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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
20/100

020:みじめな稽古

 いつものように目が覚めて、いつものように森のなかの空地に走ってゆくと、いつものように友人は先に来て待っていた。

 「おはよう」

 いつものように笑顔で声をかけてくる友人に、若者は肩にかついでいた木剣を下ろしつつあいさつを返す。

 「ああ。おはよう」

 だがその声ははたしていつもどおりだっただろうか? かすれたり、うわずったりしてはいなかっただろうか? 若者は自信が持てなかった。

 若者の心のうちに気づいたふうもなく、友人は自分の木剣を軽く振ると、足場を固めた。二人が毎朝踏みならしているせいで、あたりに生えている草の丈はごく短い。若者もまた、友人のとなりに並ぶと木剣を構える。そして二人は、まったくの同時に木剣を振り上げ、振り下ろした。つづけざまに二度、三度、四度。風が起こり、まわりの木々の葉を揺らした。二人は脇目もふらずにくりかえし木剣を振りつづけた。

 素振り二百回を終えると、すっかり汗ばんでいた。暦の上ではまだ春だが、今朝はかなりの陽気である。二人はしばし息を休めると、つぎの修練にとりかかった。友人が問う。

 「今日はどっちからにする?」

 いつもであれば「どっちでも」と答え、友人の気まぐれにまかせるところだ。だがこの日、

 「おれは後で」

 若者は知らず知らずのうちにそのように答えていた。友人はすこし首をかしげたが、すぐに応じた。

 「わかった。それじゃ、おれが先だな」

 二人は離れて向かい合い、たがいに木剣を構えた。友人が息を吐き、吸って、つぎの瞬間低い位置から突きをはなってくる。さらに手元をねらっての小さな打撃、上段からふたたび打ち下ろし。毎日見慣れた技で、名を「奔猪」という。若者は体を開いて突きをかわし、そのあとの二撃は木剣ではじいて防いだ。

 二人がかよっている剣術の道場では、都合十二の型を門弟に教える。「奔猪」はその第一番だ。つづけて友人はいつものように第二番「疾狗」、第三番「飛鷲」と順番に繰り出し、若者もそれを型どおりにさばいていった。

 二人が毎朝いっしょに型の稽古をするようになったのは剣を習いはじめてすぐのことで、それ以来ほとんど毎日欠かさずつづけて十年あまりになる。同い年で体格も腕前も似かよった二人は、友人どうしというよりは血のつながらない双子といったほうがいいほどだった。

 第十二番「窮鼠」が終わった。攻守を替えて、こんどは若者が打ち込む番だ。

 「おい、どうした。はやくはじめろよ」

 「ああ、うん」

 さえない返事をして、若者は木剣を構える。ここ数年、若者は友人と稽古している最中に、ときおり心が乱れることがあるのだった。いまもそうだ。目の前に立つ友人の姿の上に、一つ年下の従妹の姿が重なって見える。もちろん気の迷いである。若者は首を振り、踏み込んで突きを入れた。

 くだんの従妹は生まれてまもなく両親をはやりやまいで亡くして若者の両親に引き取られ、以来十数年、兄妹同然に育ってきた。この利発で気立てもよい従妹が、いつのころからか目の前の友人と恋仲なのだ。

 「おい、だいじょうぶか」

 第六番「白駒」を終えたところで、友人が声をかけてきた。これは常にないことだった。

 「だいじょうぶだ」

 とっさにそう答えたが、それがいつわりであることは自分でよくわかっていた。ここしばらくではおぼえがないほど剣筋が乱れている。

 「もしかして昨日のことが気になって……」

 「だいじょうぶだ」

 友人の言葉をさえぎって、呪文のようにくりかえした。踏み込み、下段から打ち上げる。第七番「盤蛇」。振り抜いた木剣を左から切り返し、低い突き。だが体が泳ぎ、突きの軌道がぶれる。胴を突くはずの切っ先がずるりと上へ滑り顔面へ、だが友人はとっさに首を振って紙一重でそらした。

 「……す、すまん!」

 友人はさすがに冷や汗をうかべていたが、それでも声を荒げることなく答えた。

 「今日はここまでにしよう」

 型稽古は型に沿っておこなうのでなければ受けるほうは命がいくつあっても足りないし、打ち込むほうも修練にならない。若者はがっくりとその場にへたりこんで息をついた。すこし離れて友人も地面に腰をおろす。

 「ちょっと話をしようぜ。昨日の……というか、あいつのことだ」

 「あ、ああ。おめでとう。今さらだけど」

 友人は昨日若者の家を訪れ、両親に対して正式に従妹との婚姻を申し入れたのだった。二人の仲がそこまで進んでいるとは、若者はまるで知らなかった。若者の両親はもともと友人を気に入っていたこともあり、二つ返事で結婚を許した。従妹が喜んだことは言うまでもない。

 友人は言う。

 「おまえとはもっと早くこの話をしないといけなかった。でも、正直に言っておれもこわかったからな。前から気づいてはいたんだ。おまえもあいつのことを……」

 「ちがう!」

 否定は時として肯定を意味する。早すぎたり強すぎたりすればなおさら。このときの若者がまさにそうだった。言葉の表面とは逆の意味が相手に伝わってしまったことがはっきりわかった。だがそれでも、たとえ口ばかりであるとしても、否定しないわけにはゆかないのだ。

 「なあ、ひとつ賭けをしないか」

 友人は唐突に妙なことを言い出した。若者はうなだれたまま、目だけ上げて先をうながす。

 「今日の稽古のつづきをやろう。それで、つぎの八番から最後の十二番までおまえが一度でもさっきみたいにしくじったら、あいつにちゃんと自分の気持ちを伝えてけりをつけるんだ」

 「一度もしくじらなかったら?」

 「そのときは、おれたちの祝言の席で、おまえには余興として裸踊りを披露してもらう」

 「なんだ、その賭けは」

 若者はあきれた。どちらに転んでも自分は損しかしない。しかしながら、悪くない賭けだという気もした。横恋慕した男には、こんな末路が似合いかもしれない。身を起こして、そのへんに放り出していた木剣を拾い上げる。さきほどと同じ一振りだとは思えないほど、それはよく手になじんだ。友人も立ち上がり、二人はふたたび間合いをとって構えた。若者は自らをふるいたたせるかのように声を上げる。

 「それじゃひとつ張り切って裸踊りといきますか」

 木剣を中段に構え、遠間から勢いよく飛び込む。第八番「竜王」。剣筋にはもう乱れはなかった。


 今回イメージした曲は、『テイルズウィーバー』(ネクソン、2004年)から、

 「Take a step forward」(ESTi作曲)です。


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