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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
21/100

021:白の館にて

 身の丈二十センチメートルの少年は、広々とした芝生を走って、奥に立つ建物をめざした。あたりに人間の姿は多いが、少年を見とがめるものはなかった。自分がほとんどの人間の目には見えないということを少年は知っている。

 やがて建物の入口についた少年は、出入りする人間がドアをあけた隙にすばやく中にすべりこんだ。

 ここはアメリカ合衆国大統領官邸、ホワイトハウス。世界で最も警戒厳重な場所のひとつである。


 かつて小人とか妖精という名前で世界各地のおとぎ話に登場した種族が実在することを人類が知ったのは、二十一世紀の中ごろであった。人間をそのまま身長二十ないし三十センチメートルに縮めたような姿のこの種族は、山岳や森林、ときには人家の床下や屋根裏などで生活していた。

 実在が明らかになり妖精族とよばれることになったこの種族に対して、人類の態度はさまざまだった。友好的な者、気味悪がる者、はては悪魔の一種と見なして忌み嫌う者もいた。また、依然として妖精族の実在を認めない者も少なくなかった。なぜなら、妖精族は大多数の人間には姿も見えなければ声も聞こえないからである。


 首尾よく建物への侵入をはたした妖精族の少年だったが、間取りを知らないため、目的の場所にはなかなかたどりつけなかった。途中で大統領の飼っている猫に見つかって追い回されるという余計な一幕もあり、神経をずいぶんすりへらすはめになった。自分の姿は人の目には見えないといっても、猫が何を追いかけているのか不審に思う者はいるかもしれない。

 どうにか猫から逃げきった少年が壁に寄りかかってひと休みしていると、近くのドアがひらいた。

 「では、大統領、部隊の編成についてはのちほどまたご報告します」

 「ああ。よろしくたのむ」

 ドアから人が出てくるのと入れ違いに、少年はとっさに中に駆け込んだ。そこは明るくて広い楕円形の部屋で、手前に応接セット、奥には執務机が置かれており、部屋の中にいる人間はただ一人、その机に着いて書類に目を通すスーツ姿の年配の男だけだった。テレビや新聞で何度も何度も見た顔。この建物のあるじにして妖精族の宿敵である、現職のアメリカ合衆国大統領その人だ。

 少年はごくりとつばを飲みこむと、足音をしのばせて部屋の壁際を進んだ。大統領はしばし書類を読んでいたが、そのうちに机の引き出しをあけて何か探しはじめた。少年は腰のベルトに差してあるナイフを抜いた。その刃は黒く濡れている。毒が塗ってあるのだ。このナイフでかすり傷をつければ、バッファローでもひとたまりもなく死んでしまう。少年は大統領にむかって突進した。

 「そこまでだ、妖精君」

 少年はつんのめって立ち止まった。大統領は引き出しから取り出した自動拳銃の銃口をまっすぐに少年に向けていた。


 妖精族の姿は人の目には見えず、声もきこえない。ただごくまれに妖精族を見たり聞いたりすることができる人間もいて、こうした能力は古くは霊感と呼ばれて特別視されていた。

 だが近年の研究によって判明したのは、むしろ妖精族を見ることのできる人間のほうが正常であるということだった。大多数の人間は妖精族の姿を見てもその情報を脳がブロックしてしまって認識することができないのだ。妖精族の声についても同様である。人類の歴史の上ではおそらくそのほうが子孫を残すのに有利だったのだろうと考えられる。具体的には、霊感のある人間は世間ではしばしばうさんくさい人物であると評価されてしまい繁殖の相手を見つけるのに支障が生じたとか、妖精族を見ることのできる人間は往々にして妖精族に恋をしてしまって子孫を残すことができなかったといった説が唱えられているが、はっきりした結論は出ていない。

 今日では、妖精族を見ることのできる人間は一千万人に一人いるかどうかであるとされている。そのまれな人間が大統領に就任しているとは、しかもあのような無道な政策を進めているとは、少年には信じがたいことだったが、現に大統領は冷たい表情で正確に少年に銃口を向けているのだった。

 驚きのあまり声も出ない少年を見やって、大統領は口をひらいた。

 「きみの疑問はおそらく、なぜ妖精族を見ることのできる人間が妖精族を絶滅させようという政策をとっているのか、ということだろう」

 少年はつい釣り込まれてうなずいた。大統領は淡々とつづける。

 「子供のころ、そのころはまだ妖精族の存在は世間で認められていなかったが、私はきみたちが見えるせいでまわりの人間から頭がおかしいと思われたことがある。ずいぶん不愉快な経験だった。そういうわけで、私はきみたち妖精族を憎んでいるのだ」

 「それは私怨だ!」

 少年はおもわず叫んだ。大統領はうなずく。

 「そうだ。だがそれだけではない。目に見えないというきみたちの特徴は、人類にとって脅威だ。現にいまも、厳重な警備をくぐりぬけてきみはここまでやってきたではないか。私以外の人間だったらあっさり暗殺されていたことは確実だ。きみたちがこれまでにどれほどの人間を殺したか、そして今後どれだけ殺すか、見当もつかない。私は大統領として市民の安全に責任がある。それで妖精族を絶滅させようと決めたわけだ」

 大統領は軽くほほえんだ。

 「つまり私には私情と大義の両方がある。このふたつがそろったときに、人は断固として行動することができるのだよ」

 「絶滅だなんて、そんなことできるものか。妖精族を見ることができる人間を全員兵隊にしたところで、一個小隊の兵力にもならないんだぜ」

 少年はせめて捨てぜりふを吐いたが、大統領はまったく動じなかった。

 「ロボット兵器を投入すればすむことだ。ロボットには人間の脳の欠陥など再現されていないから、妖精族と戦わせるのに何の問題もない。そうだ、ここの警備にもロボットを回してもらわないといけないな」

 大統領は拳銃を持つ手の指にゆっくりと力をこめる。

 「さて、あまり長々とおしゃべりをしている時間もないし、そろそろお別れとさせてもらおうか」


 銃声を耳にして、大統領補佐官と護衛官は大あわてで大統領の執務室に駆け込んだ。大統領は執務机のそばのくずかごに何か捨てているところだった。

 「大統領、いまの銃声は……」

 「やあ、驚かせてしまってすまない。拳銃の手入れをしていたら、ちょっとね」

 大統領にけががなさそうなので、一同は胸をなでおろした。補佐官は言う。

 「この際申し上げますが、警護は専門の者にお任せになって、拳銃は手放されたほうがよろしいかと」

 「考えておくよ。そうだ、警備のことで相談があったんだ。ロボット兵器を警備に加えられないかと思うのだが……」

 話を聞きながら、補佐官はふとくずかごの中をのぞきこんだ。大統領が何か捨てたときにずいぶん重そうな音がしたのだ。よく見えなかったが、何を捨てたのだろうか。

 くずかごはからっぽで何も入っていなかった。


 今回イメージした曲は『ワイプアウトピュア』(ソニー、2005年)から、

 「Onyx」(CoLD SToRAGE作曲)です。


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