002:鉄の獣
真昼、石造りの都は息をひそめていた。
国ざかいのいくさで国王が戦死してから二日。海の向こうからやってきた敵の軍勢は怒濤の勢いで攻めのぼり、宮殿のいちばん高い塔からの眺めにその姿を現すにいたった。秋まきの小麦が豊かに実る畑地をふみにじって近づいてくるそのいなごのごとき人の群れに、亡き国王の一粒種の王子はぶるりとおののいたが、強いて背すじをのばすと、かたわらに控える老人に問うた。
「奇妙ななりをしてはいるが、ふつうの人間の兵士ばかりだ。父上の軍を打ちやぶった鉄の獣とやらは見当たらぬな」
腰の曲がった体をふしくれだった木の杖で支え、老人は目深にかぶった頭巾の奥からしわがれた声を発する。
「温存しているのやもしれませぬ。ですが、油断めされますな。あの兵士どももみな、いかずちを呼ぶ杖をたずさえているということでございます」
「あの、手に持っている得物がそれであろうか。剣でも槍でもない、おかしな形の武器だとおもっていたが」
「わたくしめの老いた目には見定められませぬが、おそらくそれでございましょう。おや、将軍が来られましたぞ」
がちゃがちゃという足音を響かせて、全身に鎧をつけた壮年の男が塔の階段をのぼってきた。王子の前にひざまずくと、長い軍隊暮らしでつちかった胴間声で述べる。
「殿下、ここにいらっしゃいましたか。危のうございますので中にお入りくだされ。やつらの杖から飛び出すいかずちは、この高さにまで届くおそれがございますぞ」
「気づかいはありがたいが、ことわる」
王子は答え、みずからも片膝をついて男と目を合わせた。
「王家の後継ぎとして軽々しく戦場に身をさらしてはならぬということはわかっている。そなたの言いぶんは正しい。だが、これがこの国の最後の戦いになるかもしれぬのだ。戦いの行方をこの目で見届けることもまた、余の負うべき務めであろう」
男は小さく首を振って慨嘆した。
「殿下はお父上に似られましたな。陛下も、何度申し上げても戦いの場に出ることをおやめになりませんでした」
「親子そろって気苦労をかけるな。すまない」
男は立ち上がった。
「そろそろ敵が城壁に近づいてきましたかな。それがしは参ります」
「将軍、気をつけて」
「殿下もご壮健でいらっしゃいませ。魔法使いどの、殿下のことをお頼み申す」
「心得ました」
老人が答えると、男は来た道を戻って行った。ほどなく戦いがはじまった。城壁の上から守備の兵が矢をはなち、下からは敵の兵がくだんの杖でいかずちを撃ち上げて応戦する。いかずちの威力はあらたかで、よろいかぶとの上からであろうと相手に当たりさえすればひとたまりもなく打ち倒したが、石造りの防壁をつらぬくまでの威力はなく、また固く閉ざされた城門を打ち破ることもできないようだった。
「殿下、現れましたぞ」
だが老人がするどく叫ぶ。丘のむこうから黒々とした大きなものが姿をあらわすところだった。ずんぐりした巨大な鉄のかたまりが、いかなる仕掛けか、かなりの速さで地面を這って進んでくる。そのたけだけしい威容に、はるかな距離をへだてているにもかかわらず、王子はつかのま呑まれた。
「あれが鉄の獣とやらか」
「殿下、お気をつけください!」
獣の正面に突き出ている長い角が、ぐるりとめぐって城門に向くやいなや、だしぬけに火を噴いたのだった。一瞬の間を置いて城門の扉が内側に吹っ飛び、さらに一瞬の後に轟音と震動が二人の立つ塔を揺さぶった。獣はつづけざまにもう二度ほえたけり、城門の両側の城壁が守備の兵たちもろともばらばらになった。邪魔する者がいなくなり、敵の兵がおたけびを上げて城内になだれこんでくる。
「鉄の獣だと? そんななまやさしいものではない。これは鉄の魔物だ!」
王子は目を血走らせて剣を抜き、高くかかげた。
「殿下?」
「大地よ、かの魔物を呑みこめ!」
とたんに、かなたの丘の上で鉄の獣がぐらりと傾ぐ。こちらがわでは王子がうめき、そのかかげた剣が朽ちてぼろぼろと崩れ去った。
「遠すぎるし、大きすぎる……。ここまでか」
「殿下、十分です。ともかくあの獣めはしばらく動けますまい。……おや?」
「む、あれは……!」
二人は目をみはって塔のふちから身を乗り出した。地面になかば埋まった鉄の獣、その背中の一部がぱかりとはずれて、体のなかから人間が出てきたのだ。
「まさか、あれは生きものではなく、乗りものであったのか!」
驚いて見ている二人を、つぎには絶望が襲った。丘のむこうから新たな鉄の獣が現れたのだ。それも一体だけではなく、二体、三体とつづく。さらに空にも、これまた鉄でできているとおぼしき奇妙な形の凧がいくつも現れて、まっすぐに都に向かって飛んできた。老人が言った。
「殿下、これまでです。後日の再起を期して、いまはお逃げください」
「なにを言う。だいいち、あの凧のすばらしい速さを見るがいい。逃げ切ることなどできまいよ」
「いえ、あの凧はわたくしが一命をもって食い止めてごらんにいれます。お忘れですかな、殿下に魔法をお教えしたのはわたくしですぞ」
「しかし……」
老人はすばやく懐から小さな壜を取り出して中身を飲み干した。頭巾にかくれた口元にかすかに笑みを浮かべて告げる。
「秘蔵の大魔法の触媒です。どのみち残り少ないこの命、ここですべてやつらにくれてやりましょう。さあ、殿下、いまはお早く。隣国へ行って、あの鉄の獣や凧のことをお知らせください。そうすれば、隣国ではやつらに攻められる前に対策を立てることもできましょうし、いつかはやつらを打ち破ってこの国を取り戻すこともできましょう」
塔の下では攻め込んできた敵の兵を味方が阻んで必死に戦っているが、それも長くもたないことは明らかだった。なおもためらう王子にむかい、老人は声を張り上げた。
「ただちに行かれよ! それとも、幼いころのようにお尻を叩かれねばわかりませんかな?」
「くっ……! すまぬ!」
王子は身をひるがえして階段を駆け下り、厩に飛び込んで愛馬を引き出した。敵が入ってきたのとは反対側の門から都を出る。背後では突如として塔の上に出現した炎の巨人が、巨大な腕を伸ばして敵の凧を片はしからたたき落としていたが、それもほどなく空気のように消えていなくなってしまった。
今回イメージした曲は、『サガフロンティア2』(スクウェア、1999年)から、
「FeldschlachtIII」(浜渦正志作曲)です。




