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色即是空--我思う、されど我は無し 8

***


 コマメは時子と共に徐々に静かになっていく浮世絵町を見下ろしていた。時刻は零時十五分。除夜の鐘も響きを終えて、宴会を開いていた者達が続々と帰路に着いている。未だに騒いでいるのは朱雀丸たち天狗ぐらいだろうか。


「……時子、そろそろ祭りも終わりだね」


「ああ、あくまで大晦日のはな。後四時間もすれば新年の祭りの始まりだろう。そろそろ初日の出だからな」


 コマメは許可されないと分かっていたけれど、茶目っ気を出すように時子へと問うた。


「どうせなら今年一番のお日様を見たいな」


「駄目だ。お前は一応怪我人なんだ。そろそろ病室に戻るぞ」


「それは残念」


 口調とは裏腹にコマメは小豆の様な色をした下をペロッと出して、時子を見上げる。


「けど、まあ、僕を眠らせるのはもう少し待ってくれ。タローに一発文句を言わなきゃ眠れない」


「……お前、どうせ私の言う事を聞く気が無いだろう?」


「バレたか」


 コマメはアハハと笑い、それに時子は眉を潜めながら懐を漁り、煙草を取り出した。


「あれ? 珍しいね。吸うのかい? 一応君の患者の前だよ?」


「うるさい。患者だという自覚があるのならさっさと寝床に着け。それにここなら風向き的にお前には届かないさ」


 時子はやや細長い煙草を加え、亀の彫刻が為された漆塗りのジッポライターで火を付けた。


 コマメと時子は短くは無い付き合いである。コマメがアズキ堂を、時子が万年亀病院を継ぐ前からの知り合いであり、互いが互いの未熟だった頃を見ていた。


 だから、コマメは時子がどんな時に煙草を吸うのかを知っている。


「院長。そろそろ仕事の時間だと思うよ。頑張ってね」


「ああ」


 時子はニッとメガネの奥の瞳を笑わせて、息を空へと吐いた。


 紫煙は一秒に満たない間宙を走り、風に揺られて消えていく。


 その紫煙の先、黄城公園では、未だタロー達が戦っている。


 けれど、戦いはもう間も無く終わるだろう。そんな確信がコマメにはあった。


「私の患者は死なせない」


 時子は自信有り気な宣言をする。


 コマメは知っていた。時子という女性が煙草を吸うのは、自らを奮い立たせる時である。


「そうだね。時子なら大丈夫さ。何たって僕達の町のお医者さんなんだから」


 小豆洗いは医者にそう返し、また黙って黄城公園へと眼を向けた。


***


――届く!


 王志文には確信があった。自分の右手は愛しの□□へと届く。これを連れ帰る事が出来る。


 戦況は逆転した。否、正確に言うと、逆転はしていない。だが充分に変化した。


 九尾が操っていたもち米の海は消え去り、その隙間を縫う様に彼が作り上げたキョンシー達と五色の龍が眼下の敵へと攻撃をした。


 キョンシー達は体中にバチバチメラメラと紫電と緑炎を纏わせて、それと同時にこれらを魔女と影人形へと放つ。


 また。これと同時に水龍と火龍が魔女へ、土龍木龍金龍が影人形へと突撃した。


「貫け! 噛み殺せ!」


 魔女の号令の元、騎士と獣達がキョンシーへその槍と牙を放ち、それと同時に水龍と火龍を爆炎が包み込んだ。


「現れろ我が龍よ!」


 影人形の方はと言うと、傍らにあの超大な緑龍を召還し、緑龍の牙と爪が三匹の龍の全身を切り裂いた。


 いずれの威力も絶大である。一秒と経たない内に空から現れた最後のキョンシー達はその体を灰燼へと帰すだろう。


 だが、それで王志文は構わなかった。


 この一瞬にも満たない隙こそが王志文の願っていた好機なのだ。


 刹那の時間、魔女の炎と影人形の追撃が止めば、それで□□を奪い返す事が出来る。


 縮地を使っているかのような感覚で赤鬼に抱えられた□□の姿が王志文へと近付いてく。


「行け!」


 その時背後から若い男の声が聞こえた。□□の鈴が鳴る様な物では無く、青年と呼ばれる男の物だ。


 影人形はそのシルエットを本来のスーツ姿の男の物へと戻し、地面へと落下しながら緑龍へと命令をしていたのである。


 僥倖である。どうやら、あの間男はもう力は使い切ったようだ。


 しかし、主としてあのタローと呼ばれる男は落下をしながらも緑龍へと命を放ち、風の龍は王志文を猛追した。


 意味の無い事だった。あの龍の速度は王志文とほぼ同じであり、既に龍と彼との間には絶対的に距離が離れているのだ。


 王志文の体は戦いで平たくなった地面を滑る様に飛んでいく。


 頭上では魔女が地面へと落下する影人形を救わんと箒の先を爆発させていた。


「間違えたな魔女よ!」


 王志文は勝ちを確信した。今、魔女の行動が影人形を救う事では無く、王志文を止める事であったのならまだ負けの目が残っていたかもしれない。彼女の炎は文句無しに王志文よりも上である。


