死者の慟哭--青年とキョンシー 6
――何だ、それ?
タローは眼を丸くした。つまりココノエの言っている事を鵜呑みにするとしたのなら、愛鈴がとても嬉しそうに語っていた『村をご主人様が救ってくれた』というエピソードは王志文の自作自演であり、彼は初めから愛鈴達の事をキョンシーとしてのただの素材としか見ていなかったという事だ。
「あいつは、愛鈴の未来を、奪ったのか」
ならば、ならばだ。今、愛鈴が呪言の札を剥がしたという意味は、あの凄惨な慟哭の意味は?
タローの眼下、一帯を覆っていた煙は烈風に晴らされ、未だ愛鈴は叫び声を上げながら、王志文へと突撃していた。
けれど、王志文はその愛鈴の足を、炎を逆巻かせ、水龍を召還し、土壁で遮り、鉄槍を放って、止めていく。何度も何度も愛鈴は後方へと弾き飛ばされ、木々に激突し、それでも足を止めず、王志文へと飛んでいた。
子供をあやす様に愛鈴は王志文にあしらわれ、この分ではすぐに捕まる事は明白だった。
彼女の叫びは凄惨で悲痛で、その慟哭はタローの胸を締め付ける。
「……何とかして愛鈴を助けられませんか?」
タローはココノエへと聞いた。だが、九尾の狐の返事は否定である。
「私でもあそこに挟まれたら死ぬわ。逃げる事ならできるけど」
タローは強く歯噛みした。ココノエに抱えられなければ空を飛ぶこともできない自分では今の愛鈴を止める手段は無い。
――今の俺に何ができる?
タローが思考を切り替えて、彼ができることを考えたその時である。
除夜の鐘が三度声を張り上げた。
『そろそろ宴もたけなわ! 残す鐘も後三十! ラストスパートの始まりだ!』
除夜の鐘の言葉通り、これまで以上に加速した鐘の音が連続して鳴り響いた。
ゴオオオォォォォオオオォォォン!
ゴオオオオオオォオオオォォォン!
ゴオオオォォォォオオオオオォン!
ゴオォオオオォォォォオオオォン!
ゴォォオオオオオオオオオォォン!
ゴオォォォォォォオオオオォォン!
ゴオオオォォォォオオオオオォン!
このペースならば一分か二分で百八の鐘が突き終わるだろう。
と、ここでココノエがタローへと質問した。
「タロー君はあのキョンシーを助けたいの?」
「はい。愛鈴は俺達の依頼人で、俺は愛鈴の護衛役です」
「会ったのはつい一月前じゃない」
「俺にとって一月は長いんですよ」
タローの返答にココノエは溜息を付いた。
「……しょうがない。ちょっと無理をしてあげる。日を跨げばユカリは生き返るからそれまで時間を稼いで上げるわ」
「え?」
そう言いながらココノエは懐から人型の紙を取り出して、自身の分身を作り出し、それにタローを渡した。
本体と同じ、分身の九本の尾がタローの体を包む。
タローは眼を開閉させた。
「少しの間安全な場所に隠れていて」
「……分かりました」
タローは小さく頷いた。ココノエの好意に甘えるのは卑怯だと思ったが、卑怯さで愛鈴を救えるのなら手段を選ぶ意味が無い。
「……それじゃあ行ってくるわ。最高のデートをしてくれなきゃ怒るんだから」
「任せてください」
苦笑するココノエの言葉にもう一度頷いた後、タローはココノエの分身に抱えられ、スーッと北へ飛んでいく。
視界の端でココノエが九本の尾を更に強く山吹色に発光させながら、愛鈴達が居る下方へと落ちていた。
――どうする? どうすれば愛鈴を救える?
