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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
25/100

025:枯葉の降る森で

 その日、色づいた枯葉がひらひらと舞う森のなかで、おれはかたきに出くわした。その凶悪なあご。黄色の縞模様のついた腹。ぶんぶんと音を立てる四枚の翅。尻の先の毒針。なにより、その顔の正面の、傷痕のある大きな目と半分ちぎれた触角は見まちがえようもない。おれは二本の前肢を振り上げ、残る六本の肢で木の枝をしっかり踏みしめた。くそ、体のふるえが止まらない。

 「おや、ずいぶん勇ましいクモのぼうやだねえ。あたしとやろうっていうのかい」

 向こうは余裕綽々だ。それはそうだ。体の大きさがそもそも三倍以上もちがう上に、向こうは毒針とあごと翅があるのだ。こちらにもいちおうあごはあって、毒だってあるにはあるのだが、やつに通じるかどうかははなはだ心もとない。しかも、それらすべての差に加えて、明らかに向こうは百戦練磨の古つわものだ。

 おれは震えながらも声を張り上げた。

 「は、は、半年前ッ!」

 「半年前?」

 「おまえは、おれの弟と妹をみなごろしにした! みんなまだ卵から孵ってもいなかったのに! おまえに食われてしまったんだ!」

 生き延びたのは、そのときすでに孵化していたおれ、ただ一匹だけだった。おれが卵から出て最初に見たのが、目に傷があり触角が半分欠けたこいつの顔だ。生まれたばかりのおれに弟妹を守る力などあるはずもなく、逃げのびることができただけでも幸運と言わねばならなかった。

 おれの目の前でホバリングしながら、やつはカチカチとあごを鳴らして愉快そうに笑った。

 「ああ、あのときのぼうやか。ずいぶん大きくなったもんで、気がつかなかったよ。で、どうするんだい? そのちっぽけな前肢で母親のかたきうちができるか、試してみるのかね?」

 そう、残念ながらおれの前肢は小さなハエをつかまえるのがせいぜいで、スズメバチをどうこうできるような力はない。いや待て、こいつはいま何を言った? おれは不審に思って聞き返す。

 「母親だって? なんのことだ」

 「おや、知らなかったのかい。ぼうやの母親を殺したのはこのあたしだってことさ。この顔の傷はあの女と戦ったときにつけられたものだよ。腹いせに食い殺してやったけど、傷が痛んで痛んで、胸糞の悪いのがおさまらなくってねェ! あの女の巣を見つけだして、卵も食ってやったのさアハハハハァ!」

 ひとしきり笑うと、やつは一転して表情を消した。

 「さてと。思い出したらまたムカついてきた。あの女の子供が生きてるっていうのも気に食わないし、このムカついたのをおさめるには、ぼうやを食ってやるのが理屈に合ってるってもんだよね」

 どういう理屈に合うのかさっぱりわからないが、こいつがとほうもなくヤバいということだけははっきりわかった。おれはほとんど本能的にやつから距離を取ろうとし、枝の裏側にのがれた。その行動がおれの命を救った。時を同じくしてやつも翅をひときわ高く鳴らして突進してきたのだ。こっちの動き出すのが一瞬でも遅かったら、あっさりやつに捕まってしまったところだった。

 いったん遠ざかった羽音がふたたび近づいてくる。こんどは突進ではなく、ゆっくり近づいてこちらを追いつめるつもりらしい。おれはやつから身を隠すように枝の側面に張りついて移動した。まったく勝てる気がしなかった。おれだってこう見えてもそこそこ腕におぼえはある。コオロギの兄貴から跳躍術と格闘術をみっちり教わったし、そのあとには兄貴の紹介でカマキリの姐御からもしばらく稽古をつけてもらった。だが、いざスズメバチに襲われてみれば、そんなものは何の役にも立ちはしないのだった。

 いつしかおれは枝の先に追いつめられていた。やつは幹のほうから枝の表面をなめるように低く飛んでくる。おれのそばには今にも枝から落ちそうな枯葉が一枚二枚あるだけで、身を隠せるような場所はない。やつが獰猛な笑みをうかべる。

 「ほら、もっと抵抗するなり逃げるなりしてごらんよ。でないと、いたぶりがいがないじゃないか」

 万事休す。だがそのとき、おれは一陣の風が木々の枝を揺らして近づいてくるのを見た。とっさにすぐそばの枯葉にしがみつく。つぎの瞬間、到着した風は空中のやつをよろめかせ、枯葉を枝から引きむしった。もちろん枯葉にしがみついたおれもいっしょだ。やつはすぐに体勢を立て直して追ってきた。

 「ハッハァ! なかなかうまく逃げるじゃないか! だが残念だね、ぼうやは二度と木の上に戻ることはないよ!」

 くるくると風に振り回される枯葉の上で、おれは背中側の目でやつの姿をとらえて間合いを測り、前肢で必死に糸を巻き取った。やつがぐんぐん近づいてくる。間に合うか?

 「うおっ?」

 やつが突然さけび声をあげて、ぐらりと傾く。背中に別の枯葉がぶつかったのだ。正確に言えば、おれがぶつけた。さっき枝の上にいたときに、生えていた枯葉に糸をくっつけておいて、飛ばされたあとで糸を巻き取って引き寄せていたのである。ここが最初で最後のチャンス。おれはつかまっていた枯葉を蹴って跳んだ。狙いたがわずやつの背中に下り立ち、無我夢中で右の後ろ翅に組みつく。

 「こっこのっ、放せ!」

 「だれが放すか!」

 さすがに翅を一枚押さえこめば、やつもろくに飛べはしない。ふらふらと高度を落とし、地面に突っ込んだ。草の葉をなぎたおして転がる。おれは衝撃で前肢をゆるめてしまい、やつとは別れ別れに地面に倒れた。無茶しすぎたか、体に力が入らず、うまく起き上がることができない。すこし離れたところではやつがふらふらと立ち上がって、おれをじっと見つめていた。

 「このあたしが、ぼうやみたいなのにここまでやられるなんてね。ぼうやのこと、簡単には殺さないから覚悟しておいで。まず肢を一本ずつむしって、それから……ああっ?」

 悲鳴を上げたのは、後ろからにゅっと伸びてきた緑色のたくましい二本の肢がやつの体をがっちりつかまえたせいだ。その肢の持ち主は、頭の左右についた大きな目でやつを見下ろして告げる。

 「おまえさ、わたしの弟分をずいぶんいじめてくれたみたいじゃないか。ただですむとは思っていないよな?」

 「おまえの戦いぶり、見てたぜ。よくがんばったな。あとは姐さんにまかせておこうや」

 おれのそばにやってきて背中を叩いてくれたのは、コオロギの兄貴だ。カマキリの姐御につかまったやつの断末魔の叫びを聞きながら、おれは安堵のあまりその場にうずくまった。


 今回イメージしたのは『東方緋想天』(2008年、黄昏フロンティア)から、

 「砕月」(あきやまうに作曲・編曲)です。


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