 けれど、魔女が優先したのは□□では無く、彼女の部下の命だった。


 もう王志文と□□を遮るに足る物は何も無い。


 赤鬼の腕力は強大だが、それだけのオトギである。喰らわなければどうという事は無い。


「ソレを渡せ!」


 王志文は神速で□□へと近付きながら懐から青紙を取り出し、地面へと放った。


 瞬時に地面から十本ほどの蔦が生え、赤鬼の四肢へ巻き付かんと伸びていく。


「ぬうっ!」


 赤鬼は守る様に□□を抱いた左半身を後方へ下げるが全てが遅い。


 蔦が後一瞬で赤鬼の四肢へと絡みつき、王志文の手が□□へと届くのだ。


「私の物だ!」


 彼の右手と□□の距離が零に成ろうとする。


 王志文は確信した。長い時間が掛かったが、今度こそ□□が自分の物へと戻るのだ。



 が、ここで王志文は選択を間違えていた。



 彼はもっと考えるべきだったのだ。


 何故、タローという影人形が力を使い果たしてでも緑龍を召還したのか。


 何故、あの炎の魔女が□□では無く、タローを救おうと箒を走らせたのか。


 何故、タローは間に合わないというのに緑龍へ王志文を追うよう命じたのか。


 そして何より、タローと呼ばれていた影人形の正体について、正確にはタローという青年の力の本質をもっと深くまで考えておくべきだったのだ。



 だから王志文は見誤る。



「切り落せ」


 瞬間、無機質な、感情を感じさせない、鈴が鳴る様な少女の声が王志文の眼前から発せられ、赤鬼へと届かんとしていた蔦の束を、王志文が突き出していた右腕ごと切断した。



――な、に?


 王志文は何が起きたのか分からなかった。どうして赤鬼を拘束しようとしていた蔦が切り落されたのか。何故、後一センチまで□□迫っていた自分の右腕が肘から先まで切断されたのか。


 全てが予想外だった。□□は確かに意識を失っていたはずである。彼女は眠りに落ち、力など使えないはずだ。


 いや、無意識の内に力を使ってしまう事はあるだろう。だが、今□□は「切り落せ」と明確にその力を行使していた。


 赤鬼に抱えられた□□はぱっちりと眼を見開いて王志文を見つめている。その瞳からは感情が抜け落ちていて、ただの人形に見えた。


 王志文の時間は完全に硬直し、時が止まった世界の中で彼の頭は思考する。


 今、□□が何故力を行使したのか。


 その答えはもったいぶる事も無く眼前から明かされた。


 鈍く動く時の中、右腕の切断面から一拍の間を挟んで血流が噴出する。その直前、


「呆けて良いのか王志文? そこは鬼の間合いだぞ?」


 □□が彼女らしからぬ、先ほどのタローと呼ばれていた青年と全く同じ口調で王志文へと声を掛けた。


「ラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 瞬間、裂帛とした気合と共に王志文の顔面へと赤鬼の拳が放たれる。


 反射的に王志文は残った左手で懐から黄の札を投げ付けて土壁を作った。


 しかし、まるで発泡スチロールのように土壁は砕け散る。渾身の力を込めた鬼の拳の前では瑣末な壁など最早膜。障害にもならない。

鬼の拳が彼の顔面へと突き刺さった。


 ズワッと、王志文は首が無くなったかのような感覚と共に後方へと殴り飛ばされる。


 道力ではなく純粋な腕力で彼の体は宙を舞ったのだ。


 宙を舞いながらも王志文の瞳は真っ直ぐに□□の姿を見つめていた。


 彼女は未だ無表情。呪言の札の瞳から意思を読み取る事はできない。まるで操り人形である。


――そういう事か!


 王志文はタローの力の本質を理解した。


 あの影人形の力の本質は名前と共に力を奪う事ではない。名前を奪う事で相手を支配する事にある。


 宙に飛ばされながらも王志文は何とか体制を立て直し、地面へと足を付けた。


 ズガガガガガガガガ、と靴が削れる音と共に彼は夜空のキョンシー達へ命じる。


「来い!」


 残ったキョンシー達は何れも銀の鎧を纏った物であり、数は僅か数体。


 それらは空から主を救わんと飛んでくる。


 しかし、予兆も無く、轟音と共に真紅の炎がキョンシー達を薙ぎ払った。


――魔女め!


 王志文は苛立ちを抑えずに後方へ眼を向けた。


 そこでは箒に腰掛けた灼髪の少女が空へ枯れ枝を向けており、彼女の隣であの忌々しい影人形が魔女と手を繋いでこちらを見ている。


 空のキョンシー達を爆炎で包み込んだ魔女は彼女の方へと飛んでいく王志文へ、ニッと三日月形に唇を歪ませた。


「ッ! 正気かっ?」


 王志文は魔女が、魔女達が何をしようとしているのかを悟った。しかし、信じる事が出来なかった。


 あれ程の力を魔女が持った背景には自分と同等かそれ以上の苦難があったはずであり、彼女が生きてきた軌跡を表した物があの力である。


 その全てをあの魔女は捨てても構わないと言っているのだ。


「タロー! 決めてこい!」


 瞬間、再び影人形の右手から伝わる様に、ドロドロとした墨汁の如き漆黒の影が、炎の魔女の全身を包んだ。

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