***
『そろそろ宴もたけなわ! 残す鐘も後三十! ラストスパートの始まりだ!』
空へと鳴り響く除夜の鐘を聞きながら、オニロクは愛鈴と道士そしてココノエ達から南に五十メートルほど離れた所で足を止めた。
「ここにするか」
呟きながらオニロクは、抱えていたユカリを大きめの木を背もたれにして座らせる。
ここからでも李愛鈴の叫び声が聞こえてきた。彼女に何かがあったのは明白である。
自分も行かなければならない。何とかして日を跨ぐまで時間を稼ぐのだ。
オニロクでは道士に敵わない。その懐に入る前に倒されてしまう。だが、彼の頑丈さがあれば数分は時間を稼げるはずだ。
現在時刻は午後十一時五十八分。数分の時間を稼げれば、十分にユカリは蘇る。
さて、行こうかと足に力を込める直前、オニロクはユカリの姿を見た。
灼髪を首へと流しながら、眼を伏せる彼女は、姿だけならば格調高い貴族の様だ。
「赤の女王、早く生き返れ。お前にはまだ仕事がある」
聞こえてはいないが、オニロクはユカリへと伝言を残し、両足に力を込めた。
この一月近く続いた道士との戦いもこれで最後である。
――取り逃がしてなるものか。
赤銅色の肌を持つ鬼は鉄の拳を握り、戦場へと再び突貫した。
***
「良いぞ良いぞ! もっとお前の力を見せてくれ!」
「だまれ!」
隠しきれない満面の笑みを浮かべる王志文へと、愛鈴は激怒した。
――――――――。
最早、心中は言葉を為していない。怒りと悲しみと悔しさを掻き混ぜて何百倍にも濃縮した激しい感情の揺れ幅に思考が乱されている。
今の愛鈴にあるのは、目の前にいる王志文への感情の嵐だけだった。
愛鈴は自分でも気付かない間に、空を飛び、雷撃を、緑炎を、烈風を支配下に置いていた。
体中に黄緑の炎を纏い、両手から紫電を放ち、情動に揺らされて旋風が勢いを増しながら王志文へと飛んでいく。
「ああああ!」
愛鈴は左手から雷撃を右手から緑炎を自身の作り出した竜巻に放った。
旋風は色を黄緑に変え、全体をバチバチと紫に帯電させ、地面を抉りながら王志文へと向かっていく。
しかし、それを王志文はいとも簡単に眼を見開いて笑みを浮かべたまま防いだ。
王志文は青、赤、黄、黒の紙を鉄串で一纏めにして地面へと落とし、瞬間、王志文が立っていた地面は泥沼と化し、津波と成って愛鈴が放った紫電を纏う緑炎の竜巻を飲み込んだ。
「ッ!」
「『押し流せ』」
そして、再び愛鈴が烈風を出すよりも早く、愛鈴が目の前に現れた数十トンの水流に押し流された。
濁流に揉まれ、愛鈴は地面へと数秒間押し潰された。
――まだ、まだ!。
愛鈴はすぐに立ち上がり、キッと王志文を睨み付け、再び走り出した。
何度でも愛鈴は炎を雷を風を王志文へ放っていく。
だが、それら全てが赤子の手を捻るように王志文にあしらわれていた。
緑炎は水龍に飲み込まれ、紫電は鉄槍に吸い込まれ、竜巻は土壁に阻まれる。
どうやっても愛鈴と王志文の距離が縮まらない。
愛鈴はまだ自身が目覚めた力を制御できないでいた。宙を飛ぼうにも直線的に全力でしか飛べないし、炎も、雷も、風も、真っ直ぐにしか飛ばせない。威力も全て全力だった。
もしも、愛鈴が自分の力を完璧に制御できているのなら、今のような無様な姿はさらしていない。だが、全力で真っ直ぐにしか動けないようでは王志文の格好の的だった。
「さあ、さあ、まだまだこんなものではないだろう! お前は私の最高傑作なのだ! お前の全てを見せてくれ!」
「うるさ、い!」
だが、愛鈴は退かなかった。退くわけにはいかなかった。
目の前に居る男は、自分の全てを奪った男なのだ。この男は、彼女の村を奪い、家族を奪い、世界を奪ったのだ。
愛鈴は救われたと思っていたのだ。王志文のおかげで、自分はこれからも生きていける。まだ、自分には未来があるのだと、そう歓喜したのだ。確かに、父も母も血反吐を吐いて死に、家族は自分と姉しか残らなかったけれど、それでも自分達は生き残り、これからも生き続けて行けるのだと思っていたのだ。
だが、それは全て王志文によるものだった。初めから愛鈴達は救われてなどいなかった。
何時からは分からない。けれど、王志文は確かに愛鈴達を死なせ、キョンシーとしたのだ。
退いてはならない。逃げてはならない。許してはならない。
もう生きてはいない。既に死んでいる。それでも自分は最後の死に損ないなのだ。李愛鈴があの村で唯一、王志文の正体に気付いたのだ。
愛鈴には分かっていた。もう今更であると。今更、王志文に何かをしたとして、王志文を許せないとして、何だというのだろう? 愛鈴達はとうの昔に死んでいて、全てがもう終わっている。手を施せたのは遥か昔、王志文が村に現れる前の事。
今更、愛鈴が何をしたところで、何もかも変える事はできない。
それでも、愛鈴は退かなかった。退くわけにはいかなかったのだ。
「ああああああああああああああああああ!」
愚直に、それ以外の手段を知らないのだから、真っ直ぐに、愛鈴は王志文へと一センチでも距離を詰めようと叫びを上げた。




