるのですか、と。そのときあたしの頭をなでながら答えてくれた先代の優しい顔は忘れられない。

 「ふつうはできん。斬られた体を捨てるときには、それについている係累も一切合切捨てねばならんのだ。親やきょうだい、妻や子、友だちや仲間をだ。とうてい捨てられるものではないよ。わしはむかし、天涯孤独だったころに一度だけできたことがあるが、今はもうできんし、したいとも思わん」

 先代、いまのあたしならできるかもしれません。あたしにはもうわざわざ捨てなきゃならないものなんて、この体のほかには何もないんです。


 あたしは斬られた体を捨てた。雑巾をひきさくようないやな手ごたえがあったがかまわずつづけて、その場に立ちあがった。足元には一人の女が血まみれになって倒れている。言うまでもなく、たったいま捨てたあたしのもとの体だ。もう死んでいるだろう。

 目の前の男がさけんだ。

 「だれだきさま! どこからでてきた!」

 自分の顔をさわってみると、つるりとした手ざわりだった。あたしは子供のころにやった水ぼうそうの治りがわるくてあちこちにあばたが残っていたのだけれど、それがひとつもない。赤ん坊のようにつるつるの肌だ。

 「ええい、こいつも殺せ!」

 後ろの男が血刀をいまいちど振りぬく。あたしはよけもせずに歩きだした。足元にどさりと、またひとつあたしの死体がころがった。二度めは一度めよりずっと楽だった。

 二人の男はいまや青い顔をしてふるえるばかりだった。あたしは連中をそのままにして歩きつづけた。こいつらはもうあたしのことがわからないのだ。一度めのときに何かをひきさくような感じがしたが、あたしにわずかに残っていた知り合いとのつながりがあのときにすっかり切れてしまったのだろう。いまのあたしにはもう何もない。

 行く手にさきほど一度こえた国ざかいの峠が見えてきた。ためらいなく、それをさっきとは逆に越える。

 死なないですんだのに、悲しくてたまらなかった。


 今回イメージした曲は、『ドンドコドン2』(タイトー、1992年)から、

 各ステージボス戦BGM(曲名不明、山田靖子作曲、編曲者不明)です。


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