001:少女と鳥かご
少女は空の鳥かごを抱いて冬枯れの林を疾走していた。
地面には落ち葉が厚く積もっているが、少女が足をすべらせることはない。両手で鳥かごを抱えていて腕を振ることができないので、腰をくねらせて体のねじれを打ち消し、見通しのよい林のなかを飛ぶように駆けてゆく。だが、そのみごとな走りぶりとはうらはらに顔は暗く、いまにも泣き出しそうだった。目を大きく見ひらいて木々のあいだを探し求め、声にならない声でつぶやく。
早く、早くみつけなきゃ。どこかに行ってしまわないうちに。
そのとき少女の目はとらえた。行く手にそびえるひときわ高い木の枝の上に、鮮やかに燃えたつ緑色の羽毛のかたまりを。その緑色は、少女が近づいてくるのを感じたか、冠毛の生えた頭をもたげてあたりを見回し、ひと声鳴いた。
「オハヨー」
それは一羽の小鳥であった。安堵のあまり少女の目のはしから涙がひとつぶこぼれ、だが立ち止まりはせず走りつづけた。ふたたび鳥かごにおさめるまでは気を抜くことはできない。
小鳥が飛び立とうとして翼を広げかける。その瞬間、少女は鳥かごを空高く投げあげ、あいた腕を大きく振って加速した。木の幹が目の前にせまる。左の足を背丈よりも高く振り上げて幹に打ち下ろした。少女の足の指の先から鉤爪が飛び出した。太く鋭く、頑丈そうな鉤爪だ。鉤爪は深々と木の幹に食い込み、少女はそれを頼りに体を持ち上げて、走ってきた勢いを殺さぬまま今度は右足の鉤爪を幹に打ち込む。小鳥が鳴いた。
「トモダチ」
そうだよ、友達だよ。
少女は声に出さずにさけび、左、右、左、右と足を出して、地面を走るのと変わらない速さで木の幹を駆けあがってゆく。小鳥の止まる枝まであとわずか。
小鳥は翼をひろげて枝を蹴ろうとした。だがそのとき上から大きな影が落ちかかる。鳥かごだ。とっさにそれを避けて向きを変えたところに、下から大きな手が伸びて、小鳥をやさしく、だがしっかりとつかまえた。小鳥は一瞬あばれたが、すぐに観念しておとなしくなった。
ふー。
なんとか小鳥をつかまえた少女は、落ちてきた鳥かごを受け止め、木の幹に両足の鉤爪を打ち込んで斜めに立ったまま深く息をつく。小鳥を鳥かごにおさめて蓋をしめると、枝の上によいしょと移動してひと休みした。高い木の上とあって眺めがよい。灰色の空のそこかしこから薄日がさして、林を、林のはずれに立つ少女のみすぼらしい小さな家を、林のむこうの広漠たる荒れ地を、そして荒れ地のはてにわだかまる鋼鉄とコンクリートとガラスでできた都市を照らしだす。少女はつかのまそのはるかな都市を眺めていたが、やがて鳥かごのなかに目を落としてささやいた。
うちに帰ろうか。
「ゴハン、ゴハン」
緑色の小鳥が応じ、少女はくすりと笑った。ひょいと枝から飛び下りて、すぐ下の枝に下り立つ。そしてまたつぎの枝へ。自分の鉤爪の生えた足を見るともなしに見ながら、少女は心のなかで小鳥にむけてつぶやく。
もう逃げちゃいやだよ。わたしを一人にしちゃいやだよ。
そうして、一人と一羽は冬枯れの木々のあいだをぬけて家路をたどった。
毎回あとがきに、各エピソード執筆にあたってイメージした楽曲を付記します。エピソードの内容と直接の関係はありませんので、興味のないかたは読み飛ばしていただいても大丈夫です。
今回のエピソードでイメージした曲は、『ブレイブルー カラミティトリガー』(アースシステムワークス、2008年)から、
「Catus Carnival」(石渡太輔作曲)です。