100:義勇兵
校舎の三階の廊下で太いコードをリールから繰り出しているところを見つけたのは、単なる偶然だった。学園祭のあいだ三階は使われておらず、ひとけはほとんどない。俺も教室に荷物を取りに来ただけだ。
そいつは俺に気がついて、一瞬ぎくりとした表情を見せた。俺はそしらぬ顔でたずねた。
「なんかの出しものの準備か」
「あ、ああ。ちょっとね」
「どうせ暇だし、手伝おうか」
「いや、いい。気持ちだけもらっとく。ありがとう」
何の出しものなのか、俺ははっきり聞かなかったし、やつも言わなかった。だがだいたい見当はついた。
「何だか知らんが、しっかりやれよ」
「もちろん」
学園祭のプログラムになかった突然のロックバンド生演奏が屋上で始まって、その騒音めいたサウンドを学校の敷地全体にとどろかせたのは、その少しあとのことだった。
うちの高校は明治時代に創立されたとかで、歴史と伝統を売り物にしている。というより、自慢できるものがそれしかないといったほうが正しい。進学校として赫々たる実績を上げ、スポーツの大会で在校生が活躍していた時代もあったようだが、そんなのは大昔の話だ。
歴史と伝統しかよりどころがないものだから、校風はいたって旧弊であり、非常に息苦しい。その伝統のあらわれのひとつが、ロックミュージック禁止という決まりである。軽音楽部なるものはうちの学校にはいまだかつて存在したことがないし、学園祭で有志がバンドを組んで演奏を披露するなどという企画も絶対に通らない。
そこでゲリラライブである。
教頭ほか二名の教師が屋上に通じる階段にやってきたとき、曲は一番のサビに入るところだった。教頭はこちらを見て、大きな声で言った。
「そこをどきなさい」
俺は耳の後ろに手のひらを立てて「聞こえません」のポーズをしてやった。曲は聞かせどころとあって大いに盛り上がっており、背後のドアからドカドカ、ジャカジャカ、ギュイーン、キャアーとひっきりなしに轟音が暴れ出てきているので、声が聞こえにくいのは一応ほんとうだ。そう、俺は屋上に出るドアの前に立ちふさがっているのである。
教頭は額に青筋を立てたが、なおも言った。
「そこをどくなら、きみのことは見なかったことにしてあげよう。さあ」
生徒を相手にごく自然に切り崩し工作をかけてきた。じつに慣れている様子なので、うちの学校には権謀術数の伝統もあったのかと思ってしまうほどだ。俺は無言で得物を構えた。教室から持ってきた雑巾モップで、その先端にはちゃんと汚い雑巾を取り付けてある。柄の方でなぐったら危ないのでさすがにそれはしないつもりだが、脅しは利くだろうし、雑巾で顔を優しくはたくぐらいはしてもいいだろう。
けがをするのをおそれたか、それとも汚い雑巾のせいか、教師どもはいささかひるんだ。教頭がどなる。
「逆らうと停学だぞ、停学!」
はなから覚悟の上である。曲は二番に入った。俺がモップを構えたままがんばっていると、教師の一人が何か気がついた様子で教頭に耳打ちし、教頭が床を見た。俺は舌打ちをこらえた。床を這っているのは、さっきやつが敷設していたコードだ。後ろのドアのすきまから出て俺と教師どもの足元を通り、いまいる場所からは見えないが廊下を十メートルほど走って壁のコンセントに差さっている。
教師の一人がきびすを返した。もう明らかだ。コンセントからコードを抜く気である。電気がなくてはおそらく演奏を続けられないだろう。俺は心のなかで歯噛みするが、残りの二人が目の前に陣取っているので追いかけることができない。
だが意外にも、二番のサビに入るころになっても演奏が途切れることはなかった。それどころかコンセントのほうで何かもめている気配がする。ついに残る教師二人も階段を離れてそちらに向かい、俺も不審に思いながら後を追った。廊下のかどを曲がって見ると、コードを抜こうとする教師を一人の生徒が押さえてもみ合いになっている。二人の教師と俺がそこに突っ込んで行ってしばし格闘した末に、教師どもはひとまず逃げていった。雑巾があまりに臭かったからかもしれない。
停学どころか退学もありうるという捨てぜりふを聞き流しつつ、俺はコンセントを守った生徒を助け起こした。もっとも、思わず口をついて出たのはこんな一言。
「なにやってんだおまえ」
「ほっとけ」
こいつはうちのクラスの議長である。いま演奏している連中はもともと正式に時間と場所をもらってライブをやりたいと言っていたのだが、職員会議の側に立ってその要望を却下したのがこいつだった。教室でさんざん言い合いをするところを見ていたので、こいつがゲリラライブを応援するなどというのは予想外にもほどがあった。
「どっちかというと、おまえは教師の手先になって取り締まりに来そうなもんだと思ってたが」
「おれだって立場上ライブを却下はしたけど、本心ではやらせてやりたいと思ってた。それで、さっき教師がコードを抜こうとしてるのを見たら、つい」
「バカだな」
「お互いさまだろ」
俺は笑った。やつも笑った。すでに二番の後の間奏も終わって、曲はコーダに入っていた。教師どもは人数を増やしてすぐに戻ってくるだろうが、どうやら一曲終わるまでは持ちそうだ。
「いい曲だな」
俺はそう言った。どんなメロディなのかもろくにわからない騒音そのものの演奏だったが、不思議と心からそのように思ったのだ。
「まったくだ」
と、やつも言った。
今回のイメージの元になったのは、『ペルソナ4』(アトラス、2008年)から、
「Reach Out To The Truth」(目黒将司作曲)です。




