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百曲集  作者: 千賀藤兵衛
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017:懐中電灯を持って

 歯を磨きながら空を見上げて、男は肩をすくめた。せっかくの新月の夜なのに雲が出てきており、星はほとんど見えない。現代人にはあまりなじみのない、まったくの闇夜である。

 アウトドア好きの知人から穴場だと教えてもらった山奥の小さなキャンプ場は男のお気に入りで、これまで何度も利用しているが、いつ来てもほとんど人がいない。今日の利用者も男ひとりだけだ。自分が世の中からなかばはみだした人間であると感じている男にとって、人間の領土の外にあるかのようなここは逆に落ち着く場所だった。

 それにしても今夜はまたいちだんと暗い。知らなければどこが山でどこが空かわからないほどだ。男は手さぐりで水道の栓をあけてコップに水をくみながら、あたりをぐるりと見わたした。そして、一か所に目をとめた。森のなかに光がある。

 男はじっとその光を見る。色は白い。木々のむこうにあるためだろう、光はときどきゆらめくが、本来の明るさは一定のようだ。つまり電気の光ということになる。自動車のヘッドライトではなさそうに思えた。おそらく懐中電灯かランタン。距離は多く見て五百メートルというところか。

 口をゆすぎ歯ブラシを洗うあいだも光から極力目をはなさず、考えをめぐらす。この夜中の山奥に、だれが何の用だろうか。季節はずれの肝だめしなどであればいいのだが、山登りかキノコ狩りにきた人が迷子になってあと少しで道路に出られるということを知らずに森のなかで野宿している、といったことも考えられる。あるいはもっとロクでもない可能性も。男はつぶやいた。

 「たしかめに行くか」

 コップと歯ブラシは水道のところに残し、自分の懐中電灯を持って、だがそのスイッチは入れずに、男は歩きだした。暗闇のなか一歩一歩足元をさぐって歩を進め、森に入ると足音もひそめる。いくらも行かないうちに、行く手から音が聞こえはじめた。シャベルか何かで地面を掘るような音だ。悪い予感が当たりつつあることに顔をしかめ、ますます慎重に光源との距離を詰めてゆく。

 やがて木々のむこうに見えてきたのは、最悪の予想を裏付けるものだった。一本の木の根元にシャベルで穴を掘る二人の男と、すこし離れた地面に置かれた大型の電気式のランタン、そしてそのそばに横たわるもう一人の人物。どんな事情があったかは知るべくもないが、人を殺してしまって、死体を埋めに来たのだろう。おそらく近くに車を停めてあるはずだ。

 男としては、これ以上の危険をおかす必要はない場面だった。もし連中に見つかったら、こちらの身も危ない。ここは静かに戻って、あとで警察に通報するのが妥当である。もしそのとき連中が会話をはじめず、男がそれを聞かなかったとしたら、実際にそうしていただろう。

 「おい、そんなに後ろばかり振り向くな。作業がはかどらないぞ」

 「でも気になるじゃないですか。起き上がってこないかどうか」

 「そんなに気になるならとどめを刺せばいいだろう。だいじょうぶだ。縛ってあるんだし、意識が戻ったって動けやしないよ」

 被害者はまだ死んではいないのだった。つまり、ここでこの二人を叩きのめすことができれば、あわれな被害者を病院に担ぎ込んで一命を救うことができるかもしれない。男は懐中電灯を握りしめた。人殺しどもはあまり場慣れしていないように見える。自分ならばこの懐中電灯一本を武器に二人を倒すことも可能だろう。そうすべきなのか。

 逡巡は短かった。男はふたたび移動しはじめる。音を立てないように、また二人の目にとまらないように、適度な距離を置いて回り込み、ランタンに近づいてゆく。どうやら知っている型の製品だ。光を直視しないように目を細め、手で顔を覆って、思い切りよく飛び出した。肝要なのは光源を自分の支配下に置くこと。

 「な、なんだ?」

 ランタンに飛びつくと迷わずスイッチをひねって切った。たちまち暗闇になる。自分も見えないが、向こうも見えまい。心構えをしていたぶんこちらが有利だ。男は懐中電灯のスイッチを押し込み、相手の足元と思われるあたりをなぎはらう。いた。懐中電灯を明かりがついたまま軽く上に投げ上げる。連中がそれを追って上を向くのがありありと見えるようだ。向かって右側のやつの足元に一気に踏み込んで腕を取り、泳いだ上体に肘打ちを入れる。相手は声もなくその場に崩れ落ちた。

 「気をつけろ! こいつ武道か何かやってるぞ!」

 残ったほうが声をあげるが、相方がすでにノックダウンされたことに気づいていないようだ。そうとも、何かやってるよ、と心のなかで答えつつ飛びのいて、落ちてきた懐中電灯を受け止めスイッチを切る。あたりはふたたびの暗闇。

 「くそっ、おれだって剣道やってたんだからな!」

 シャベルを中段に構える気配。剣道か、と男は思う。

 男が学んだのは、懐中電灯格闘術というものである。祖父が創始した流派で、その名のとおり懐中電灯を効果的に用いる格闘のやりかたを突きつめた、きわめてマイナーな武術だ。べつに門外不出というわけではないのだが、このようなしろものを教わろうという物好きはおらず、けっきょく祖父から父、そして男へと伝わっただけである。

 この技術は生まれてくるべき時代がなかったのだと男はつねづね思っている。現代にあっては夜は明るく、光と闇を自在にあやつって相手を翻弄する懐中電灯格闘術は実用性に乏しい。そして、電気が普及する以前の時代には懐中電灯もまた存在しなかった。懐中電灯格闘術がその威力を存分にふるうことができる場所は、過去にも現在にも、おそらく未来にもほとんどないのである。

 せめてこれを学んだことで経歴に箔でも付けばいいのだが、剣道や柔道ならばいざ知らず、こんなものを履歴書に書いた日には面接であきれられるのがオチであろう。

 だが、いまこの場にあっては、流派の知名度など何の意味もない。男は落ち着いてゆっくりと呼吸し、相手の気配をさぐった。息が聞こえる。足音も殺しきれていない。男はわざと足音を大きく立てて相手の間合いに踏み込んだ。相手がシャベルを振り上げた瞬間、懐中電灯のスイッチを軽く押して顔を照らす。いきなり光を浴びせられてのけぞる相手。男は深く踏み込み、てのひらで相手の顎を打ち抜いた。相手はくたくたと倒れた。


 倒した連中をズボンのベルトで縛り上げ、ポケットを探って車のキーを没収すると、男は被害者を背負って自分の車へと向かった。被害者は若い男だったが、さいわい小柄で、なんとか運ぶことができた。意識はないが呼吸と心拍はある。まずは病院だ。

 天地すべて闇のなか、見慣れた懐中電灯の明かりがいつになく美しく足元を照らしていた。


 今回イメージした曲は、『ANUBIS ZONE OF THE ENDERS』(コナミ、2003年)から、

 「Beyond the Bounds」(桐岡麻季作曲)です。


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